第11話 四日目④

 その後、朱霞が直樹と話がしたいというので、錦糸町の飲み屋に誘われた。

 居酒屋にでも入るのかと思っていたが、朱霞が選んだのは、アメリカ南部の雰囲気がある静かな店だった。

 カントリーミュージックが流れ、バーテンダーの後ろにはウイスキーが並んでいる。


「ここ。ウチのお気になんだよね」

「渋いのかセンス良いのか判断に迷うな」


 直樹は思ったことを、そのまま口にした。


「朱霞。もう仕事は終わりですか?」

「ゲームやりたいんでしょ? いいよ」

「感謝します」


 柊木は颯爽とスマホを取り出すと、ソシャゲをプレイし始めた。


「おにーさんは何飲む? ウチのおごりだから好きなの頼んでいいよ」

「じゃあ、ビールで」

「ジェーンさーん。いつものに、追加でビールお願い」


 ジェーンと呼ばれた日本人らしき店員が返事をする。

 すぐにジェーンが、ドリンクを持ってきた。


「はい。どうぞ。料理はもう少し待ってね」


 柊木の前に置かれたのは、ウイスキーのロック。自分の前にはビール。そして朱霞の前に置かれたのは、蛍光グリーンの炭酸飲料だった。


「いただきまーすっ」


 朱霞はテンションの高い声を出すと、ストローで謎の炭酸を飲み始める。


「あー。一仕事終えた後のこれが最っ高っ!」

「それってエナドリ?」

「マウンテンデューだよ。おにーさん知らないの?」

「知らない」

「人生百パー損してるね。飲んだ方がいいよ」


 そう言ってグラスをこちらに寄こしてくるので、直樹は一口もらった。

 柑橘系のフレーバーに濃い甘さが口の中に広がる。


「おいしいかも」

「でしょっ? マウンテンデューが飲めるお店なんて滅多にないんだから」


 それがお気に入りの理由か。


「それより俺に話ってなんだ?」

「おにーさん。ウチの仕事手伝ってみない?」


 朱霞はにっこりと笑いながらそんなことを言う。


「俺は霊力ないんだろ? 役に立てることなんて」

「ウチの仕事手伝えば、自然と霊力上がってくるから、そこは気にしなくていいよ。柊木も最初はただの一般人だったし」


 柊木をちらりと見るが、ソシャゲに集中していた。


「おにーさん。悪霊見てどう思った?」

「……正直、こんな風になるくらいなら、死にたくないって思った。すごく苦しそうで、でも自分じゃどうにもできなくて。ただ人を呪い続けるなんて御免だ」

「ウチもそう思う。悪霊はね、みんな可哀想なんだよ。誰かを恨みながら死んで、死んでからも恨み続けて。だけど、その無念が晴れることなんてほとんどない。そのうち、自我が崩壊して、自分がなんのために現世に留まっているかもわからなくなっちゃう」

「それが、朱霞さんが除霊してる理由?」


「そ。本当に除霊できる人間なんて少ないからね。最強の除霊師である朱霞ちゃんは、日夜頑張っているのだ」

「でも、今日みたいに信じてもらえないことも多いんだろ? 感謝されるだけの仕事じゃないのに、なんで」

「ウチは自分に出来ること、したいこと、すべきことをしてる。そういう風に生きるって決めてるんだ」


 そう言い切る朱霞の姿は、直樹には眩しすぎた。焼け焦げてしまうほどに。


「俺には――」

「ウチには、おにーさんも本当はそうしたいって思ってるように、視えるけど?」


 朱霞に言われ、言葉を紡げなくなった。代わりに、ビールをあおる。

 俺が本当にしたいこと。

 でもそれは、あの女に否定された。


「あと、おにーさんを誘ってるのは、陽葵おねーさんのためでもあるんだよね」

「陽葵に何の関係が?」

「陽葵おねーさんは特殊すぎる。多分、分裂した存在がどこかにいて、そっちはもう怨念と化してる。おねーさんを早く除霊してあげないと、何が起こるかわからない。そんで、おにーさんが、存在が薄い陽葵おねーさんを視れるのは、きっと何か意味がある。おにーさんにしかできないことがあるはずなんだよ」


 朱霞は真剣な表情で語りかけてくる。


「俺にしかできないことって言われても」

「陽葵おねーさんを成仏させる方法はウチが見つけるから、その間、おにーさんは陽葵おねーさんと一緒にいてあげて欲しい」


 朱霞の提案は、俺に生きろと言っているに等しい。


「一つ条件がある。陽葵が成仏した後に、俺は自殺をする。その時にもしも悪霊になったら」

「いいよ。ウチが除霊してあげる」


 朱霞は憐憫を込めた瞳で、直樹を見つめた。

 その後、料理が運ばれてきた。BBQソースがたっぷりかかったスペアリブ。

 骨の部分を手で持って、かぶり付く。スパイスの効いた肉に、甘酸っぱいソーズが相性抜群だった。


「どう? いけるっしょ?」

「なんて言うか、本格的って感じがする」

「ここの店主がテネシー出身なんだよね」


 そう言った後、朱霞は、柊木のスマホを取り上げる。


「澪ちゃんっ!」

「食事中はゲーム禁止っ!」


 柊木は嘆息すると、白狐の仮面を外して、ウイスキーを口にする。

 その顔は、直樹が知ってるどんな芸能人よりもイケメンだった。

 パッチリとした二重。切長のまつ毛がキリリとした目を優しく包む。整った鼻。

 ユニセックスな雰囲気を纏いながらも、どこか男らしさを感じさせる。


「柊木さんってめっちゃイケメンなんですね。なんでお面被ってるんですか?」

「自分の顔が嫌いだからです」


 予想外の答えが返ってきて、直樹は驚いた。こんなにビジュアルに恵まれていて、何の不満があるんだ?

 直樹の疑問を汲み取ったかのように、朱霞が口を開く。


「柊木はモテすぎて、苦労してきたんだよ」

「ストーカーとかそういう?」

「小学校四年生の時に、学級崩壊が起きました。私がモテすぎたせいで。中学、高校は学校にいるほとんどの女子が私を好きになり、女子同士が醜く争い、男子からは恨まれ、散々な学生生活を送る羽目になりました。高校の卒業式はボタンどころか、制服まで剥ぎ取られて、トランクスだけで家に帰ったんです」


 モテエピソードがおかしい。フィクションでも聞いたことないぞ、そんなの。


「社会人になってからは、南條さんが仰ったようにストーカーにも悩まされるようになりまして、まともに働くこともできなくて。そんな時に朱霞に助けられ、そのままアシスタントになりました。この仕事なら仮面を被っていても許されますので」

「モテるって怖いんですね……」

「その点、二次元美少女はいい。私のことを、外見で判断したりしない。私を取り合うこともない。純粋に心と心の繋がりで結ばれる」


 柊木はウイスキーで喉を潤しながら、だんだん饒舌になっていく。


「澪ちゃんっていう子が好きなんですか?」

「ちょっとおにーさんっ」


 朱霞が遮ろうとするが、柊木が身を乗り出す。


「『ヘブンリーブルー』の久遠澪です。澪ちゃんはクールで、なかなか心のうちを明かしてくれないんですが、その内側はとても情熱的なんです。特に歌に関しては、どこまでもストイックで。南條さんは知ってますか、ヘブぐっ」


 朱霞がスペアリブを柊木の口に突っ込んで、物理的に話を遮った。


「おにーさん、柊木にゲームの話振るの禁止だから覚えといてっ! マジでいつまででも喋るから」

「わ、わかった」


 その日は、朱霞たちとLINEを交換し、別れた。朱霞からもらったバイト代は五万円で、こんなに貰えないと伝えたら、陽葵と過ごすお金に使って欲しいと返された。



 直樹が帰宅すると、エプロンを身につけた陽葵が立っていた。


「お帰りなさい、あなた。お風呂にする? ご飯にする? それとも」

「いや、陽葵はご飯作れないし、陽葵に触れないだろ。風呂一択じゃねぇか」

「あたしに触りたいなんて、直樹の、え・っ・ち」

「触れないって言っただけで、触りたいなんて言ってないっ!」

「そういうことにしといてあげるか」


 陽葵はワンピース姿に戻ると、浮遊しながらテーブルの近くへと移動する。その背中を見つめながら、直樹は朱霞に言われた言葉を思い出す。


「……陽葵、肉食べるか」

「牛丼っ?」


 陽葵は目を輝かせながら振り返る。


「BBQのスペアリブ」

「食べるっ!」


 陽葵が勢いよくキッチンへと移動し、割り箸を持ってくる。


「どんだけ食べたいんだよ」


 直樹は呆れつつも、一本持ち帰らせてもらって良かったと、心の中で思った。

 テーブルにスペアリブの入ったフードパックを置くと、直樹は箸を刺した。


「おいっしーっ! 香ばしくてスパイスの効いたお肉に、甘酸っぱいソースの相性がバッチリッ!」


 陽葵が自分と全く同じ感想を抱くものだから、直樹は思わず陽葵を見つめてしまった。


「どしたの?」


 陽葵がキョトンとした表情で聞いてくる。


「いや、俺と同じこと言うんだなって思って」


 すると陽葵はニンマリ笑う。


「嬉しいね」

「え?」

「誰かと同じ気持ちになれるって嬉しいよね」

「そう、かもな」


 心がむず痒くなる。なんだこのふわふわした感覚は。一つだけ確かなことは、俺は持たない方がいい気持ちってだけだ。


「風呂入ってくる」

「あたしが覗けないタイミングを狙うなんて卑怯な」

「だから、逆だろっ!」


 明日からも陽葵と過ごすことが決まって、自分の決心が鈍るんじゃないか。それだけが直樹を不安にさせた。

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