宝石は君に選んで欲しいから輝いているんだよ

　誰もが自分のことを原石だと思っている。磨けば光る宝石だと思っている。

　君だってそう思ってるでしょ？

　だから磨く。自分を磨く。

　磨いて磨いて、磨き抜いて、自分を光り輝かせる。

　そんな宝石は美しい。とても綺麗。

　それでも誰かに選ばれるのは、ほんの一握り。

　それがアイドル。

　私がなろうとしているもの。憧れているあの人のこと。

◇◆◇

　誰もいないダンススタジオは、私を凛とした空気で迎えてくれた。冬の冷たい空気を割るように、キュッという靴音を立てながらフローリングの床を歩いていく。大きな鏡の前に出ると、Tシャツ姿の私へあいさつした。あいかわらず思い詰めた顔をしてるね、私。そう？　だって時間がないのにぜんぜんうまくならないから。わかるでしょ、私。

　ストレッチの時間も惜しくて、軽く体を動かしただけで、スマホの三角ボタンを押した。

　曲が流れる。

　顔を上げる。

　それから踊り出した。

　手先を意識して伸ばす。目線を気をつける。止めるときは止める。曲が先にいってしまう。動きをもっと早める。

　細かく動きを確認しながら、何度も全力で踊る。何度も、何度も……。

　10回目を越えた頃には、体が酸素を求めて喘ぎ出した。心がもう止めよう、休んだほうがいいと誘惑を始める。私はそれを全部否定した。

　……だめだ、こんなんじゃ。もっと、もっとがんばらなきゃ。もっと……。

　悲鳴を上げそうな苦しみが、私の体を締め上げていく。そのときだけは、体を蝕む焦燥感が薄らいだ。

　「まだ、だめ……。あの人と比べたら……ぜんぜん……」

　20回目で限界が来た。それでも倒れてあげない。膝に手をついたまま、肩で息をする。自分の熱気が湯気に代わっていくのを見つめながら、あの人のことを想う。

　小学校の冬休み、あの人のダンス動画を見たんだ。アニメを見ながら踊ったら母に褒められ、撮ってもらった動画をアップロードしようとしたら、あの人を見つけた。ぜんぜん違っていた。カッコ良かった。きらめく宝石のように輝いていた。これに比べたら私なんかただの石ころだ。バカだな私……。あまりに悔しくて3日寝込んだ。

　それから母に懇願してダンススクールに通い出した。先生の言うとおりにレッスンに励んだ。勉強なんかどうでもいい、私には踊ることしかないと自分を追い詰めた。飲み込みが早いとか、身体が恵まれているとか、何度も言われた。みんなが褒めてくれた。アイドルへの道もダンススクールの先生に促された。応募して、オーディションに受かって、いまは候補生としてここにいる。

　でも、あの人には届かない。

　何度練習しても、そう。

　あの日と同じ悔しさが、私の体を黒く浸していく。

　自分をあざ笑うようにあのアニメの曲を口ずさむ。

　「さあ、召し上がれ……。甘くてあったかい、ココットココア……」

　体が勝手に動く。苦しくても手でハートを作りながら、母に褒められたあのダンスを踊り出す。

　「悲しくなったら飲もうよ……」

　ふらつきながら手を伸ばしてターンする。無様だなと自分で思う。ぜんぜん踊れていない。

　はああと、ため息をついたとき、ガチャリと教室の扉を開ける音がした。びっくりして後ろを振り向く。

　「澄怜（すみれ）先輩！」

　あの人がいた。アイドルグループ「シャイニ―クラウン」のトップアイドル、藤代澄怜。私のあこがれ。

　「ほら、翠奈（すいな）。前を向いて」

　先輩は笑いながらそう言う。トレーニング用のオレンジ色をしたTシャツが目に入る。どうしたのだろう。いまごろMVの撮影のはずなのに……。

　「いま歌ってたの、魔法少女ココットココアの曲でしょ？　いっしょに踊らせてよ」

　笑顔がすっと真顔に代わる。私の横に立つと足を揃えた。いつでも曲をどうぞと言わんばかりのプロの姿勢を私に見せつける。私も同じ姿勢にすると、続きを歌い出した。

　「ふーふーと飲めば、ほわっとしちゃう」

　キュッという床をこする音が、冷たいスタジオに鋭く響く。何かを求めるように腕を伸ばしてから胸に当たりに持っていく。鏡越しに澄怜先輩の動きを見た。きれい……。それはダンスを学んでいる私だからこそわかる。ピタっと動きを止めることができる筋肉、反応速度、何度も練習しているからこそ、私のアカペラにすら、美しい形で合わせられる……。

　「楽しくなったら乾杯しよ！」

　ふたりでパンと手を合わせる。タイミングぴったりで嬉しい。苦しいときは必ず澄怜先輩のダンスを見ていた。澄怜先輩のように輝きたいって、ずっと思ってた。

　「魔法の力でみんなが熱くなる」

　「さあ、召し上がれ」

　「「ココア、ココア、ココットココア―」」

　最後をふたりで決める。手をつないでジャンプ。あはは。苦しい。でも楽しい。それから恥ずかしくなった。そっと手を離す。澄怜先輩の小さな手の感触だけが手のひらに残る。

　私はついに倒れた。冷たい床が落ちた私を支えてくれた。大きく弾む自分の息がうるさく感じる。そんな私を澄怜先輩が心配そうにのぞき込んだ。

　「平気？」

　「……ええ。大丈夫です」

　「あのね。私、ずっと謝ろうとしてたの」

　「……何をです？」

　「候補生のオーディションのとき、これ踊ってたでしょ？」

　「……はい。机の端で澄怜先輩は大ウケしてましたね」

　「やっぱり覚えてたか。笑ってたのは、嬉しくてだからね」

　「わかってます」

　「本当？　誤解してないといいなって、ずっと思ってた」

　「思いませんよ。いつかインタビューで『自分が好きなものを全力でやってくれる人は好き』って言ってましたし。澄怜先輩は気にしいですよ」

　「そっか……」

　「そうです」

　「……そうだね。翠奈は私のこと、何でも知ってるね」

　知っている。長い髪はシャイニークラウンの成功を思って願掛けしていることも、こうやって後輩思いのところも。

　でも、知らないことにしていることもある。

　MVに出ない、ということは、そういうことなのだろう。

　「冷たいでしょ、そこ？」

　先輩が私に向かって手を差し出していた。私はごまかすように言う。

　「案外気持ちいいですよ」

　「え、そうなの？」

　澄怜先輩はそのまま床に倒れると、私と同じ格好になる。

　「ほんとだ。翠奈の言う通り、冷たくて気持ちいいね」

　胸の下で手を組むと、澄怜先輩は目をつぶった。

　それから静かな時間が流れた。いろいろなことを思ってしまう。澄怜先輩の行く先、磨いても輝けない私……。

　ぽつりと澄怜先輩がひとりごとをつぶやく。

　「さて……。私はどうしたらいいんだろうな……」

　ひどく疲れた声だった。私は励ますつもりでこう言ったけれど、あとで後悔した。

　「私は、澄怜先輩といっしょのステージで踊りたいです」

　澄怜先輩はしばらく考えたあと、返事をしてくれた。

　「そう……、だね……」

　澄怜先輩がいたから私はアイドルとして輝きたいと思った。でも、私の憧れはもうすぐ輝きを失う。その前に私はこの人と同じステージに立ちたい。もっと自分を磨かないと……。手遅れになる前に。

　寝たまま横へ振り向くと、澄怜先輩が目を閉じたまま、きらめく宝石のように笑っていた。

◇◆◇

　アイドルグループ「シャイニ―クラウン」の候補生は10人いる。毎年春にレギュラーメンバーとの入れ替え戦があり、1～2名は5名いるトップメンバーのひとりになれる。なれなければ候補生はそこでおしまい。もう選ばれることはない。

　候補生になるだけでもむずかしい。そこを勝ち上がったとしても、さらに乗り越えないといけない壁がある。その準備期間は1年しかない。

　だから候補生は、みんながライバル、そして親友だった。

　いまは歌のレッスンをしている。学校の音楽教室みたいな防音スタジオに集められた私達は、先生が引くピアノの伴奏に合わせて歌っている。ときおり手が止まり、舌の使い方や声の出し方を教えられる。それから、ピアノの音に負けない声で、「いいよー」、「もっと筋肉を意識して」と先生から指示が飛ぶ。

　そうやってしばらくしたあとだった。めずらしく通しで曲を終えたなと思っていたら、先生が立ち上がってきつめの口調で言った。

　「蛍乃（けいの）、ちょっと前出てもらえる？」

　小柄な蛍乃がおどおどしながら前に出る。丸いメガネがカタカタと鳴っているみたい。怒られると思っているかも。先生はびくっとした蛍乃のおなかへ、やさしく手を当てた。

　「このまま歌って。全力でね」

　蛍乃は「はい……」と小さくうなずく。それから声を出した。

　部屋が震えた。

　清涼な声がみんなを揺さぶる。

　小さな蛍乃が出すような声じゃなかった。もっとベテランの演歌歌手か、オペラ歌手のようだった。

　シャイニ―クラウンの曲は、音程がそれほど上下せず、歌いやすいものが多い。それは聞く人によっては平凡に感じてしまう。でも、蛍乃が出す声は、それを忘れさせてくれる。抑揚が付いた低い声が気持ちいい。中盤のファルセットもいい。

　……いいな、蛍乃。

　こんなふうに歌えない。こんな蛍乃に追いつかない。

　だから私にはダンスしかない。だから……。

　私の目にフローリングの冷たい床が映る。

　いつのまにか歌が終わっていた。関心しきった候補生たちが、まばらな拍手を贈る。それが止むのを待たずに、先生が大きな声で告げる。

　「みんなが蛍乃のようになれとは言わない。だけど、蛍乃から学べることは多いと思う。蛍乃の歌声は、人の心をつかめる歌声だ。みんなも何か考えてみなさい。自分の良いところを見極めて、そこをのばすように。蛍乃も遠慮して小さな声で歌わなくていい。みんな、いいね？」

　候補生がみんなで「はい」と短い返事をする。それから蛍乃は小動物のようにおどおどと歩いて私の横に立った。私が「すごいね」と聞こえるようにつぶやくと、蛍乃は顔を袖で隠しながら「そんなことない」と恥ずかしそうに言った。

　「私なんか……。体ちっちゃいから踊っても動きが目立たないし、それに……」

　蛍乃が自分のダメなところを次々と言い出す。それは私にすればダメなところじゃなくて、うらやましいとさえ思った。

　「蛍乃はすごいよ。私のほうがダメだよ、きっと」

　そう言ってあいまいに笑う私に、蛍乃が困りだした。早口で私の良いところをあげていく。「違う違う」とそれを否定すると、ますます蛍乃が困っていく。

　「自信つけなよ、おふたりさん」

　同じ候補生の瑠璃（るり）に、後ろから抱き付かれた。にししと男の子のように瑠璃が笑う。

　「歌が下手でも、踊りが下手でも、アイドルになれる人はいるよ」

　「でもさ」

　「きっと選ばれるから私達。安心しなって」

　安心。

　安心って何？

　その言葉に不安を覚える。

　レッスンをサボりがちな瑠璃はどうなの？　ダンスがうまくない蛍乃はどうなの？　そして、私は……。

　「安心なんかできないよ」

　だいぶイラっとしていたのだと思う。トゲのような言葉を吐き出してしまった。瑠璃はそんな私を笑うように言った。

　「もう、翠奈はストイックだなぁ。アイドルなんかみんなに笑顔を振り撒ければいいんだよ。みんなを元気づければそれでいい。ふふん。この私みたいにね」

　「違うよ、それ」

　「違わない。アイドルはみんなを照らす宝石になれればいい」

　瑠璃は鋭い針のような言葉で私を刺した。その顔はもう笑っていなかった。

　ライバルで親友だった。原石同士で磨き合っているはずだった。

　私は、瑠璃や蛍乃の顔を見ることができず、鏡に映る自分だけを見ていた。

◇◆◇

　レギュラーメンバー選抜の日程が決まった。3月の第三日曜日。あと2か月を切っている。候補生たちは全体練習のほかに、個人的なレッスンを増やして自分を磨いていく。時間のなさにみんなが焦りだす。

　私は、瑠璃と喧嘩みたくなって後悔していた。あの日から話しをしていない。差し出した手を何度も胸へ戻していたら、その間に瑠璃は変わっていた。これまでを取り戻すように、レッスンに打ち込むようになっていた。

　何かを話したかった。がんばってるね、とか。良くなったよ、とか。その何かは話せずにいた。瑠璃のいままで見せたことがないひたむきな姿を見ていたら、あんなことを言った私のほうがおかしく思えた。

　蛍乃は私と瑠璃が話せなくなった原因を自分のせいだと思ったようだった。控室や移動中の車内で、よく私へ声をかけてくれる。たわいもない話が多くて、その気遣いが私には嬉しかった。申し訳なさ過ぎて謝ったら、蛍乃は「いい息抜きだよ」と笑っていた。やがて、それもできなくなる。歌の先生のもとに通っては、悲壮な顔をして「どうしよ……」と震えている彼女を、私は見守ることしかできなくなった。

　「選抜の日に向かって、みんなで突き進む」って言えばいい言葉になる。でも、私にはそれがおかしくなっていくようにしか見えなかった。私もそのひとりだったから。

　冬のダンススタジオは、いつでも私を快く迎えてくれた。だから私はここへ逃げている。私の歌はいくら考えても、どうやってもうまくならない。先生はにこやかに指摘や指導をしてくれるだけで、どうするかは自分で考えなければならない。まだ体を動かしているほうが良かった。

　そして、そこには澄怜先輩がいてくれた。

　「翠奈。今日はね、キルフェボンのタルトを持ってきたから」

　「ダイエットの敵ですよ、それ」

　「敵を飲み込むぐらいの度量を育てたいのですよ、私は」

　「おなかの肉も育ちますよ」

　「でも、好きでしょ？」

　「……ええ」

　照れくさそうに笑う私に、澄怜先輩が「もう、かわいいな」と言いながら私の頭をくしゃくしゃとさせた。

　信じられない日々をいま過ごしている。あんなに憧れていた澄怜先輩が、私といっしょにレッスンをしてくれる。嬉しくて変な声を上げそうになるのをこらえながらいっしょに踊る。そして踊ったあと、不安になる。澄怜先輩は大丈夫なのだろうか。最近は頻繁にここへ来てるし、ほかのレギュラーメンバーと一緒にはいないようだし……。

　顔が暗くなっていたのかもしれない。澄怜先輩が「踊ったら忘れられるから」って言いながら、振り付けの指導をしてくれた。指先、体の軸のブレを指摘し、「こうしてごらんよ」と教えてくれる。何度も繰り返す。体の動かし方を確認する。きつい。汗が落ちる。ふたりの靴がフローリングの床をこする音がする。それは澄怜先輩が言ったように、私の不安を何もかも消してくれた。

　いっしょに床に寝そべってストレッチをしているときだった。何気なくこう言ってしまった。

　「今度、蛍乃のダンスも見てあげてください。歌がめちゃくちゃいいのに、自信がすごくなくて……」

　「うーん。それはできないかな」

　「どうしてです？」

　「翠奈だけなんだよ。私が教えられるのは」

　澄怜先輩は、鏡に映った自分のその先を見つめている。

　「私達は、たぶん同じ光なんだから」

　そうぽつりとつぶやいた先輩は、とても寂しそうに見えた。澄怜先輩の気持ちに私は気づいている。その寂しさも、つらさも。でも同じ光じゃない。澄怜先輩の輝きは、こんな私と同じなんかじゃない。

　私は言葉にして答えることができなかった。だから体を起こすと、澄怜先輩を手をつかんでお願いをした。

　「いっしょに踊ってもらえますか？」

　「ふふ。喜んで」

　私達は何かを振り払うようにステップを何度も踏んだ。そうすれば忘れられた。選抜への恐怖も、澄怜先輩を失ってしまうことも。

◇◆◇

　レギュラーメンバー選抜のためのオーデションが始まった。少し広いスタジオの中へ、Tシャツとダンススパッツ姿の候補生たちが足を踏み入れる。灰色の床をそれぞれ踏みながら、抱えている不安と打ち勝つための勇気について考える。

　スタジオの壁側には、会議室用の長い机が並べられ、その向こうには何人もの大人たちが品定めの目線を向けている。私はそれが嫌だった。私達を何かの型にはめようとするけど合わなくて、やがてイライラして放り出す、そんな子供のような目だった。

　そばに瑠璃と蛍乃がやってきた。お互い話さない。でも、思ってることはわかっている。私も同じだから。

　ひとりずつ課題曲を歌う。曲はシャイニ―クラウンの代表曲「僕たちの幸せ」だった。ここにいるみんなが知っている。だからこそ、上手下手がよくわかってしまう。途中で音程を外してしまった子が、泣きながら最後まで歌っていた。それを見て大人たちは眉ひとつ動かさなかった。

　自分の番。ゆっくりと先生に言われたように歌う。正解がこれなのか、それとも間違っているのか、よくわからないまま歌い終えた。冷たい汗が混じる笑みを浮かべていたら、会場の端にいたシャイニ―クラウンのレギュラーメンバーの人たちと目が合った。その中で澄怜先輩も腕組みをしたまま、私をじっと見ていた。

　会場の真ん中へ候補生が集められる。大人のひとりがマイクを持つと「始めてください」と静かに言った。みんなの動きが止まる。「僕たちの幸せ」のイントロが始まる。それにあわせてゆっくりと体を広げる。歌詞をつかみながら、ステップを踏み、体を躍らせる。

――世の中はどろりと腐っちゃてて。僕たちはその中を泳がなくちゃならなくて。

　体をゆらゆらとさせて不安定なことを体で伝える。

――がまんして、あきらめて、うなだれて。もがく僕の前で、君は光っていたよ。

　細かいステップで感情を前に出す。指先に気持ちを乗せて君を示す。君は、そう……。澄怜先輩の笑顔だ。

――君の光が道を照らしてくれる。君の輝きが僕を導いてくれる。

　澄怜先輩といっしょに踊ったことを思い出してよ、私。筋肉を張りぴしっと体を止める。素早いターンで喜びを表現する。あのとき、とても嬉しかった。すごく嬉しかった。

――それが良いことなのか、わからないんだ。君の幸せを願うほど、わからないんだ。

　また、いっしょに澄怜先輩と踊りたい。でも、それはきっと私のわがままだ。苦悩の気持ちを全身で大きく表現する。

――世界中の人に嫌われても、僕たちは青い空へたどり着けるの？　そう願ってるんだ。そう信じていたいんだ

　信じたい。願いたい。辞めないで欲しい。澄怜先輩が教えてくれたように、信じたい気持ちを体に込めてターンする。

――誰か教えてよ。僕たちの行き先を。誰か願ってよ。みんなの幸せを。

　腰をぶらさない。足で踏んばりながら腕を大きく広げる。そうやって訴える。

――どうか、どうか……

　願う。祈る。少しずつ頭を下げていく。

　音が止まった。

　汗が顔を伝う。はあはあという自分の息が遠くに聞こえる。

　やりきった。手ごたえはあった。

　大人たちが相談し合うのを眺めながら、私は必死に息を整える。

　「いまから言う番号の人は合格です」

　そう大人が告げる。私は7番。祈りながら耳を澄ます。

　「8番。以上1名のみ」

　え……。

　呼ばれなかった。

　選ばれなかった。

　蛍乃のきゃっという悲鳴のような声が聞こえた。8番……。そっか。蛍乃だ。

　振り向くと、蛍乃が喜びでいっぱいの顔が見られた。

　私と目が合う。

　みるみる喜びの表情が憐みの顔へと変わっていく。

　そんな顔して欲しくなかった。私を見て、そんな顔を……。

　「どういうことだよ！」

　怒声に振り向く。瑠璃だった。選ばれなかった瑠璃が、すさまじい怒りをプロデューサーに向けていた。

　それに答えるようにプロデューサーがマイクを持つと、静かに言った。

　「瑠璃は平凡過ぎて見るべきところがなかった。他の者たちもどんぐりの背比べで、特出するところがない。翠奈は澄怜を意識し過ぎだ。そんなに澄怜が好きなのか？」

　大人たちがくすくすと笑う。

　違う。

　私は……。

　「私のシャイニ―クラウンにコピーはいらない。独自性が欲しい。才能がある者を優先したい。だからこそ蛍乃だ。蛍乃は歌だけがうまい。あとは下手だ。このギャップはファンをつかめる。私はそう判断した」

　独自性……。才能……。

　それが私にはないと言うの……。

　私はアイドルになれない。そうはっきりと言われた気がした。

　「なんだよ、それっっっ！」

　瑠璃の大きな声が広いスタジオに響いた。会場にあるあらゆるものが凍りつく。誰も動けなくなる。瑠璃はふりかえりもせず、スタジオを出ていった。

　「どうしよ」

　蛍乃の震える声で振り向く。

　「歌以外を磨いたらもう選ばれない。誰にも選ばれなくなる。そこで終わっちゃう。どうしよ……」

　泣きそうに笑う蛍乃が私をすがるように見ていた。私は目をそらすことしかできなかった。

　プロデューサーが飽きたように言った。

　「以上だ。解散してくれ」

　どんなにがんばっても、どんなに磨いても、その輝きは自分には手が届かない。澄怜先輩といっしょのステージにはもう……出られない。

◇◆◇

　どうして、このダンススタジオへやって来たのか、私にはわからなかった。もう私はアイドルになれないのに。どんなに踊っても輝く宝石にはなれないのに。

　鏡に映る自分を見つめる。あはは。ひどい顔。こんなにぐちゃぐちゃになって……。

　「もう……。情けないな、私……」

　手を強く握りしめる。爪が手のひらに食い込む。その鋭い痛みは、私の悔しさを消してはくれなかった。

　完璧だと思っていた。ミスもなかった。

　どこかで怠けた？　これでいいや、って思った？

　そんなこと、ない。

　これが自分の実力だった。

　息ができなくなる。言い訳ができない。誰のせいにもできない。その事実が私をどこまでも暗く落としていく。

　「……もう、泣いてもいいよね」

　涙がフローリングへ落ちた音に、足音が重なる。澄怜先輩だとわかっていた。でも、振り向くことができなかった。

　「翠奈。あのね。私、来月で引退することになったよ。入れ替わりで蛍乃が入る」

　知っていた。オーディションの前にプロデューサーが教えてくれた。もう澄怜はダメだって。

　澄怜先輩の足音が私へ近づいてくる。

　「磨いても選ばれない。選ばれてもいつか捨てられる。そんな世界が嫌だった。いつかこうなることに怯えてた」

　ぞっとするような冷たい声に、思わず心配になった。振り向くと、蛍乃と同じ顔をしている澄怜先輩が、私を見ていた。

　「翠奈と踊っている間は、この気持ちを忘れられたんだけどね」

　「それは私だって……」

　「人を励ますくせに自分は震えてばかり。誰かにすがりついては泣いてばかり。私は、そんなどうしようもない人間なんだよ」

　「違う。違います！　澄怜先輩は……」

　「翠奈。もう終わりなんだ。誰も私を選ばなくなった。だから、私はもう終わり」

　澄怜先輩から光が消えようとしていた。

　選ばれなかった。

　選ばれなくなった。

　でも、違う。

　私は選べる。選ぶことができる。

　だから。

　いま、そうする。

　私は先輩の腕を必死につかんで叫んだ。

　「私が先輩を選びます！」

　自分でびっくりするほどの大きな声がした。

　「でもね、翠奈……」

　「私は澄怜先輩が好きで、ここに立っているんです！　澄怜先輩の輝きを見たからここにいるんです！　大好きなんです！　本当に大好きなんです！！　だからっっ！」

　澄怜先輩の手が私へ伸びる。腰を引き寄せると、私をぎゅっと抱き締めた。

　泣き叫んでいた私は、その体の温かさで少しずつおだやかに溶かされていった。それから体を震わせている澄怜先輩に気がついた。

　「ありがとう。選んでくれて。でも、もうダメなんだ……。ダメなんだよ……」

　体が離れていく。我慢していても流れる涙が、澄怜先輩のきれいでやさしい顔を光らせている。

　「翠奈、ごめんね。ごめんなさい……。いっしょにステージで踊りたかったよね……」

　澄怜先輩はかけていたネックレスを外すと、私に差し出した。

　「アイオライトって言ってね。昔は羅針盤の代わりとして使われたそうよ。オーデイションに受かったとき、母から貰ったの。でも、私にはもう行くところがなくなったから……。お願い、翠奈。これを貰って」

　きらりと光が輝く。青い宝石が私の目を捕まえる。

　「私には、もうこれしかあげられない」

　手のひらを差し出し、ネックレスを受け取る。それを握り締めると、澄怜先輩の全部が私に伝わった気がした。

　私はそれが悔しかった。

　「そんなの嫌です。澄怜先輩と、これで終わりにしたくないです」

　「でも、もう……」

　「連れてってください。澄怜先輩が行くはずだった場所へ、その先へ。いっしょなら行けるんです。私が選んだ澄怜先輩となら……」

　澄怜先輩は少しだけ不思議そうな顔を見せた。

　私は人生最大の勇気を持って、こう言った。

　「澄怜先輩！　私のアイオライトになってください。先輩の光で私の行き先をずっと照らしてください！」

　私の突拍子もない言葉に、澄怜先輩は笑ってくれた。その笑顔は、血のにじむ手のひらの上で青い宝石が光ったようだった。

　「いいの？　翠奈は本当にそれで」

　「はい！」

　「わかった。私が導いてあげる。翠奈が私を選んでくれたのなら、私が翠奈を輝かせる」

◇◆◇

　あれから何年か過ぎた。私は暗いステージの袖にいる。観客席のほうから大勢の落ち着きのない声が聴こえている。

　もう蛍乃も瑠璃もいない。そして私はシャイニ―クラウンのレギュラーメンバーとして、世界のトップアイドルとしてここにいる。

　あの日から候補生でいることをやめた。純玲先輩と必死にレッスンをした。なりふりかまわず訓練した。

　苦しいなんて言わなかった。どんなにつらくても叫ばなかった。宝石は磨かれるときに悲鳴をあげないから。それに純玲先輩がいつも手を握ってくれたから。

　いっしょに買い物をしていても、同じハンバーガーをかじっていても、同居するようになっても、話はレッスンとステージのことばかりだった。

　純玲先輩はトレーナーとしてもマネージャーとしても優秀だった。小さな仕事をせいいっぱいこなしていたら、少しずつ私を選んでくれる人が増えてきた。

　蛍乃はそんな私に手を差し伸べてくれた。「今度は翠奈の番だよ」。そう言った次の日、蛍乃は後輩へ道を譲りたいと言い出し、シャイニ―クラウンからの脱退を表明した。その表情はあの日に選ばれたときよりも明るく輝いていた。

　私と澄怜先輩は、蛍乃から渡された切符をつかもうと必死にがんばった。苦手だった歌を克服できた頃、シャイニ―クラウンのレギュラーメンバー全員が、プロデューサーへ私を迎え入れたいと直訴してくれた。ライバルで親友。それはレギュラーメンバーでも同じだった。

　それから少し経ったあと、テレビ局の廊下ですれ違うプロデューサーからこう告げられた。

　「おまえたちにはストーリーがある。引退したアイドルが磨き抜いた、とっておきの後輩。その物語は多くの人々の心を明るく照らすだろう。澄怜を支えたファンたちも喜んで戻ってくるはずだ」

　私は選ばれることの意味を知った。

　出会い。運。人とのつながり。打算。もしかしたら全部プロデューサーの策略だったのかもしれない。

　でも、それだけでは選ばれない。純玲先輩が私を磨いてくれたから、私は宝石になれた。

　特待生として迎え入れられ、すぐ開かれた選抜オーデイションに合格した。レギュラーメンバーが、ひとり、またひとりと抜けていくなか、私は純玲先輩といっしょにみんなを照らすアイドルとして踏み留まった。その姿に多くのファンが私達を応援してくれた。

　イントロが流れだした。ライブが始まる。大勢のファンが怒涛のような歓声をあげる。私は左手の薬指へそっと手を重ねた。あの日のアイオライトは指輪になった。大好きな純玲先輩がそばにいる。ステージにいなくても、私とずっといっしょにいる。

　舞台係の人からキューが出た。

　純玲先輩、いっしょに行きます。あなたが照らしてくれた、あの場所へ。

　私はステージへ勢い良く飛び出した。たくさんのスポットライトが、私を照らし輝やかせた。

　原石は宝石によって磨かれた。その輝きは多くの人を魅了した。誰もが私を選んでくれた。でも、その光は、あの人に向けて、まっすぐに、とてもまっすぐに照らしている。

<了>