第7話 三日目②

 アパートの鍵を開けて、部屋へ入る。


「あれ? もう帰ってきたの?」

「ああ」

「てっきり、意気投合して、そのまま一夜明かしてくるかと思ったのに」

「初デートでどんだけ盛り上がったなら、そうなんだよ」


 陽葵が首を傾げながら、こっちに近づいてくると、直樹の顔をじっと見つめる。


「あたしが恋しかった?」


 陽葵はくるりと回転して、フリルが付いた水色のベビードールに着替える。

 普段着であるノースリーブのワンピースと、そんなに布面積が変わらないのに、背徳感がヤバい。


「だから痴女っ!」

「だって、直樹元気ないんだもん。あたしと離れて寂しかったのかなぁって」

「そんなわけないだろ」

「でも元気ないのは本当でしょ? 柚ちゃんにフラれちゃった?」

「それならどんなに良かったか」

「おっ? モテてる自慢か? あたしに勝てると思うなよ?」


 陽葵は口で「シュッシュッ」と言いながら、シャドーボクシングのように両方の拳をこちらに打ち込んでくる。ベビードール姿でそんなことをするものだから、たわわに揺れる。


「自慢してみろよ」


 木星の重力に逆らうように、全力で視線を陽葵の顔の位置まで上げる。


「中学の時に、下駄箱に大量のラブレターが」

「いつの時代だよっ!」

「まぁ、生前の記憶ないから嘘なんだけどねー」

「ったく」

「で、何があったのさ」


 腰に手を当てながら陽葵が聞いてくる。胸を張るな、胸を。


「その前に着替えろよ」

「嬉しいくせに素直じゃないなぁ」


 そう言いながら、陽葵は回転して、白のノースリーブワンピース姿に戻る。


「はい。着替えたよ」


 直樹は床に座ると、俯いた。


「そんな一生懸命、脳に焼き付けなくても、また見せてあげるってば」

「違うっ」


 この性格だ。陽葵は話すまで絡み続けるだろう。直樹はため息を吐くと、デートであったことを話した。


「何で人助けして落ち込んでんの? 意味わかんない」

「俺が助けることに、意味なんてないからだよ」

「ふーん。なるほどねー。段々見えてきたよ、直樹がなんで死にたかったのか」

「そりゃどうも」

「直樹はさ、自分の物差しだけで考えすぎなんじゃない?」

「人間なんてそんなもんだろ」

「んー、あたしはちょっと違うかなぁ。生きるって誰かと関わることだし、自分の見え方が真実じゃないと思うんだよね」

「俺には、よくわかんねぇ」



 直樹はコインランドリーで衣類を洗濯した後に、牛丼屋で夕飯を買って帰った。

 陽葵の分を紙皿に分けて、テーブルに置く。


「牛丼だぁっ! いただきますっ!」


 直樹がご飯に割り箸を立てると、陽葵がうっとりとした吐息を漏らす。


「ヤバッ。牛肉美味しいー。ご飯も汁が染みてていいっ!」

「陽葵は、牛肉が好きなのか?」

「牛肉嫌いな人なんていないでしょ? だって『チキンオアビーフ?』って言葉があるくらいだよ?」

「待て待て。チキンかビーフを選べることと、牛肉嫌いな人間がいないことに何の関係がある?」

「直樹知らないの? 『お前は、チキンのままでいるのか? それともビーフを食ってタフになるのか? 選べよボーイ』って意味なんだよ、あれ」

「ウッソだろ。正気で言ってんのか?」

「牛肉は最高だなぁ」

「聞いてないし……」


 寿司も考えたけど、取り分けるのが大変そうだったから牛丼にしたのだが、喜んでるならいいか。

 直樹は、陽葵との最後の晩餐を味わった。



 *



 深夜二時。陽葵は三角座りのポーズで、空中でゆっくりと回転していた。

 直樹は寝ている。静かな呼吸音が、直樹が生きていることを証明している。


「明日で終わっちゃうのかなぁ」


 陽葵の声は微かに震えていた。


「楽しかったんだけどなぁ。直樹にとっては……。ううん。きっと違うんだ」


 直樹から聞かされた話を思い出す。

 人のために動ける直樹。地縛霊の自分に構ってくれる直樹。そんな直樹にとって、マッチングアプリで騙されたことは、きっとすごくショックなことだったんだ。それまでの自分の生き方を否定されたようで。


「痛いなぁ……」


 膝に顔を埋める。


「心が、痛いよ……」



 *

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