第21話



「飛空艇の重さは“固定”じゃない。風が当たる角度や密度、帆の開き方、機体の姿勢……全部が影響してる」


昨日のことだった。

《レイ=カスタ》の整備デッキで、機体の下に寝転びながらイゼルは静かに語っていた。

船体に添わせた細い指が、重心制御板の固定部をなぞるように撫でていた。


「だから、“重心”は自分の足元にあるものじゃない。空との関係の中にある。

たとえば風が左斜め下から吹けば、重さは右上にずれる。

人はそれを“傾き”だと感じる。でも、空は常に“均衡”の中に漂ってる」


想太はその言葉を、自分の中で反芻した。

言っていることは理解できる。だが、それを身体で“わかる”のとは違う。



《レイ=カスタ》の機体は帆を半分ほど展開し、高度2,300での水平滞空に入っていた。

下層の雲がわずかに黄金色に染まり、風の粒がひとつひとつ視覚化されるような透明感を持って漂っていた。


「重心操作に必要なのは、舵じゃない。“腰”と“視線”」


イゼルの声が、通信魔導板から静かに届いた。


「風に乗るには、まず自分の身体の“芯”を動かすの。

それで機体に伝える。“こっちへ落ちて”って」


想太は操縦桿から手を離し、座席で腰を落とすように重心を移した。

ぐ、と機体がわずかに揺れる。帆が風の向きを変え、機体が右に傾きかけた。


(これか……?)


だが、次の瞬間――


ふわり、と機体が持ち上がる。

右に落ちるはずだった重心が、風に押し返されるように戻された。


「違う。“動かす”んじゃなく、“預ける”の」


その言葉は柔らかく響いたが、スピーカーの奥で軋むような音の“段差“を帯びていた。


「人の重さも、風にとっては“ひとつの情報”。

押しつければ拒まれる。委ねれば、受け取ってくれる」


想太は深く息を吸い込み、今度はゆっくりと体を右斜め前へと傾けた。

座席に預けた重さを、風に伝えるように――



帆がわずかに鳴いた。


風が、少しだけ“受け取った”音だった。


《レイ=カスタ》はゆっくりと右前方に滑り出す。

舵も、推進も使っていない。ただ重さと風の流れだけで、ナイフを走らせたような滑らかな軌道を描いた。


「……今のは?」


「第一歩。……“風の背”を探す操作」


イゼルの落ち着いた声色が、ふわりと微笑んだ気配を運んでくる。


想太の胸の奥が、また少し温かくなった。


舵ではなく、計器でもない。


水の中にダイブしたときのような、柔らかくもふくよかな感触。


空に翼を預けるということ。


機体の中心を”差し出す”ということ。


イゼルの言葉を追いかけながら、操縦桿の根本を傾ける。


“手探り”だった。


ほとんど無我夢中だった。


何が正解かもわからない状況で、彼なりの手応えを指の先に捉えようとしていた。


何もない場所に「線」を描くような、形のない所作。


けれど、その所作には確かな厚みがあった。


それはあるいは彼が、飛空艇の「飛び方」を少し知っていたからかもしれない。


零戦とは見る視線も扱うべき制御盤の構造も違うが、次にどう動けばいいかを、測らずも感じる“ポイント”があった。


それだけのことが、驚くほど心を満たした。


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