第18話




「低速旋回のコツは、“自分を中心にしないこと”」


「……どういうこと?」


「空の中を自分が回ってるって思うと、風が歪む。……でも自分じゃなくて、“空が流れてる”って思えばきれいに回れる」


「……目の錯覚みたいだな」


「でも、それでいいの。目と風は、必ずしも一致しないから」


イゼルの言葉はどこか詩のようだった。


それは理屈を越えて、“身体の芯まで届く温かさ“を含んでいた。



想太は再び舵を倒す。


すると、今度は先ほどよりも自然に、ゆっくりと機体が旋回した。


浮かびながら風に押されていく――

否、風と一緒に「周っている」。


「……いい」


イゼルが、初めてはっきりと肯定した。


その声に、少しだけ熱がこもっていた。



《レイ=カスタ》は、雲のない空の下、小さな弧を描いていた。


流れていく風を筆にして、空というキャンバスに最初の“線”を刻んでいた。


想太の中に、ひとつの輪郭が現れていた。


それは「飛ぶ」という言葉の意味ではない。


「自分の重さを、風に委ねること」。


ただ、それだけのことだった。


「風は、流れてるだけじゃない。……鼓動もしてる」


想太は指示を受けながら帆調整に入る。


手元のダイヤルをほんの僅かに回すと、帆の張りが変化する。


その変化は数字ではなく、音で返ってきた。


カサ……という小さな摩擦音。


風が帆を撫でる音だった。


「……感じる?」


「うん、音で分かる。……でも、これで正しいのかはまだ」


「正しさ、なんてないよ。……“いま、帆が気持ちいいかどうか”だけ」


イゼルは笑わなかったが、どこか口元がほころんでいた。



風が少しだけ強まる。


小さな窪みを指で押さえたときのような歪み。


ただ、確かに伝わる”線”の凹み。


想太の手元にある舵がわずかに揺れた。


「風、変わった?」


「変わった。……上から、“ささやくように”吹いてきてる」


イゼルは目を閉じていた。

風を見るのではなく“聴いて”いた。


想太も、目を閉じてみる。


風の音が変わる。

細かい粒のような音が混ざる。

それは高空から落ちてくる“軽い雨音”にも似ていた。


彼はダイヤルを少し緩め、帆を解放する。


――シュウ……


帆がふくらみ、機体がわずかに持ち上がる。


「帆は……“呼吸”と同じ」


彼女が言った。


「空が吸うとき、帆も膨らむ。空が吐くとき、帆も撓む。……そこに逆らわずに、ただ“合わせる”」


布帆がゆっくりと開いていく――その動きは、まるで胸の膨らみと収縮そのもの。


「……いいね」


イゼルの声が近くにあった。


「風の“居場所”に合わせた。……空が、“受け入れた”みたい」


その言葉に、想太は微かに目を見開いた。


「“風の居場所”って……」


「……あるよ。空にも、風の“座る場所”ってある。そこに帆を合わせてあげれば、風は喜ぶ」

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