第19話 三十七日目

 翌朝、直樹は陽葵と朝食を取ると、出かける支度をした。


「今日もお仕事だっけ?」

「いや、今日は松下さんとデート」


 柚と話し合い、十日に一回ほどのペースでデートをすることになっていた。


「そっか……。そうだったね」

「じゃ、行ってくる」

「うん。行ってらっしゃい。楽しんできてね」


 ドアを閉める時、陽葵の笑顔に影が差した。



 今日は、柚のセレクトで、上野動物園でデートだった。

 上野駅の公園口で、柚と待ち合わせをする。


「南條さん、お待たせしましたぁ」

「俺もさっき来たところなんで」


 二人で、園内を巡る。鹿やプレーリードッグのコーナーを抜けると、ゾウが現れた。


「南條さん。知ってますかぁ? ゾウってすごく仲間想いなんですよぉ。仲間が亡くなったら、鼻で撫でて弔うんですぅ。たとえ骨になっても」

「凄いですね。人間だって、そこまで想ってくれるかわからないのに」

「優しい生き物ですよねぇ」


 少し進むと、ゴリラのコーナーに出た。


「ぷっ」


 突然、南條が吹き出すので、柚は驚いた。


「どうしたんですかぁ?」

「いや、陽葵とのやり取りを思い出して」


 直樹は、陽葵とのくだらない思い出を話す。


「バカですよね」


 穏やかな笑みを浮かべる直樹を見て、柚の表情が強張る。


「……南條さんにとって、陽葵さんはどんな存在なんですか?」

「どんなって」


 直樹は、柚の表情を見て、真剣に答えなければいけないと察した。


「あいつは、くだらない遊びを沢山思いつくんです。成仏する前にやりたかったことって言ってたけど、どこまで本当なんだか。でも、あいつとくだらない時間を過ごすのは、嫌いじゃない。馬鹿馬鹿しい時間を過ごしてると、なんだか生きるのも……」


 直樹はハッとして、自分の口を押さえた。

 今、俺はなんて口にしようとした? 生きるのも、悪くない?


「南條さんは、陽葵さんのことが好きなんですね」


 柚の静かな声。だけど、鋭く直樹の心臓を射抜いた。


「いや、陽葵は地縛霊ですよ? それに俺は自殺するつもりで」

「だったらっ! だったら、どうして陽葵さんとの時間を、そんなに嬉しそうに話すんですかっ! 南條さんは、本当はもう……」

「違います。俺は――」

「どうして陽葵さんなんですか。私だって……。私の方が……。私は生きてるのに……。南條さんと、未来を生きていけるのに……」


 柚の声は嗚咽で詰まり、それ以上、言葉にならなかった。

 直樹は、柚の肩に手を伸ばしかけて、止めた。

 陽葵のことが好きかどうか、自分ではよくわからない。だが、わからないということは、明確に否定できないということ。そんな人間が、一時の優しさを振りまくことは残酷だ。


「ごめんなさい。今日はもう帰ります」


 柚は涙声でそれだけ言うと、出口へと早足で向かっていった。

 直樹は、右手で頭を思いっきり掴む。


「何やってんだ、俺は……」

「ポコポコポコポコッ!」


 音の方向を見ると、ゴリラがドラミングをしていた。


「体育教師も怒ってるじゃねーか……」



 直樹は夕飯の食材を買ってから、アパートへ戻った。


「ただいま」

「おかえり。デート、楽しかった?」

「……いや、泣かせちまった」


 陽葵が驚いた表情になる。


「また、死にたいって言ったの? ダメだよ直樹――」

「陽葵と過ごした時間を楽しそうに話したのが、良くなかったらしい」


 直樹の言葉に、陽葵の体がびくりと跳ねる。


「そんなのダメに決まってるじゃんっ! 彼女とデートしてる時に、他の女の話とか絶対に許されないヤツッ! ギルティだよっ!」

「だよな」


 直樹は苦笑する。


「ギルティだよ? 死罪だよ? だけど……。その、嬉しい」


 最後の方は消え入りそうな声で口にしたので、直樹には聞き取れなかった。


「もう一回言ってくれ」

「ベーっだっ!」


 陽葵は、あっかんべーをすると、直樹から背を向けた。


「陽葵、お土産っ」


 直樹は陽葵に向かって物を投げた。

 陽葵の体を透過して、床に落ちる。陽葵は、床にしゃがむと、お土産を拾い上げた。


「ゴリラのぬいぐるみ?」

「陽葵の担任だろ?」

「んなわけないじゃんっ! あたしが通ってたのは、動物園じゃありませんっ!」


 陽葵は、直樹の方を振り返って抗議する。


「でも、ありがと。大切にする」


 陽葵は、両腕でゴリラのぬいぐるみを抱き抱えながら、満面の笑みを浮かべた。



 直樹は湯船に浸かりながら、柚に言われた言葉について考えていた。

 俺は、陽葵のことが好きなんだろうか?

 嫌いではない。一緒にいて飽きない。願いを叶えてやりたいとも思う。

 陽葵と馬鹿をやってる時間は、あの女のことも忘れられている。

 直樹はハッとなる。


 そうか。俺は死にたいくらい嫌なことすら、陽葵といると忘れることが出来ていたのか……。

 この感情が、「好き」じゃないなら、この世界に恋なんて存在しない。

 俺は、陽葵のことが好きなんだ。だけど。この想いを告げるわけにはいかない。

 成仏する陽葵に、未練を残すことだけは出来ない。

 直樹は、両手でお湯を掬うと、顔にかける。


「あぁ……。気づきたく、なかったな」

「何に?」

「うおっ!」


 急に陽葵の声が聞こえてきて驚く。声の方を向くと、陽葵が上半身だけ、扉をすり抜けていた。


「何やってんだよっ?」

「珍しく長湯だから、心配して見にきてあげたのに、酷い」

「もう上がるから安心しろ」

「ねぇ。一緒に入ってあげよっか?」


 陽葵がイタズラっぽい口調で口にする。


「胸を揉んでやろうか?」

「直樹の不潔っ!」


 陽葵は顔を赤くして、ユニットバスから出ていった。


「胸、揉んでみてぇなぁ」


 直樹は天井を見つめながら、ボソリと呟いた。

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