第23話 四十二日目①

 翌日、昼過ぎに川崎駅で朱霞たちと合流する。朱霞は長ものを持っていた。


「おにーさん、大丈夫? なんか体調悪そうだけど」


 朱霞が直樹の顔を見て、心配する。


「ちょっと寝不足なだけだから」


 柊木が直樹の方を向く。


「ハチャメチャ☆」

「everyday」

「遠い」

「約束」

「夢見る」

「明日」


 百人一首の上の句と下の句を言い合うように、柊木が曲名の冒頭を振ってきたので、直樹は続きを答えた。


「ヨシッ!」


 柊木が満足げに頷く。


「何も良くないっ! まさか、おにーさんまでヘブブル始めたとか言わないよねっ?」

「始めた」


 朱霞は頭を抱える。


「職場ヘブブル禁止してたのに……」

「なに、その職場恋愛禁止みたいなの」


 直樹が朱霞につっこむ。


「とにかく、仕事中はゲームの話禁止だからっ! 二人とも肝に銘じておくようにっ!」


 朱霞は眉を吊り上げると、直樹と柊木に指をさして注意した。

 


 依頼主の家まで、柊木が運転するレンタカーで向かう。


「今日は、おにーさんに除霊してもらおうと思ってる」

「朱霞さんに依頼が来るような悪霊なんだろ? しかも、今日は秘密兵器持ってるし」

「今回は、おにーさんの修行向けに、弱めの悪霊を紹介してもらったんだ」

「じゃあ、俺に真剣を使えってこと?」


 朱霞は笑う。


「流石に、陽祓いの太刀はそんなホイホイ持ち出せないって。持ってきたのはこれ」


 そう言いながら、長ものを包んでいた袋を開けると、木で出来た柄を見せる。


「榊で作った木刀だよ。神道でよく使われる木だね。これに霊力を込めれば、おにーさんでも祓えるよ」


 直樹は朱霞から木刀を受け取る。柄を握ると、霊気特有の温かさが伝わってくる。


「これすごいな。朱霞さんに守られてるみたいだ」

「にししっ」

「そろそろ着きます」


 柊木は口を開くと、コインパーキングへと入って、車を停める。

 コインパーキングから歩くこと数分。九階建てのマンションへと辿り着いた。

 直樹たちは玄関のインターホンで挨拶をして、九○二号室へと入った。

 広めの一LDK。独身にしてはいい部屋に住んでいる。


「あなたたちが除霊師?」


 依頼主は三十代半ばの女性だった。

 直樹たちは自己紹介をする。

 直樹は悪霊の気配を探るが、朱霞が弱めというだけあって、全然わからなかった。


「なぁ、本当に憑いてるのか?」


 朱霞に小声で尋ねる。


「霊符貼ってごらんよ」


 朱霞に言われ、霊符を額に貼ると、女性の左肩に乗っかっている、ハンバーグくらいの大きさの胎児の霊を見つけた。


「これが悪霊?」

「悪霊というより水子だね。この人は、半年前に中絶したんだってさ」


 朱霞が、天気の話をするようなトーンで口にする。


「さっさと除霊してもらえる?」


 依頼主に促され、直樹は袋から木刀を取り出した。


「霊力を込めて、突くだけでいいよ」

「わかった」


 だが、自分の声が震えているのに気づいた。木刀を握る力が強すぎて、手が痛い。

 どうして俺はこんなに緊張している? 初めて自分で霊を祓うから? それとも祓うのが生まれることの叶わなかった命だから?


「ハァッ、ハァッ」


 両腕を高く上げ、女性の肩を狙って、木刀をゆっくりと伸ばす。

 木刀が水子に触れた瞬間、直樹の脳内に水子の声が鳴り響いた。


「お母さん、どうして? どうして僕を産んでくれなかったの?」


 次の瞬間、深い悲しみが全身を襲う。その感情の根っこはたった一つの気持ち。

 この世に生を受けたかった。この人の元で、生きていきたかったという痛烈な願い。


「お母さん、僕はお母さんに会いたかったんだよ? お母さんは違かったの?」


 その言葉は、直樹の口から発せられていた。直樹の両目から涙が溢れる。


「僕は、お母さんに愛されてなかったの?」


 直樹の理性が叫ぶ。霊に支配されてるぞっ! ポジティブを思い浮かべろっ!

 だけど、直樹の心の芯の部分が、水子に引きずられてしまう。

 自分の生き方を否定され、死にたいほど辛いと思った気持ちとシンクロしてしまう。

 昏い澱のような感情が、土砂降りとなって直樹の体に染み込んでいく。


「お母さんが、僕を否定するなら……僕はっ!」


 直樹の両腕がゆっくりと天井へと向かう。


「南條さんっ!」


 柊木が南條に向かってくる。


「柊木、待ってっ!」

「ごめんなさいっ!」


 依頼主の女性が、直樹を両腕で抱きしめた。


「ごめんなさいっ。私は自分の人生のことしか考えていなかったっ。あなたがそんな風に思って……。ううん、そう思って当然だよね。あなたは私から生まれる命だったんだもんね。あなたに恨まれたって仕方がない。でもね、信じて欲しいの。私は、あなたを愛していなかったわけじゃない。それだけは嘘じゃない。だから、あなたが私を許してくれるまで、私に憑いてていいわ」

「本当? お母さんは僕を愛してくれていたの?」

「ええ。あなたを愛してた。今でも愛してる」


 直樹の両腕がだらりと下がり、右手から木刀が離れた。


「ありがとう。お母さん。……さよなら」


 直樹の脳に、水子の声が響いた。


「お兄ちゃん、ありがとう。お兄ちゃんは、生きてね」


 そして、直樹の中から水子の気配が消えた。だが、まだ体が余韻を感じている。生きたいという想いが熱を帯びている。

 頭を下に向けると、依頼主の女性が大声を出して泣いていた。

 直樹は女性の両肩を掴むと、微かに力を込めて、女性を座らせた。



 女性のマンションを出て、コインパーキングへと向かう。


「あれは一体なんだったんだ?」

「おにーさんの魂が、あの子に共鳴しちゃったんだよ。いやー、予想外の展開だったねー」


 朱霞の反応が、なんとなく嘘くさく感じる。


「本当か? 朱霞さんは、水子だって知ってたんだろ? もしかして……」

「朱霞、私が南條さんを止めようとするのを防ぎましたよね?」

「もー、いたいけな女子高生を疑うくらいなら、二人でヘブブルの話でもしてなよ」

「南條さん、推しは見つかりましたか?」

「いや、明らかに話題逸らすための方便じゃないですか。全力で乗っからないでくださいよ」

「すみません。つい」


「俺、朱霞さんに嵌められたとしても、別に怒ってないから」

「なんで?」

「あの子に会えたから、かな。自分でも上手く言葉にできないけど」

「ウチってやっぱ凄いなぁ」

「ってことは、嵌めたんだな?」

「うっ……。その木刀あげるから許してよー」


 そう言うと、朱霞は車の位置まで走って逃げていった。


「これ貰ってもなぁ……」


 直樹は木刀を目を遣りながら、こぼす。


「それ、この業界なら一千万はしますよ」

「マジすか……。え、じゃあこれ売れば」

「朱霞に殺されますね」

「ですよねー」

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