第28話 四十八日目①

 翌日、直樹は、陽葵が入っているミーナのぬいぐるみを胸に抱きながら、ウィズニーランドを回っていた。


「陽葵、次何乗りたい?」

「人が少ないアトラクションがいいんじゃない……。直樹、ずっと目立ってるよ?」


 今日は土曜日。人気アトラクションは二時間待ちもざらの状況だった。そんな中、大の男が抱きしめてるミーナのぬいぐるみに、ずっと話しかけているものだから、いやでも注目を浴びる。


「俺は気にしない。だから陽葵も気にすんなよ」

「ママァ。あのおにーさん、ミーナちゃんのこと、ひまりって呼んでるー」

「よしなさいっ」

「……」


 直樹の顔が熱くなる。


「いや、やっぱ気にしようよっ! 直樹が平気でも、あたしが耐えられないよっ!」

「じゃあ、ちょっと人が少ないところ歩くか」

「お願いっ! あたしのメンタルがガリガリ削られてるのっ!」


 幸い、ここはテーマパーク。園内を歩くだけでも非日常感を味わえて楽しい。

 しかも、好きな女の子と二人でデートなのだ。楽しいの最上級だろう。


「ちょっと小腹が空いたな。あそこで売ってる、スモークターキーレッグとか美味そうじゃね?」

「あたし、ターキー食べたことないっ」

「じゃ、買うか」


 直樹は一本買うと、持ってきた割り箸を肉に刺した。


「スモーキーな香りが最高っ。しかも、肉質がしっかりしてて食べ応えがある。ターキーってこんなに美味しいんだ」

「じゃあ、俺も食べよう」


 直樹は、箸を刺したところとは別のところを齧った。


「うん。美味いな。ペロリといけそうだ」


 直樹は感想を言うと、二口目を食べずにじっと待つ。


「直樹、食べないの?」

「陽葵が満喫するまで待ってる。気にしないで味わっていいぞ」

「冷めちゃうからいいって。食べなよ」

「いいんだ」

「よくないっ!」


 陽葵の表情はわからないが、その言葉には哀しみと怒りの色が滲んでいた。


「陽葵?」

「あたしは食欲ないんだよ? 食べなくても平気なのっ。それなのに生きてる直樹が、死んでるあたしを優先するなんて変だよっ」

「どうしたんだよ? 今まで、そんなこと気にしなかったろ」

「あたしが間違ってた。直樹に甘えすぎてたのっ」

「なぁ、本当にどうしたんだ? 俺は陽葵に喜んで欲しくて」

「あたしは嬉しくないっ!」


 陽葵の声は震えていた。

 直樹は混乱する。昨日までの陽葵だったら、こんなこと言わなかったはずだ。

 やっぱり、外出するために、四百万使ったことに納得いっていないのだろうか?

 それとも……。


「もしかして、陽葵は別れの準備をしてるのか?」

「っ!」

「そっか。まぁ、出会った日から成仏させるって宣言してたしな。さっきのも陽葵なりの気遣いなんだろ?」

「ちがっ。あたしはっ。あたしは……」

「ありがとう。陽葵が俺のことを考えてくれて、すげー嬉しいよ。でもさ、俺も陽葵のことを考えてるつもりなんだ。陽葵の笑顔が見たいんだ。一緒に楽しみたいんだ。ダメかな?」

「そんな言い方、ズルい……」


「大体さ、今日のデートに四百万かけてんの、俺は。全力で楽しんでくれなきゃ、家にある木刀で祓うぞ?」

「……わかったっ。わかりましたっ。直樹にとって四百万の価値があるデートになるように努力させていただきますっ!」

「素直でよろしい」

「一回のデートが四百万って、あたしはどんな女なのよ……」

「ウィズニーランドに遊びに来れる地縛霊」

「うん。あたしってSSRだわ」

「じゃ、デートやり直しな」

「全っ力っで楽しむからっ! まずは、あの落ちるやつ乗ろうよっ!」

「えぇ……。あれ二時間半待ちだったぞ……」


 そこから二人は、周りの目を気にせず思いっきり楽しんだ。

 エリアを移動するたびに、キャストに写真を撮ってもらった。

 一人としてカウントされたため、穴埋め用にあまり待たずにアトラクションに乗れた。

 たわいもないことを、たくさん話し、たくさん笑った。

 午後四時を回った頃。


「なぁ、場所変えてもいいか? どうしても行きたい場所があるんだ」

「ふーん。さぞかしロマンチックな場所なんでしょーね」

「かもな」


 直樹は、両国駅へと戻ると、目的地に向かって歩いていく。

 陽が沈み、夜に太陽が溶ける時間を狙ったが、生憎の曇り空だった。


「着いたぞ」


 直樹は、二十七階建の高層ビルの入り口に立った。


「ここを上るの?」

「昔は上れたけど。今は、多分無理だな。普通のオフィスビルだし」

「どこがロマンチック?」

「それはこれから。前に、中学の時に助けたかった人がいたって話をしたのを覚えてるか?」


 直樹は自分が、落ち着いた気持ちで、この話題を口に出来たことに、内心ホッとする。

 今の俺なら大丈夫だ。


「直樹の生き方が変わった原因だよね? その人と関係あるの?」

「中学の修学旅行でここに見学に来たんだ。でも、俺は展示物に興味なんてなかった。それよりも、このビルの屋上から見える風景の方が、興味あったんだ。俺の地元じゃこんな高い建物なかったからな」

「もしかして……」

「ああ。屋上に行ったら先客がいた。その人は柵の向こうに立っていて、今にも飛び降りそうだった。焦ったよ。初めて会った人だけど、放っておけるはずなかった。だけど、こっそり忍び込んだから、人を呼ぶことも出来ない。俺は、必死にその人に話しかけた」


 先ほどまでは落ち着いた気持ちでいられたが、当時のことを思い出すと、心のかさぶたを剥がしたかのように血が滴り落ちる。


「だけど、たった十五年しか生きてないガキの言葉に、何の重みがある? 俺は、『生きてたら、きっと楽しいことがある』そんな無責任な言葉を放ってしまった」

「その人は、どうなったの……?」


 陽葵が恐る恐る聞いてくる。


「俺の言葉を聞いた次の瞬間、飛び降りたよ……。俺の残酷な言葉が、その人の背中を押しちまった……」

「っ!」

「それからは、前に話した通りだ。目の前で傷つく人がいるのが怖くて、自分が誰かを傷つけるのが怖くて、誰かのために生きるようになった」


 直樹は大きくため息を吐いた。


「でも、今はちょっと違うんだ。自分が楽しいって思える時間を大切に出来るように少しずつなってきたんだ。それはきっと陽葵のおかげで。だから、俺は陽葵となら生きていける」


 直樹はミーナのぬいぐるみを優しく見つめる。


「聞いて欲しい、言葉があるんだ」


 直樹は深呼吸をして、目を瞑ると、大声を張り上げた。


「言いたいことが、あるんだよっ! やっぱり陽葵は可愛いよっ! 好き好き大好き、やっぱ好きっ! やっと見つけた、お姫様っ! 俺が生まれてきた理由っ! それは、お前に出会うためっ! 俺と一緒に、人生歩もうっ! 世界で一番、愛してるっ! ア・イ・シ・テ・ルッ!」


 軽く息切れを起こして、呼吸が浅くなる。


「幽霊だって関係ない。俺と一緒に生きてくれ。朱霞さんたちは俺が説得する。絶対に何とかしてみせる。だからっ」


 だが、陽葵は何の反応も示さない。


「……陽葵さーん? 何か言ってくれないと、怖いんですけど。あれですか? ネタに走りすぎたの怒ってます?」


 それでも陽葵は何も言わない。


「陽葵? なぁ……」


 もしかして、ぬいぐるみの中に陽葵はいないのか?

 直樹は慌てて、朱霞に電話をかけた。


「陽葵がぬいぐるみの中にいないんだっ!」

「ちょっ、おにーさん声でっかっ。別にそのぬいぐるみは、陽葵おねーさんを閉じ込めるものじゃないから、出入り自由だよ」

「俺、さっき陽葵にプロポーズしたんだけど……」

「ごしゅーしょーさまー」

「嘘でしょっ? え、フラれたの俺っ?」

「ってかさー、陽葵おねーさんにプロポーズするために、そのぬいぐるみ用意したんじゃないんだけど?」

「いや、俺には陽葵が必要で」


「だーかーらー、生きてる人が死者に依存してどうすんのさ。そんなんじゃ、陽葵おねーさんも安心して成仏できないじゃん」

「無理に成仏させなくても……」

「言ったっしょ? 死者がこの世に留まることは、魂の呪縛なの。おにーさんもウチの仕事を手伝ってきたんだから、頭じゃわかってるでしょ?」

「それより、陽葵はどこに?」

「そんなの、おにーさんの部屋に決まってるじゃん。地縛霊なんだし」

「話はまた今度なっ!」


 直樹は通話を終えると、アパートへ急いだ。



 急いで階段を登り、鍵を慌てて差し込む。ドアを勢いよく開けて、玄関に入ると、暗い部屋の真ん中に陽葵が立っていた。

 直樹は安堵して、胸を撫で下ろす。


「陽葵、さっきのやり直させてもらってもいいか?」

「思い……出した」


 陽葵は両腕で自分の体を抱きしめていた。


「陽葵?」


 だが、直樹の声に陽葵は反応しない。

 陽葵の様子がおかしい。俺をフったからとかじゃなくて。

 直樹は、靴を脱ぐと、陽葵の元に駆け寄る。


「どうしたんだよ、陽葵っ?」


 陽葵がこちらを向く。その瞳には溢れんばかりの涙。


「全部、思い出したよ……。あたしの名前は、花澤陽葵」


 花澤陽葵。その名前を聞いて、頭に鋭い痛みが走った。

 脳内で、ニュースアプリの記事が浮かび上がる。


 「墨田区両国のビルから、二十代前半の女性が頭身自殺」


 続いて、ネットの掲示板の書き込みが浮かぶ。


 「死んだ女は花澤陽葵(二十三)だってよ 迷惑な女」


 直樹の体が震える。どうして俺は今まで気づかなかった? いや、無意識のうちに記憶を封じ込めていた?


「陽葵……。もしかして。あの時、あのビルの屋上にいたのは……」

「そう。あたし……」


 窓の外で落雷が響き渡り、閃光で照らされた陽葵の頬には、雫が伝っていた。

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