第3話 二日目①

 直樹は起きると、コンビニへ行って惣菜パンとオレンジジュースを買ってきた。

 死ぬためにこの物件に引っ越してきたから、食料すらない有様だ。

 パンをもしゃもしゃと食べていると、陽葵がジッと見つめてくる。


「なんだよ」

「美味しそうだなぁと思って。死んでから、何も食べてないんだよー」

「そりゃそうだろ」

「あたし、ずっと考えてたんだけどさ。ご飯に箸を立ててくれたら、幽霊でも味わえるんじゃないかな」


 陽葵が瞳をキラキラさせながら訴えかけてくる。


「箸がない」

「そこにストローがあるじゃん?」

「いや、ストローは箸の代わりにならないだろ」

「試すだけならタダじゃん? ね? お願いお願いっ」


 両手を合わせて必死におねだりしてくる。


「はーっ」


 直樹はため息を吐くと、千切ったパンにストローを垂直に刺した。


「んーっ!」


 陽葵が叫ぶ。


「どうした?」

「匂いはするけど、口の中に入ってこないっ!」

「どんまい」

「これじゃ生殺しだよー。匂いがするせいで、余計にお腹減ってきた」

「幽霊って食欲あるの?」


 直樹の質問に、陽葵は目を丸くする。


「あるわけないじゃん。人間の三大欲求はないよ。残念だったね」

「そういうつもりで聞いたんじゃないっ」


 直樹はオレンジジュースを飲み干すと、立ち上がった。


「またどっか出かけるの?」

「いや、陽葵を除霊する」

「えー、まだ死ぬの諦めてないの?」

「当たり前だろ。松下さんには悪いけど、俺は必ず死んでみせる」

「そもそも、コンビニに除霊グッズなんて売ってなくない? 何買ったの?」


 直樹はコンビニの袋から瓶を取り出すと、陽葵に見せつけた。

 陽葵は怪訝な顔をしながら瓶のラベルを見つめる。


「塩?」

「やっぱり、お清めといったら塩だろ」

「別にあたし悪霊じゃないんだけどなー」

「いいからやるぞ」


 そう言って、直樹は瓶の蓋を開けると、陽葵に向けて振りかけた。


「ぐっ……」


 陽葵が苦悶の表情を浮かべる。これはいける!

 直樹は何度も塩を振りかける。シャカシャカという音が部屋に響き渡る。


「うぐぅ……」


 うずくまる陽葵。効いてるぞ!

 そして瓶の中が空になる。


「どうだ? 成仏しそうか?」


 すると、陽葵はスッと立ち上がって、肩をすくめる。


「するわけないじゃん」

「なんで演技なんかするんだよっ! 無駄に塩振り撒いちゃったじゃねぇかっ」


 すると陽葵はムスッとした顔をする。


「女の子に向かって塩振りかけるとか、ありえないし」

「ゆ・う・れ・い・に、かけたんだよっ。床が塩まみれとかどうすんだよっ」

「掃除用具買ってこなきゃだねー」

「それは後だ。次行くぞ次」


 そして直樹は袋から線香とライターを取り出す。続いて、キッチンでオレンジジュースのパックに水を張ると、そこに線香を入れて、火をつけた。


「お線香って除霊グッズなの?」

「穢れを祓ったり、故人を供養する効果があるって聞いた」

「ふーん。あっ!」

「効いたか?」

「ううん。お線香は匂い感じるんだなぁって。なんだか懐かしい」


 足を伸ばして座りながら、のほほんとした顔つきになる陽葵。

 こりゃダメだな。

 スマホで除霊について調べると、お経を唱えるというものがあった。

 次はこれを試そう。直樹はMetubeでお経の動画を検索すると、再生を始めた。


「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊。皆空。度一切苦厄」

「直樹。これ凄いよっ!」


 陽葵のテンションが高いので、除霊の効果がないことを一瞬で理解する。


「……何が?」

「肩こりがほぐれるぅ……」

「マッサージじゃねぇんだよっ!」


 直樹は動画の再生を止めた。


「もっと聞いてたかったのにぃ」


 直樹は、両手で頭をガシガシと掻く。


「どうすりゃいいんだっ」

「やっぱプロに頼んだほうがよくない?」

「なんで陽葵が積極的なんだよ……」

「楽しいからっ!」


 笑顔がキラキラしている。青春かよ。


「プロって、いくらくらいするんだろ」


 直樹はスマホで「東京 除霊 出張」というキーワードで検索する。


「死ぬならお金の心配しなくて良くない?」

「ちゃんと特殊清掃代は残しておかなきゃダメだろ」

「変なところで真面目だねぇー」

「あ、二万で家に来てくれる人がいる」


 他のサービスと比べて安めだ。しかも、口コミも悪くない。

 直樹は早速電話することにした。


「はい。こちら影杜寺院です」

「すみません。出張除霊をお願いしたいんですが」


 電話で軽く事情を話したところ、坊さんが夕方に来てくれることになった。

 その後、直樹は掃除用具と昼ごはんを買いにスーパーへと出かけた。



 玄関の鍵を回して、ドアを開くと、中にいた陽葵がこちらを向いた。


「おかえりー」

「た、ただいま」


 自分が発した言葉で、胸の奥が微かに熱くなる。直樹は、その感覚を無視するように、勢いよく部屋の中へと入った。

 床に散らばった塩を拭き取ると、昼ごはんを食べることにした。キッチンでご飯とおかずを少しずつ紙皿に盛り付ける。


「陽葵。惣菜の弁当だけど、食べるか?」

「いいのっ?」

「物欲しげな顔をされるのが嫌なんだよ」


 顔を背け、ぶっきらぼうに口にする。


「直樹は良い男だなぁ」


 弁当と紙皿をテーブルに置く。床に座ると、割り箸を紙皿に載せたご飯に垂直に突き刺す。

 次の瞬間、陽葵の瞳が宝石のように眩く。


「味がっ! 味がするっ! お米美味しいよぉ」


 陽葵を見ると、大粒の涙をポロポロと溢していた。


「いや、米くらいで泣くなよ」

「直樹は分かってないっ! 食事は心の栄養なのっ! ご飯食べると元気になるんだからっ!」


 直樹は口に米を入れる。米粒は冷えていて、ボソボソとしていた。それなのに陽葵は泣くほど喜んだのだ。

 弁当、温められれば良かったな。


「ねぇねぇ」

「どうした?」

「おかずの味がしないんだけど」

「しないんだけどって言われても……」

「多分、箸が刺さってるところだけ味わえるんだと思うんだよね。卵焼き刺してくれない?」


 言われるがまま、箸を抜こうとして、陽葵が遺書を自力で開封したことを思い出す。


「ポルターガイストの力使えばいいじゃん」


 すると陽葵は、半目で口を半開きにした。


「あれ疲れるからヤダ」


 こいつ……。


「卵焼きっ! 卵焼きっ!」

「わかったよ」


 直樹は箸を抜くと、卵焼きに箸を刺し直した。


「甘くて美味しー。あたし、だし巻き卵派なんだけど、甘い卵焼きもいいよねぇ。直樹はどっち派?」

「俺もだし巻き卵派」


 すると、陽葵はひまわりのような笑顔を浮かべた。


「あたし達、うまくやれそうだね」

「卵焼き一つで何言ってるんだよ。それに」

「それに?」

「なんでもない」


 お前は今日成仏するんだから。その言葉を飲み込むように、弁当をかき込んだ。

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