第25話 四十三日目

 直樹は、スマホでヘブブルの曲を流しながら、コールを口ずさむ。


「あたしも一緒にコール打ちたいっ」

「あんまり大声出すなよ?」

「あたしの声は下の人には聞こえないし」

「そういや、そんなこともあったな」


 直樹は、陽葵と初めて会った日を思い出して笑う。


「直樹、ふいんきが柔らかくなったよね」

「雰囲気な」

「そういうの、モテないからやめたほうがいいよ」


 陽葵は口を尖らせて抗議する。


「はいはい。じゃ、一緒にコール打つか」


 その日は一日中、二人でコールの練習をした。

 夕日が沈み、今日は何を食べるか陽葵と話をしていた時のこと。

 柊木からメッセージが届いた。

 その場ですぐにメッセージを確認したい衝動を抑える。


「じゃあ、夕飯の材料買ってくるな」


 直樹はそう言って、慌ててコートを羽織る。


「暗いから気をつけてね」


 笑顔で自分を見送る陽葵が、なぜかいつも以上に愛しく思えた。

 玄関に鍵をかけるのも忘れて、階段を降りると、スマホをポケットから取り出した。


『マッチングに成功しました。二十八日の十一時に新宿でデートの約束を取り付けている最中です』


 四日後にナツと会う。心臓が激しく鼓動する。


『ありがとうございます。そのままお願いします』


 それだけ返すと、スマホを強く握りしめた。

 ナツのことを恨んでいないといったら嘘になる。だけど、今はそれ以上に優先すべきものがある。


「絶対に返してもらうぞ……」


 低く脅すような声音が自然と漏れた。



 翌日も、陽葵と一緒にコールの練習をした。

 明日はライブ。柊木は自分のために、嫌なことを引き受けてくれた。その想いに応えなければ。


「直樹って、なんでこんなに一生懸命練習してるの?」


 休憩中、陽葵に質問された。


「柊木さんに頼み事をしたんだ。そのお礼のためだよ」

「えー、何を頼んだの?」

「……秘密」


 陽葵がニヤリと笑う。


「えっちぃやつでしょ」

「違うっ」

「男同士で秘密の頼み事なんて、えっちぃやつしかないじゃん」

「だから違うってのっ」

「恥ずかしがることないのにー」

「……」


 直樹は無言で陽葵を見つめた。


「どしたの?」

「いや、前ならここで、陽葵がエロいことしてくれた気がするなぁって思って」


 陽葵の顔が真紅に染まる。


「直樹のすけべっ! あたしをエロい女扱いしないでよっ!」

「いや、出会ったその日に下着姿になってたじゃねーか」


 陽葵は両耳を手で押さえる。


「あー、あー、聞こえなーい」

「……ちょっとくらい、期待するだろ」


 直樹はボソっと呟いたが、陽葵には届かなかった。



 ライブ当日になり、直樹はさいたま新都心駅で降りた。


「すごい人だな……」


 ヘブブルのグッズを身につけている人が、ゾロゾロとアリーナへと向かっている。

柊木との待ち合わせ場所に立っていると、背後から声を掛けられた。


「直樹、待たせたなっ」

「いや、今来たところなん、え……?」


 言いながら振り返り、柊木を見た瞬間、直樹の脳みそがフリーズした。

 白狐のお面をつけていないのも、スーツじゃないのもわかる。

 なぜ法被を着ているんだ? しかも、両手の手首にラバーバンドを五本ずつ巻いている。

 腰にはベルトを巻き、そこから何本ものペンライトが吊るされていた。

 そして違和感の極め付けは、柊木が満面の笑みを浮かべていたことだった。


「やっぱり、ど素人な格好で来たな。でも、ちゃんと直樹の分も用意してあるから安心しろ」

「え? 柊木さんで合ってます?」

「おいおい。今日はヘブブルのライブだぞ? 俺のことは颯真って呼んでくれよ」


 爽やかな超超超イケメンスマイルを浮かべる柊木。


「普段とキャラ変わりすぎでしょ、あなたっ!」


 その後、柊木から渡されたライブTシャツに着替え、星乃ルカのラバーバンドを五本ずつ両手首に巻き、ペンライトを二本渡された。

 直樹たちはいわゆるアリーナ席に座っていた。ステージからとても近い。


「ウオォッ、澪ちゃーんっ!」


 まだ開演していないというのに、柊木はすでに大声を出しながら、青色のペンライトを振り回している。

 この人、テンションやばいよ……。

 そして三十分ほどして、幕が上がった。


 煌びやかなアイドル衣装に身を包んだ女性声優が、十人以上ステージ上で横並びになる。

 会場から湧き上がる大歓声。野太い声だけでなく、黄色い声援も聞こえてくる。

 直樹は、事前に星乃ルカの演者を調べてきていた。ルカの演者は、彼女のイメージカラーである、白と水色を基調とした衣装を着ていた。

 直樹は覚悟を決めると、大きく息を吸い込んだ。


「ルカーッ!」


 白色のペンライトを振りながら、大声で叫ぶ。

 そこからの時間は、直樹にとって未知の体験だった。

 自分がヘブブルを始めたのは、柊木との交換条件。ゲームを遊んで面白いと感じていたし、星乃ルカという推しも見つけた。だけど、心のどこかでライブを楽しむことは出来ないのではないかという不安があった。


 だが、アイドルたちのパフォーマンスと歌声を聴きながら、みんなでコールを打つと、異様な一体感に身体が呑まれていった。

 三曲目には、照れくさいという感情は完全に消え失せ、全力でライブを楽しんでいる自分がいた。

 ヘブブルの曲は明るく前向きなものや、しっとりと切なさを歌い上げるもの、アップテンポで感情が昂るものと色鮮やかで、直樹のポジティブな感情が膨れ上がっていく。


「直樹っ! 楽しいかっ?」

「楽しいっ!」


 柊木に聞かれ、思わずそう叫んでいた。


「次が最後の曲になりますっ!」


 会場から悲嘆の声が上がる。


「えーっ」


 直樹も自然と口に出していた。もっとこの時間が続けばいいのに。


「みんなー、また会いに来てくれるっ?」


 曲の後に、星乃ルカの演者が呼びかける。


「行くーっ!」


 直樹は、ペンライトを演者に向けながら叫んだ。


「ありがとーっ! 約束だからねっ!」


 そして、宴は終わった。

 駅へと向かう道すがら、柊木とライブの話で盛り上がった。


「直樹っ。初心者とは思えないパフォーマンスだったぜっ」

「いや、最初はちゃんと楽しめるか不安だったけど、始まったら会場の熱気に当てられてたよ」

「それがライブの醍醐味なんだよなっ。やっぱライブは生に限るっ」

「ヘブブルのみんな、輝いてたな。陽葵にも見せたかった……」


 こんな感情、久しく忘れていた。


「直樹の熱を、そのまま伝えてやれよっ」

「そうだな。そうしよう」

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