第4話 二日目②
もう少しで十七時になろうという時刻、日が沈みかけた時に坊さんが現れた。
五十代半ばといったところだろうか。体がでっぷりとしていて、貫禄がある。眉間に刻まれた皺の数が、これまで除霊した数を物語っている気がした。
「影杜天元と申します」
「南條直樹です。よろしくお願いします」
影杜は玄関から足を一歩踏み入れた瞬間、体を大きく震わせた。
「こ、これは……。なんて強力な霊でしょうか。私がこれまで除霊してきたどんな悪霊よりも手強い……」
「そうなんですか?」
「一刻も早く除霊しないと、あなたに危害が及びます。このまま除霊に入りたいところ、なのですが」
「はぁ」
「タイミングが悪い。もうすぐ陽が沈みます。すると霊は力を増してしまうっ」
「そうなの?」
直樹は陽葵に尋ねる。
「別に変わらないけど」
「本人、変わらないって言ってますけど」
直樹の言葉を聞いた瞬間、影杜は両目をカッと見開く。
「あなたは今、霊と会話したのですか? それは非常に不味い。霊は自分が見える相手に言葉巧みにつけ入り、取り憑こうとするのです」
「そんなことしないってばーっ! あたし、そういうの興味ないもんっ!」
「違うみたいですけど」
直樹の言葉に、影杜はわなわなと震える。
「あなたは霊の怖さを分かっていないっ。すでに心を支配されかけていますっ。強制除霊が必要ですっ!」
「強制除霊って、普通の除霊と違うんですか?」
「通常よりも霊験あらたかな道具を使わせていただきます。ただし、その代わりお値段の方が少々……」
「どのくらいですか?」
「五十万になります」
聞いた瞬間、直樹は顎が外れそうになった。
「ごじゅっ! はぁっ? 元々が二万ですよね? なんでそんなに」
「あなたの身に危険が迫っているのですっ。下手をすれば今夜にもっ。今すぐやらないと、後悔しますよっ」
陽葵が直樹に近づく。
「このおっさん、詐欺師なんじゃないの? 帰ってもらった方がいいって」
直樹もだんだん胡散臭く感じていた。選択肢を狭めて急かす感じ。前にも経験したことがある。
だが、自分が除霊に関してど素人なのもまた事実。本当に除霊が出来るのであれば、払う価値はある。
「ちなみに影杜さんには、この家の霊がどんな風に見えてますか?」
影杜は深呼吸をすると、聞き取れないほど小さな声で囁き始めた。
「若い……、若い女」
直樹は影杜の言葉に驚く。この男の力は本物かもしれない。
「長い……、腰まで伸びた黒髪。顔は前髪に隠れていて見えませんが、こちらへの敵意を感じます」
直樹は隣にいる陽葵を見る。
セミロングの栗色の髪の毛を、くるくると指先でいじっている。その表情は退屈そうだ。
「すみません。五十万は大金なので、簡単には決められません。二万円で出来る範囲でいいので、除霊してみてもらえませんか?」
陽葵の眉が吊り上がった。出会ってから初めて見せる怒りの表情だ。
「ちょっと直樹っ! 本気で言ってるっ? あたしがそんな女に見えるっていうのっ?」
「思ってないよ。でも出来ることは試してみたいんだ」
「すぐに信じられないのは仕方ありません。ですが、霊と話すことは止めることを強く勧めます。では、早速除霊に入りましょう」
影杜は部屋に地蔵菩薩の像を置くと、その前に正座した。
「オンカカカビサンマエイソワカッ! オンカカカビサンマエイソワカッ! オンカカカビサンマエイソワカッ!」
そして合掌礼拝をする。
「彷徨える魂よ。地蔵は願う。自ら進む道を見つけ出すことを」
直樹が横を向くと、陽葵は欠伸をしながら影杜を見ていた。
「成仏できそう?」
「何も響かない。これなら美味しいご飯食べた方が万倍マシ」
「影杜さん。本人、成仏できないみたいです」
影杜は立ち上がると、直樹を睨みつけた。
「あなたは何なんですかっ? 除霊を頼んでおきながら、霊の言葉を信じるなどっ!」
「それは……」
「女は恋人に殺されているっ! それで男性に対して、異常なほどの悪意を抱いているんだっ! あんたは呪われてるんだよっ!」
「あたしが――」
「陽葵がそんなことするわけないだろっ!」
「な……」
直樹の咆哮に影杜が慄く。
「冷めたご飯でも嬉しそうに食べる奴がっ! 俺が自殺するのを止めるような奴がっ! 俺を呪ったりするもんかっ!」
直樹は影杜に一歩近づく。
「約束通り二万はお支払いします。その代わり、陽葵に謝ってください」
「直樹……」
「あ、あんたおかしいよ……。もういい。私は帰らせてもらう」
直樹は、財布から一万円札を勢いよく三枚取り出すと、影杜に無理やり握らせる。
「陽葵に謝ってくださいっ」
影杜は視線を下に向け、唇をぶるぶると震わせる。
「その……、すまなかった」
「ありがとうございます」
影杜は草履を履くと、振り返って直樹を見据える。
「あんた、本当に見えてるのか?」
「ええ」
「陽葵とかいう女性を除霊したいのか?」
「まぁ」
「なら、こいつに連絡を取ってみるといい」
そう言って、影杜は一枚の名刺を取り出したので、直樹は受け取った。
「これは?」
「最強の除霊師だ」
それだけ言うと、影杜はドアを開けて出て行った。
直樹は陽葵と一緒に夕飯を食べながら、テーブルの真ん中に置かれた名刺をじっと見ていた。
深紅に染められた紙に、細めの明朝体で「朱霞(Syuka)」と名前らしきものと携帯の電話番号だけ書かれている。
「あのおっさんのこと信じるの?」
「確かにあの人は胡散臭いと思ったよ。でも、この名刺を渡したときの表情は、嘘じゃない気がする」
「最強の除霊師って肩書、カッコいいねっ」
「中二臭いけどな」
「言えてる。ねぇ、直樹」
「なんだよ」
陽葵が妙に神妙な声を出すので、直樹は思わず構えてしまう。
「さっきは、ありがと。嬉しかった」
「思ったことを言っただけだ。陽葵のためじゃない」
「謝罪してもらうために、一万円も上乗せしたのに?」
「えっ?」
慌てて、財布の中身を確認する。確かに一万円少ない。
「私のために、貴重なお金を使ってくれるなんて嬉しかったなぁ」
しおらしい言葉とは裏腹に、ニヤニヤと笑う陽葵。
「勢いで渡したから枚数数えてなかったっ! 気づいてたなら、なんで教えてくれなかったんだよっ」
「いやいや、一度渡しといて一枚戻してもらうなんて、そんなカッコ悪いこと直樹には似合わないよ」
「いいんだよカッコ悪くてっ。どうせ死ぬんだからっ」
「生きてれば、きっと楽しいことがあるのに」
その言葉で、ふいに中学生の時の自分を思い出す。
あの時、自分も似たようなことを言った気がする。
「そんな言葉で、死にたがってる人間を救えるわけないだろ」
「もー。元気ないなぁ。おっぱい揉む?」
そう言って、陽葵は自分の胸を両手で持ち上げる。
「どんだけ痴女なんだよっ」
「あははっ。ほら、生きてたら楽しいことあるでしょ?」
「いや揉めてないから」
「えっ? 本気で揉みたいの? それはちょっと……」
「自分から提案してきて引くなよっ」
直樹は大きなため息を吐くと、名刺を手に取る。書かれている番号にかけると、十秒ほどして繋がった。
「あんた誰?」
女性の声だ。しかも、かなり若い。
「南條直樹と申します。影杜天元さんに名刺をもらいまして」
スマホ越しに舌打ちが聞こえる。
「クソ爺。で、何? 本物の悪霊かなんか?」
「いえ、悪霊ではなく、ただの地縛霊なんですけど、除霊をお願いしたくて」
「あのねぇ。ただの地縛霊なんていないの? この世に留まってる霊は二種類しかいない。悪霊か悪霊になりかけてる幽霊か」
「はぁ……」
「まぁいいや。おにーさんどこ住み?」
「東京の墨田区です」
「明後日の昼に渋谷まで来れる?」
「大丈夫です」
「じゃ、十二時にヒカリエデッキで待ち合わせ」
それで通話は切れた。
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