第20話 三十八日目
直樹は、起きてすぐ陽葵に声をかけた。
「陽葵のやりたいことを何でもやろうと思う。何がやりたい?」
「どしたのいきなり?」
「俺がやりたいんだ。何がやりたい?」
「……何でもいいの?」
「ああっ!」
昨日の自分をぶん殴ってやりたいと、直樹は思った。脳に糖分が回ってない時に大きな決断をするのは絶対にやめようと心に誓う。
直樹は、東京ソラマチに一人で来ていた。メガネをかけて、右耳にイヤホンをつけている。
「スカイツリーたっかっ! 観光客多っ!」
イヤホンから陽葵の声が聞こえる。
「陽葵。もう少し声抑えてくれ。耳が痛い」
「ごめんごめん。楽しくってつい」
「そもそも、陽葵が生きてた時にも、スカイツリーはあっただろ」
「生前の記憶ないから、見たことも覚えてないんだってば」
カメラが付いたメガネが写す映像を、陽葵は、直樹の部屋からスマホを通して見ている。
「じゃ、そろそろ行こっか」
「なぁ。本当に行くのか?」
「あたしのやりたいことを、何でもやってくれるって言ってくれたじゃん。嘘だったの?」
陽葵が哀しそうな声を出す。
「嘘じゃ、ないけど……」
「なら、しゅっぱーつっ!」
直樹はうなだれると、東京ソラマチの中へと入っていった。
フロアマップを写しながら、陽葵に尋ねる。
「どの店が見たい?」
「レディスファッションのショップ全部」
「なっ! 好みとかあるだろっ? 全部行かなくても」
「最近の流行りわからないから全部っ!」
直樹はため息を吐くと、端からショップを巡ることにした。
そこからの時間は、除霊の修行より大変だった。
基本的に女性客かカップルしかいないショップに、男一人で入るという苦行。
陽葵が気になると言えば、手にとって、隅々までカメラで写す。
しかも一着一着にかける時間が長い。なんでそんなに時間がかかるのか聞くと、映像を元に部屋の中で試着しているのだという。
細部まで再現したいらしく、「裾をもっと見せて」だの「背中の部分を大きく写して」だの、普通の客なら見ない部分まで凝視させられる。
直樹が、じっと服を見ていると、当然店員に声をかけられる。その度に、愛想笑いで断るのも精神が疲弊した。
陽葵が満足し、次のショップに移動してる最中のこと。
「直樹、なんで今のショップ、スルーしたの?」
陽葵が静かなトーンで聞いてくる。
「何のことだ?」
わからないフリをする。
「嘘ついてもダメだよ? わかってて通り過ぎたでしょ?」
直樹はゴクリと唾を飲む。
「陽葵。頼む。あそこだけは勘弁してくれ……」
「直樹のあたしへの気持ちって、その程度だったんだぁ。ショックだなぁ」
そんなことを言われたら、引くわけにはいかなかった。
「わかったよっ。行くよっ。行けばいいんだろっ!」
直樹は深呼吸すると、ランジェリーショップへと足を踏み入れた。
ああ。誰か俺を殺してくれ……。
直樹はカフェで、アールグレイのホットを飲んで休憩していた。
「めっっっっっちゃ、疲れた……」
「めっっっっっちゃ、楽しかったっ!」
神経をすり減らした直樹とは対照的に、陽葵の生き生きとした声が、イヤホンから聞こえる。
「満足したかよ?」
「うん。ありがとっ」
その言葉を聞けて、直樹の心は温かくなる。微笑みを浮かべ、紅茶を口に運んだ。
「そういえば、例のあれ届いたっぽいよ」
「じゃあ早速、今夜試してみるか」
夜になると、直樹はリビングの中心で、赤外線カメラに三脚をくっつけた。
「あたし、ちゃんと写るかなぁ」
「一応、赤外線カメラの中でも、一番幽霊が写りやすいって評判のやつを買ってみた」
「どこ情報?」
「心霊ドットコム」
「めっちゃ怪しーっ!」
直樹は陽葵の隣に立つと、カメラを操作するリモコンを握った。
「陽葵。準備はいいか?」
「ちょっと待って」
陽葵は、直樹の正面に移動する。
「これから着替えるから、直樹が一番似合ってると思う服を選んで」
そう言って、陽葵はウインドウショッピングで見た服に次々と着替えてみせた。
ターンするたびに、衣装が変わる。
ゆったりした白いニット。ワインレッドのフレアワンピース。キャメルのドロップショルダー。モスグリーンのダボっとしたパーカー。黄色のチュニック。
どれも陽葵によく似合っていた。だが、その感想が不正解なことくらいわかる。
「これで、最後」
襟元にビジューがあしらわれた鎖骨が見える水色のトップスに、レースで飾り立てられた花柄のスカート。
「それが一番、陽葵に似合ってる」
考えるよりも前に口に出ていた。口にしてから、頬が熱くなる。
陽葵は照れたように笑う。
「あたしも、これが一番好き」
直樹と陽葵は並んで写真を撮る。角度を変えたり、ポーズを決めたり、何枚も撮った。
「画像、確かめるか」
データを移して、モニターで確かめる。
直樹の横に、ぼんやりとした影のようなものが写っている気がする。
「陽葵か、これ?」
「せっかくオシャレしたのに……」
陽葵の声は明らかに落ち込んでいた。
直樹は、陽葵の存在感が高まる方法が何かないか考えた。
「手、繋いでみるか」
ポツリと呟く。
「えっ? なんで手なのっ?」
陽葵が焦ったように口にする。
「前に悪霊に襲われてる親子と手を繋いだら、俺の霊力が伝わったんだよ。陽葵に効果あるかわからないけど」
「わ、わかった。いつでも来なよっ!」
「何でそんな気合い入れてんだよ……。んじゃ、握るぞ」
直樹は何気ない風を装っていたが、心臓の鼓動が高まるのを自覚していた。
直樹は陽葵の指と自分の指を絡ませ、俗に言う恋人繋ぎをした。
「ちょっとっ。恋人繋ぎなんて聞いてないっ」
「接触面増やすためだからっ」
陽葵の手は、冷たくもなく、温かくもなく、空気のようだった。ちょっとでも気を抜けば、すぐにどこかへ行ってしまいそうで、頭の中で必死にポジティブなことを思い浮かべる。
「直樹の手、すごく優しい感じがする」
「陽葵が悪霊じゃない証拠だな。じゃ、撮るぞ」
今度こそ、写って欲しい。そんな願いを込めながら、リモコンでシャッターを切る。
データをまた移してモニターで確かめる。
「陽葵っ。ちゃんと写ってるぞっ!」
輪郭が多少朧げだが、そこには恥じらう笑顔の陽葵が写っていた。
「すごい……」
「陽葵の服もバッチ……」
よく見ると、服が透けて、下着が見えている。今日、ランジェリーショップでじっくりと見たからはっきりと覚えていた。水色にバラがあしらわれたブラ。
そういえば、赤外線カメラは盗撮にも使われることがあると聞いたことを、今更思い出す。
「直樹のえっちっ!」
「不可抗力だろっ」
「直樹はこの写真見るの禁止っ! あたしだけのものっ!」
「わかったよ……」
隙を縫って、データをコピーしようと直樹は心に誓った。
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