第8話 四日目①

 翌日の十一時五十分に、直樹は渋谷ヒカリエデッキへ着いた。

 朱霞は若い女性ということしかわからない。十二時になったら、電話をかけよう。

 そう思っていたら、隣の男に妙な雰囲気を感じた。


 思わず横を向くと、その男はスーツの上にビジネスコートというキッチリした格好にも関わらず、白狐のお面を着けていた。

 えっ? 何この人。


 スーツと白狐のお面という奇異な組み合わせ。なのに、何故か物凄く様になっている。

 スラリと伸びた体躯に、程よい筋肉。何となくだが、モテるオーラを感じる。

 それを証明するように、周りの女性がチラチラと振り返っている。

 いや、それは風変わりな格好のせいか。

 だが、男は周囲の視線など全て無視して、スマホでゲームをするのに熱中していた。

 いやいや、あまり他人を凝視するなど失礼だと、正面を向いた時のこと。

 視界が赤く染まった。


「おにーさんが、南條さん?」


 直樹に話しかけてきたのは、赤いスカジャンに紺色のプリーツスカート。黒のローファーを身に付けた十代らしき少女。

 そこまでなら、まだ普通だ。問題なのは、ミディアムの長さの真紅の髪に、赤い瞳。

 赤すぎる。


「もしかして、朱霞さんですか?」

「そう。ウチが朱霞。よろ」


 名は体を表すってレベルじゃねぇぞっ。


「よろしくお願いします。っていうか、何で俺だって分かったんですか?」

「ここにいる人間で、一番霊の気配が強かったから」


 そう言って、朱霞はくるりと周囲を見渡す。

 さすが、最強の除霊師。


「じゃ、詳しい話聞きたいから、ご飯食べに行こっか」

「わかりました」

「行くよ、柊木っ」


 朱霞が、直樹の横の男に声を掛けたので、直樹は驚いた。


「え? この人も関係者なんですか?」

「そう。ウチのアシスタント」


 だが、柊木と呼ばれた白狐の男は、それでもゲームを続けていた。


「ちょっと、柊木っ!」

「……」


 柊木はゲームを止めない。すると、朱霞は、ローファーの爪先で柊木の脛を思い切り蹴った。


「っ!」


 柊木は崩れ落ちた。スマホが地面に落ちる。画面には、アイドル衣装を着た少女が写っていた。


「あぁっ! 澪ちゃんっ!」


 柊木はスマホを赤子のように大切に抱え込む。


「澪ちゃん、ごめんね。きみを傷つけるつもりなんてなかったのに」


 言ってることは気持ち悪いが、声がメチャクチャイケボだった。


「柊木っ。仕事中はゲーム禁止っつったろっ!」

「失礼した」


 柊木はそう言うと、スマホを背広の内ポケットにしまった。


「じゃ、改めて行こうか、おにーさん」


 南條に背を向けて歩き始める朱霞。そこで、朱霞が後ろ髪をリボンの形に結ってることに気づいた。リボンは三つ。しかもリボンの形をした部分だけ髪の色が黒い。器用だな。

 突飛な格好の二人だが、何か意味があるのだろうか?

 そんなことを考えながら、直樹は朱霞の後を歩く。



 朱霞のチョイスで、メキシコ料理店に入ることになった。


「じゃあ、詳しく話を聞きたいところなんだけど、その前に一個いい?」

「何ですか?」


 朱霞が胡乱げな目で、南條に問いかける。


「おにーさん、自殺するつもりでしょ。それなのに何で除霊なんてしようと思ってんの?」


 直樹は驚きのあまり、瞳孔が拡大した。


「どうしてそれを」

「ウチ、除霊師って言われてるけど、生きてる人間も色々視えるんだよね。人は無意識に思念を飛ばしてる。それで、その人が何を考えてるかとか、なんとなくわかっちゃうんだよね」


 朱霞の能力は本物だ。


「確かに、俺は自殺したいと思ってます。そんな時に地縛霊に出会って、しかもそいつは、この世に未練なんてないって言うんです。死んだ後に、もしこの世に留まることになったら最悪だと思って、それで地縛霊を除霊したいと思ってます」

「ふーん。未練がないなんて嘘だと思うけどね。まぁ、とりあえず理由はわかった。でも、ウチ高いよ?」


 最強の除霊師と言われるくらいだ。覚悟はしている。


「おいくらですか?」

「二百万」

「にっ、にひゃくっ?」

「って言ってやるつもりだった。おにーさんを自分の目で見るまでは」


 朱霞がイタズラをする猫のように、目を細めて笑う。


「とりあえず、家に行ってみてだね。大した霊じゃなきゃ、十万でいいよ」

「どうして、そんなに安くしてくれたんですか?」

「悪霊に取り憑かれる人って、基本的に悪人なんだよね。悪いことやってるから、霊に祟られるの。そういう奴からはふんだくるって決めてるんだけど、おにーさんは悪人じゃないから」

「朱霞さんは、この世に留まっている霊は、悪霊か悪霊になりかけてるって仰ってましたけど、それって」

「ちょっとたんま。おにーさん、ウチに敬語使わなくていいから。女子高生相手に使うようなもんじゃないでしょ」


「それじゃあ。陽葵、これから除霊してもらう霊の名前だけど、陽葵は悪霊とは思えないんだ。善良な霊っていないのか?」

「断言する。いないよ。この世に、深い未練や後悔の念、恨みつらみがある死者だけが、この世に留まることができる。善良な死者は、一人残さずあの世に行ってる」

「あの世って、天国?」

「天国や極楽浄土だって言う人もいるし、輪廻転生の輪に組み込まれるって言う人もいる。ウチは特定の宗派に属してるわけじゃないし、自分の目で見たわけじゃないから、どんなところかは知らない。でも、この世に留まるより幸せな場所なのは確か」

「どうして?」


「死んだ後も現世に留まるっていうのは、呪縛だからだよ。魂が、鎖で繋がれてるようなもんなの。時間が経てば自我が崩壊して、怨念をまき散らすだけの存在に堕ちていく。そんなの、可哀そうでしょ」

「じゃあ、なんで陽葵は地縛霊に……」

「現世に未練があるんだろうね。それが何かは知らないけど」

「あいつは生前の記憶はないって言ってた。それと何か関係が?」


 直樹の言葉を聞いた瞬間、朱霞の目が鋭く光る。


「生前の記憶がない? そう言ったの?」

「ああ」


 朱霞は、椅子の背もたれに体重を預けると、腕を組んだ。


「解せない。どう思う柊木?」

「南條さんを騙すための嘘、と考えるのが一番自然な気がします」


 垂直に座っていた柊木が、静かなバリトンボイスで答えた。

 本当にイケボだなこの人。って、そうじゃない。


「いや、陽葵に限って、ありえない。あいつはいつだって明るくて、アホで、本当に……いい奴なんだ……」


 直樹は、うつむきながら反論した。


「まぁ、ここで言い合ってても仕方ないか。直接視ればすぐわかることだし」


 そう言って、朱霞はタコスにかぶりついた。

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