森の端でぷいぷいオーク

@ponpen8

第1話出会い

朝露がまだ葉先にしがみつく頃、老人――槙は、小さな畑の畝を鍬で割っていた。

 街での仕事を引退してもう十年。電波も届かぬ深い森で、彼は土とだけ言葉を交わして暮らしている。

 今日も芽吹いたばかりの人参の苗を指先でそっと起こしながら、独りごちた。


「おまえさんも、ここで大きゅうなりな」


 風が答えるように揺れ、木漏れ日が土の粒に光を落とす。

 ほのかな音楽のような静けさ――それが槙の日常だった。



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 その平穏を、突然「ぷいぷいっ!」という甲高い声が破った。


「ほげっ⁉」

 振り向くと、畝の向こうで葉っぱを頭に乗せた黄桃色の生き物が跳ねている。

 短い牙、丸い耳、つぶらな瞳――それはダンジョンでしか見たことのない“オーク”のような若者だった。


「ぷい…ここ、どこぷい?」

「どこって……わしの畑じゃ。おぬし、森で迷ったのか?」


 若者は小首をかしげ、尻尾の先をくるりと回す。

「ぷいぷいオーク族のポコ。ちょうちよを追いかけてたら、道なくなったぷい」


 言葉の端々が愛らしく、槙は笑みをこぼした。

「そりゃ災難じゃな。腹は減っとるか、ポコ」


「……ぷい(こくり)」



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畑の端の即席ごちそう


 槙は掘りたての新じゃがを洗い、焚き火にくべた。

 バターを落とし、庭のローズマリーを添えて香りを立たせる。

 湯気が甘い匂いを運ぶと、ポコの鼻がぴくぴくした。


「熱いから気をつけ――おっと」

 ポコは舌を火傷し、“ぷぅ……”と情けない声を漏らす。

 槙は冷ました芋を半分に割り、真ん中に塩をひとつまみ。


「こうしてな、ゆっくり噛むんじゃ」

「……ほくほくぷい! あまいぷい!」


 ポコは尻尾をばたばた揺らし、頬をまん丸にふくらませた。

 その様子に、槙の胸もふくらむ。森で誰かと食卓を囲むのは久しぶりだ。



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ぷいぷい問答


「ポコ、ぷいぷいオーク族ってのは、森の奥に住んどるんか?」

「うんぷい。けど、ひとと会うと逃げろって教わったぷい」

「どうしてじゃ?」

「人間こわいって。牙も爪もないのに、心が痛いことするから、って」

 ポコは指ですっと心臓のあたりをなぞる。


 槙は土色の皺だらけの手を見つめた。若い頃、都会で働き詰めだった頃――

 便利と早さを追うあまり、確かに誰かの心を痛めたことがあった気がする。


「わしはもうこわくないかい」

「……マキじいは、あったかい土みたいぷい。すきぷい」

 オークの頬がほんのり桜色に染まる。



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夕暮れの約束


 陽が傾くと、森の奥から「ぷいぷいぷい!」と呼ぶ声が聞こえた。

 ポコは跳ね上がり、尻尾を振って答える。


「みんな探してるぷい。そろそろ帰るぷい…でも」

「ほれ、これを持ってけ」

 槙は籠いっぱいの間引き大根と、ジャガイモを包んで渡す。

「煮ても焼いても旨いぞ。みんなで食べなさい」


 ポコは目を丸くし、深くお辞儀をした。

「ありがとうぷい。また来てもいいぷい?」

「いつでもおいで。畑仕事は手が足りん。手伝ってくれれば助かるわい」

「ぷいっ!」


 オークは弾むように森へ戻っていった。

 夕焼けの下、残された槙の影は少しだけ小さく、けれど輪郭が柔らかく見えた。



---


 夜、囲炉裏の火を見つめながら、槙は呟く。


「この歳でまた、わくわくしとるのぉ」


 森の静寂の中、遠くで微かに聞こえる――「ぷいぷいっ!」

 それは新しい季節の始まりを告げる、小さな鐘の音のようだった。


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