第3話 気づいたらよくある話?
「恋したことはある?」
問いかけに「ある」と答えるのが正解かもしれない。だけど、僕が知りたいのは、人と人の間にある“普通”の痛みなのか。
「知らない天井だ」──目覚めると、見知らぬ部屋の薄暗い蛍光灯が揺れていた。
意識の隅で、宝くじのことを思い出す。財布にしまったままの三枚。確認のため、あの売り場へ向かった──はずが、そこには別の店があるだけだった。
その夜、机の上の財布を開くと、千円札が何枚も増えていた。
「下ろした覚えはない」
増えた分を使っても、翌朝にはまた戻っている。無限増殖──。
恐怖と好奇心が入り混じり、僕は深夜、再び売り場跡へ向かった。
看板は光を失い、ただのシャッターが閉ざされている。貼り紙一枚──「異世界招待券取扱店 近日改装中」。
手にした三枚を握りしめると、胸の奥がひりついた。欲望は静かに膨張し、理性を蝕む。
「これは、願いを叶える代価かもしれない」
帰路、スマホが震えた。画面には見知らぬ番号。
――「あの日、券を渡したのは君だね?」
低く響く声は、確信に満ちていた。
僕は立ち尽くし、硬直した指先で通話ボタンを押せずにいる。
無限の札束よりも、背後で蠢く“何か”の存在が断然、恐ろしいのだ。
──どうしても、電話に出ざるをえなかった。
「もしもし?」
震える声で応えると、相手はにやりと笑ったように思えた。
「そう、君だ」
低く澱んだ声。まるで酒に溺れたような喉の奥から絞り出された。
「異世界招待券の“裏”を知りたいなら、今夜来い。約束された場所──廃駅に」。
受話器を握ったまま、僕の鼓動は乱れた。廃駅? そんな場所が、この街にあったか?
しかし、確かめずにはいられない。
夜更けの街灯の下、重い足取りでジャケットを羽織る。
ポケットには、増え続けた札束と三枚のチケット。
どちらを失っても構わない。真実だけを手繰り寄せるため、僕は闇の中へ歩を進めた。
――招待状は、まだ有効だ。
夜の終電を逃した廃駅のホーム。錆びついたベンチに腰かけ、僕は手袋をはめた手で三枚の券を握りしめた。
電灯がちらつくたび、影が長く伸び、僕を探るように蠢く。
「遅いじゃないか」
背後から声がした。振り返ると、黒いコートの人物がホーム端に立っている。顔はランプの光で半分しか見えない。
僕は言葉を探し、震える声で答えた。
「……あなたは、誰ですか?」
人物はゆっくりと歩み寄り、腰のあたりから小さな箱を取り出した。
「異世界招待券の“仕組み”を知りたくないか? 見せてやろう」
箱の蓋が開き、中には無数の粉と、くすんだ銀色のコインが入っていた。
「これだけあれば、君の願いは──いや、世界は掌の上さ」
僕は息を呑み、券をぎゅっと握り直した。
無限増殖の秘密。代償は何なのか。思考が交錯し、心臓が刺されるように痛んだ。
「使ってみろ」
コートの人物が銀のコインを一枚手渡す。触れた瞬間、ひんやりと血の気が引いた。
──手を伸ばすか、断つか。
僕は一歩、前へ出た。
その瞬間、駅のスピーカーから雑音が漏れ、遠くで終電のチャイムが虚しく響いた。
風が吹き抜け、紙くずが舞い上がる中、僕は小さくつぶやいた。
「僕は、何を願うんだ……?」
「お金に困りたくない……お金持ちになりたい!」
声にならない叫びが、廃駅の静寂を裂いた。
銀のコインは赤い光を帯びて震え、世界の輪郭が歪んだ気がした。
──次の瞬間、背後で重い金属音が響き、目の前の闇が波打った。
気がつくと、僕は自室のベッドに倒れていた。冷たいシーツの感触に、現実がゆっくりと戻ってくる。
寝ぼけた手でスマホを掴むと、銀行アプリの通知が大量に届いていた。
「振込入金:¥10,000,000」
「振込入金:¥5,000,000」
「振込入金:¥20,000,000」
合計すれば、軽く億を超えている。嘘みたいだ。
しかし、画面の片隅には小さく点滅するアイコンがある。タップすると、短いメッセージが浮かんだ。
《対価を用意せよ──さすれば富は真実となる》
脈打つ不安が、背筋を冷たくなぞった。
増え続ける金は確かに手に入った。でも、それを“富”と呼んでいいのか。
代償とは、いったい何なのか。
部屋を満たす沈黙の中、僕はそっと呟いた。
「これが、本当の始まりなのかもしれない……」
窓の外、朝焼けがビルの谷間を朱に染める。
だけど、胸の奥にはまだ、得体の知れない焦燥が渦巻いていた。
でも、これがよくある話なんだろうね
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