第22話 四十一日目

 翌日、直樹は柊木だけを錦糸町に誘った。朱霞のお気に入りの店に二人で入る。

 直樹の前にはマウンテンデュー、柊木の前にはウイスキーのロックが置かれた。

 柊木は白狐の面を外すと、ウイスキーで唇を湿らせた。

 超絶イケメンが目を伏せて、ウイスキーを飲む様はこんなに艶があるのか。直樹の心の中のメスがキュンとなる。


「お話というのは、昨日の件ですか?」

「ええ」

「朱霞を説得するのを手伝ってくれというなら、無理な相談ですよ」

「わかっています。朱霞さんがああ言うなら、本当に四百万用意しなきゃいけないんだって」

「では、私からお金を借りたいと?」


 直樹は首を振る。


「柊木さん達には、なぜ俺が死にたいか話していませんでしたよね。俺が死のうと思ったのは、マッチングアプリで出会った女が原因なんです。俺は……、その女に百五十万貸しました。その女から金を返してもらうことが出来ればっ」

「お断りします」

「まだ何をお願いしたいか言ってませんよっ?」

「その女とマッチングして欲しい。そうじゃないですか?」

「当たりです……」


 柊木は、再びウイスキーを口にする。


「南條さんには、私の過去を話しましたよね。私は三次元の女性に恐怖心を抱いている。いえ、率直にいうと、嫌悪感を抱いているといってもいい。そんな私に、詐欺を働くような女とマッチングしろというのは、もはや拷問ですよ」


 柊木の口調は、普段と変わらず事務的だ。だが、そこには明確な拒絶の意が含まれていた。


「ですが、南條さんの力になりたいという気持ちはあります。なので、交換条件といきませんか?」


 直樹は机に乗り出し、前のめりになる。


「俺に出来ることならっ!」

「来週、ヘブンリーブルーのライブがあるのですが、同志に予定が入ってしまいましてね。南條さんがライブを盛り上げてくれるなら、考えてもいいですよ」

「行きますっ! 行かせてくださいっ!」

「ありがとうございます。ですが、ライブに行く以上、ヘブブルのキャラや曲、コールを覚えてもらわなければなりません。生半可な態度でライブに参加したら、私は南條さんを一生許しませんので」


 柊木の目は真剣だった。


「えっ……。はい……」

「では、まずはヘブブルを始めて、その世界観、キャラの可愛さ、そして魅力に触れてください。最初は好きなキャラを見つけることをおすすめします。ヘブブルの世界に一気に没入出来ますから。私の推しは澪ちゃん。久遠澪ですが、同担歓迎なので、もちろん澪ちゃんを好きになっていただいても構いませんよ。キャラとの交流は、ゲームを進めていけば全員分解放されますので、絶対に見てください。キャラの魅力はやっぱり交流にありますから。それから――」

「ちょ、ちょっと待ってください。そんなにワッと言葉を浴びせられても……」


 柊木が目をギラギラさせながら、ノンストップで喋り続けるものだから、思わず口を挟んでしまった。

 柊木は、ウイスキーで喉を潤す。


「失礼しました。ヘブブルのことになるとつい」

「柊木さんは、どうしてそんなにヘブブルが好きなんですか?」

「生きる意味を見失ってた私を、救ってくれたからですよ」


 その言葉に、直樹の心臓がどきりとする。


「それって」

「ええ。私はこのルックスのせいで、まともな社会生活を送ることが出来ませんでした。モテると言えば聞こえはいいですが、度が過ぎれば、ただの生きづらさでしかありません。私は平穏に過ごせればそれでいいのに、周りがそれを許してくれない。その辛さがわかりますか?」


 柊木は、虚な目をこちらに向ける。


「想像することしか出来ませんけど」

「ありがとうございます。私の周りには常に好意と悪意の感情が渦巻いていました。そんな時です。ヘブブルに出会ったのは。彼女たちは、ただ純粋に夢を追っている。そこには、私を引き裂く感情は存在しなかった。それが、とても眩しくて、焦がれたんです。そして思いました。この子たちを応援するために、生きていきたいと」

「ヘブブルが、柊木さんの生きる理由なんですね」

「ええ。毎月十五万は課金してます」

「代償が重いっ!」



 直樹は家に帰ると、早速ヘブブルをダウンロードした。


「直樹、ソシャゲやるの?」


 陽葵が、画面を見ながら話しかけてくる。


「ああ。柊木さんとライブに行くことになって、そのために予習することになった」

「えー、ライブとかちょー楽しいやつじゃん」

「どっちかって言うと、プレッシャーだけどな」

「なんで?」

「柊木さんにとって、どれだけヘブブルが大事か知っちゃったから」


 直樹は、柊木から聞いた話を陽葵に伝えた。


「柊木さんも苦労してたんだね。でも、生きてれば、そういう出会いが待ってるんだよ」


 陽葵は直樹の目を見て、口にした。


「直樹も、柊木さんみたく出会えるんじゃないかな?」


 直樹は陽葵を見つめ返す。死にたい気持ちを忘れさせてくれる彼女。陽葵ともし、これから先も一緒にいることが出来るなら。そんなことが可能なら俺は。


「……無理だな」


 直樹は、自分で否定して、自重気味に笑う。


「もー、そうやってすぐ諦める」


 陽葵の口調は軽いが、その眼差しは哀しみを帯びていた。その瞳を見て、直樹の心は痛んだ。

 彼女に好きだと言えたら、どんなに良かっただろう。一緒にいたいと言えたなら。

 そんなことは考えるな。今は、柊木さんとの約束を果たすことだけを考えろ。

 それから、直樹はヘブブルを遊び始めた。


 女の子たちがトップアイドルになるまで育成するゲームで、合間合間にライブが挟まる。

 直樹は、アイドルという文化には三次元も二次元も馴染みがなかったが、トップアイドルという夢に向かって、仲間たちと研鑽し合い、キラキラした青春を過ごす女の子たちの日常を、追いかけるのは、率直に言って楽しかった。

 特に星乃ルカという少女が、直樹は気に入った。明るいムードメーカーで、みんなから愛されるリーダー。なんとなく陽葵に似ていると思った。奇しくも、外見も陽葵にそっくりだった。


「さっきから、その子ばっか優先してるけど、推しなの?」

「推しかどうかはわからないけど、ちょっと気になってる」


 陽葵は画面に映ってる星乃ルカをじっと見つめる。


「ちょっと、あたしに似てるね」

「そう……かも、な」

「ふーん。直樹ってこういう子が好みなんだ?」

「いや、好みっていうか、なんつーか……」


 陽葵はニヨニヨしながら直樹を見る。


「ほーん?」


 なんだかすごく悔しい。


「課金はしないからなっ!」

「誰もそんなこと聞いてないじゃんっ」


 スマホが振動し、柊木からのメッセージが表示される。


『ライブの予想曲のリストです。明日、仕事の後にカラオケでコールの練習をするので、全曲聴き込んでおいてください』

「うわぁ……」


 直樹の口から、思わず言葉が漏れる。


「これは、大変だね……」


 柊木から送られてきたリストは、二十六曲にも及んでいた。

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