第15話
◇
《レイ=カスタ》の魔導炉が、静かに呼吸を刻んでいた。
その音はもう、耳に馴染んでいた。
機体の脇腹に触れると、微かに鼓動のような震えが指先に伝わる。
想太は、整備場に設けられた個別訓練区画の片隅でパイロンに腰掛けていた。
午後の訓練を終えたばかりで、額には薄く汗が滲んでいる。
数日前から始まったヴァネッサの“手解き”は、少しずつ実践的な内容に変わっていた。
「空を“読む”んじゃねぇ、“触れろ”」
「舵を切るな、帆を“開け”」
「重力は敵じゃない、仲間にしろ」
そんな風に、彼女はいつだって“体感”で教えてくる。
だが想太には、その全てがまだどこか借り物のようだった。
機体の“重さ”は理解できる。
風の“向き”も、なんとか掴める。
だが、「風と共にある」とはどういうことか。
それを、彼はまだ――知らなかった。
「そろそろ“教官”変えるぞ」
飛空艇の整備中、ヴァネッサが何気なくそう口にしたのは、唐突だった。
「えっ?もうやめるってこと?」
「違う。あたしは明日から少し用事があってな。しばらくあんたの訓練には付き合えねぇ」
ヴァネッサはオイルで煤けた手を拭きながら、視線を空へ向けた。
「それに、あんたにやった飛空艇は少し“特殊”でな。あたしが教えるよりもっといい“適任者”がいる」
「……適任者?」
「この世界の飛空艇ってのは、いろんな種類がある。つまり、飛空艇によって“乗り方”や“扱い方”が変わるってわけだ。とくに“レイ=カスタ”は、すこしクセが強くてな」
想太はその言葉を聞いて少し首を傾げたが、なんとなくわかる気もした。
この世界も飛空艇についての知識はほとんどないに等しい想太だったが、レイ=カスタがただの飛空艇でないことは、すでに彼の中で定着しつつあった。
「誰でも自由に操縦できるわけじゃない。“レイ”の本来の性能を引き出すには、船についてをより深く知る必要がある」
そう言って、ヴァネッサは顎をしゃくった。
「そこで登場だ。うちの“弟子”がな」
不意に、小さな音とともにもう一人の影が現れた。
振り返ると、蒼いストレートの髪を揺らしながら、イゼル・ルーシェが滑走デッキに姿を現した。
「イゼル?」
想太の声に、イゼルは小さく頷いた。
「……ヴァネッサに頼まれてここに来た。今日からよろしく」
言葉は静かで、どこか夢の中のような調子だった。
想太はその声音に、少し戸惑いながらも頷いた。
「……お、おう、よろしく……」
イゼルは何も言わず、穏やかな歩調のままスタスタと横を通り過ぎる。
その動作は滑らかで、呼吸のように自然だった。
「明日から二人で飛んでもらう。並走飛行、風の追従訓練。お互いの位置関係を把握しながら機体を“対話”させろ」
ヴァネッサはそう言い残し、ブリッジへと戻っていった。
イゼルは無言のまま想太の《レイ=カスタ》に近づく。
全体を眺めるように視線を回した後、帆の一部にそっと手を添えた。
「……この子、眠ってる」
「眠ってる…?」
想太が言うと、イゼルは軽く頷いた。
「……あなたの“意思”が、まだ定まっていないから」
そう言って、彼女は真っすぐ想太を見た。
「まずは心を通わせなきゃダメ。お互いに見ている視線が違えば、飛べる場所にも飛べなくなる」
翌朝、想太は《レイ=カスタ》の前に立っていた。
舵も、スロットルも、魔導炉の起動も完了している。
だが、機体は動かなかった。
「焦らないで」
イゼルの声が、耳元に風のように届く。
「“動かす”んじゃない。“感じる”の。空を。風を。重力を。……あなた自身の《境界》を」
彼女の手が、想太の手の上に添えられる。
華奢な指先は無駄なく――だが確かに、機体の振動と呼吸を“読んで”いた。
「初めにするのは、“風律の挨拶”。風の流れに浮かぶ練習から」
魔導炉が、音を変えた。
想太の中に、微かな変化が生まれていた。
「――風が、来る」
彼が呟いた瞬間、《レイ=カスタ》の帆がひとりでに「風」を捕まえた。
機体は、空間の波間を掴んだように軽やかに浮いた。
ほとんど、静かに。ほとんど、自然に。
それはまるで、空が想太を“許した”かのような滑り出しだった。
イゼルは、その横顔を見つめていた。
「それが第一歩。……あなたの“風”の」
⸻
■ 想太 × イゼルによる飛空艇操縦訓練カリキュラム
⚫︎ 第1段階:基礎適応訓練(身体・感覚の調整)
【項目/内容】
□ 重力感覚リハビリ / 魔導浮遊環境下での加速度順応訓練。失神耐性やG耐性の強化。
□ 呼吸と風律同期 / 「空気の密度変化」や「風脈のうねり」を読む感覚訓練。
□ 精霊圏適応度測定 / 《レイ=カスタ》の精霊・レイとリンクするための、精神波長適性テスト。簡易瞑想・集中力測定など。
⚫︎ 第2段階:操作基本訓練(操縦・整備知識)
【項目/内容】
□ 操縦座席慣熟 / スロットル操作、魔導帆の展開・収縮、旋回舵・昇降舵の制御基礎。
□ 手足の分離操作 / 零戦の操縦と異なり、魔導操作では「脚による姿勢制御」も含まれる。脳と身体の独立操作感覚を養う。
□ 魔導炉・風圧理論基礎 / 魔導気流・風脈層の構造、浮力帆と推進機構のバランス理論。
⚫︎ 第3段階:初級飛行訓練(自由飛行)
【項目/内容】
□ 低空浮遊訓練 / 5m〜20m程度でのホバリング・推進前進・後退訓練。
□ 小旋回・滑空 / 半径30m未満の旋回、帆面を利用した「無推進滑空」の実地。
□ 風律制御練習 / イゼル主導の「風との同調」訓練。目視外の風流れを“感覚”で捉える。
⚫︎ 第4段階:中級機動訓練(空間把握・防御操作)
【項目/内容】
□ 空間認識訓練 / 3次元座標の可視化、他機との距離・軌道読み取り。
□ 圧差対応操作 / 風脈急変時の舵修正訓練。イゼルによる「重力偏差ゾーン」の模擬飛行補佐あり。
□ 精霊圏連携 / レイとの簡易対話訓練(※反応遅延の調整、精神波の共鳴率向上)
⚫︎ 第5段階:模擬編隊飛行・空間演技訓練
【項目/内容】
□ 編隊内位置保持 / 他機との編隊飛行(追随、並走、斜交差)の安定性訓練。
□ 空中パターン演技 / 「風律航舞」と呼ばれる空中演技による“空感覚”の確認。風の“書”を書くつもりで軌跡を描く。
□ 帆面制御応用 / 魔導帆と副翼の動的調整による「風切り軌道」の習得。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます