Eli, Eli, lema Sabachthani? - 3
そんなに裕福な家で生まれたわけじゃない。
田んぼと山、川しかないような田舎町は、駅もコンビニもなかった。娯楽と言えばひとの噂話のような田舎で、いい話も悪い話も瞬く間に広まってしまうような、親切とお節介で息苦しい町だった。
父親は中卒の電気工事士で母親と結婚したのは三十歳。母親は高卒。二十歳で七生を産み、専業主婦だった。
生まれ育った家はいつも物が煩雑で片付いていなかった。社会を知ってわかったことだが、典型的なお金のない家だった。
これも年齢を重ねてわかったことだけれど、田舎で純真に育った母親は、まだまだ子供のまま七生を産んだ。七生が幼い頃は機嫌が悪くなると口をきいてくれなかったり、ごはんを出してくれないこともあった。
父親は父親で、七生が幼い頃は、激昂するとコップを投げつけるようなひとだった。
それでも、一人娘の七生はそれなりに甘やかされて育った自負があるし、両親は年齢を重ねるにつれてそれぞれ気性も落ち着いていったから。子供ながらに理不尽だと思うことは、すこしずつ減っていったように思う。それでも、ひとの顔色を窺う癖はついたし、ひとの感情の機微にだいぶ敏くなってしまった。
すでに亡くなったひとのことを悪く言うのははばかられる。けれど、七生はだいぶ母親に対してコンプレックスがあった方だ。
七生が気に入ったものでも、彼女の気に入らないものであれば「なんでそんなのがすきなの?」と否定されたし、七生がやりたいことであっても「そんなことはしなくてもいい」とつっぱねた。
彼女の手料理という手料理を食べた記憶がない。ほとんどはスーパーなどで買った総菜か、簡単に作れるようなものたちだった。正直母親の用意するもので美味しいと思ったものはほとんどないかもしれない。もちろん、食事を用意してくれるだけでも感謝はしていたけれど。
コンクールで賞を獲るくらいにがんばっていた部活だって、帰る時間が遅くなると母親はひどく不機嫌そうだった。がんばっていると褒められたことはなかったかもしれない。
それでも、母親の気持ちと合致することであれば、彼女は七生を応援してくれた。
とはいえ。
あるとき、七生の名前で借金をしてくれないか頼まれたことがある。あのとき無知のまま頷かなければよかったと、いまになっては思う。
借金をしてくれと頼まれたのは一度だけじゃなかった。
ある日、「どうしても今日中にお金がいるからここに電話してほしい」と迫られ、まだ若かった七生はパニックになって泣き出してしまった。結局借金のための電話はせずに済んだけれど、母親に代わって、祖母にお金の無心の電話をしたのを覚えている。生涯忘れられないと思う。
そのことがあって、家にいるのが嫌になって、当時遠距離恋愛をしていた恋人から一緒に暮らそうと言われていたこともあり、逃げるように家を出た。
関東へ出て、けれども七生は結局、同棲した彼とは結婚をしなかった。一緒に暮らすうちに、このひとは「わたし」を好きなんじゃなくて、「わたしを一途に想っている自分」がすきなのだと、嫌になるほどわかったから。
次にお付き合いをしたひとは、SNSで知り合ったひとだった。かなりの遠距離だったけれど、お互いに共通してすきなものが多く、話していて楽しかった。
そうして、関東で一人暮らしをはじめ、新しい仕事もうまくいき始めた頃。母親の具合が悪いと父親から電話があった。二十六歳を迎える年の、四月のことだ。
実家に帰るか否か悩むうち、母親ではなく、父親が入院をすることになった。二週間程度の入院のはずだったのに、当初の入院の原因とは別の高熱が続き、身体が耐えられずそのまま九月に亡くなってしまった。
そんな父親の訃報のなかで、母親の乳がんがわかった。当時テレビで話題だった有名人と同じ花咲き乳がんだった母は、右の胸にできた腫瘍が膨れ上がり、皮膚や組織を破壊して、壊死を繰り返し、肉が腐り落ちて、胸に大きな穴が空いていった。右腕も右手もぱんぱんに浮腫んで、箸を持てないほどだった。
七生はほとんど仕事のない地元に帰り、母親の病院費を稼ぐために最低賃金しか得られないドラッグストアで働き始めた。稼いだお金はすべて、家族が作った借金の返済と、母親の抗がん剤治療で消えていく日々。亡くなった父に会いたいと夜中に泣く母親の声を聞きながら過ごしたあの日々が、七生の人生で間違いなくもっともつらい時期だった。
結局、母親は四月に亡くなった。父親が亡くなってから半年後のことだった。
父親と母親が亡くなる間に、飼っていた犬も死んだ。たった半年の間に、近しい存在がすべていなくなった。二十代半ばで、七生は天涯孤独になった。
いまにして思えば、あんなひどい悲しみの中にあって、すっかりこころが壊れていたんだろう。周りから「かわいそうに」、「たくさん幸せにならないといけない」と諭され、“絶対に幸せにならなければいけない”と脅迫観念めいた思いこみをしていた。
そうしていろんなことを感情が死んだままがんばって、自分はこれだけ不幸な目に遭ったのだから、周りに多少の迷惑をかけても幸せにならなければいけないと無意識に考えるようになった。
結果、しっぺ返しをくらった。親切にしてくれたひとたちを裏切るような真似をして、当時付き合っていた恋人からも別れを告げられ、すでに少なかった持ち物すべてが無くなった。
自殺の方法を調べたのは、あのときが初めてだった。
けれど結局死ななかった。何も食べられず、眠ることもできず、果てに貧血で倒れて頭を打って、病院へ行くことにはなったけれど。
思えば、人生を見直したのはあのときが一度目だ。
そこからは、また一からがんばろうと決めた。失うものがなにもないのだから、なんだってできるだろうと思えた。二十八歳のことだ。
そこから、五年。できる範囲で、できることを頑張った。途中、社会情勢のせいで失業をしたり、住むところを無くしたりもしたけれど。人間って意外と死なないものだ。
七生なりに、七生の思いつく限りの方法を尽くして、七生に出来る限りのことを尽くして、生きてきた。決して周りのように上手に息はできていなかったかもしれないけれど、それでも。一人きりで、がんばってきたのだ。
このまま生涯一人で生きていくのだろうと考えていたさなかでできた恋人が、今夜七生を苦しめる原因になった男性だった。
結婚した友人の勧めでなんとなく入れたマッチングアプリで出会ったそのひとは、最寄り駅が同じらしかった。
明るくて、おしゃべりで、会話のよく弾むひとだった。
そうそう人にこころを開かない方であると自負しているけれど、彼は七生とは正反対に、なにも包み隠さないひとだった。すこしばかりデリカシーに欠けるところもあるけれど、良くも悪くも嘘がないひと。向けられる好意もわかりやすかった。七生の境遇を知ってもなお、腫物扱いをしなかった。出会って二週間であっという間に打ち解けて、恋人として付き合うようになった。
手先の器用なひとだった。料理がうまくて、よく振る舞ってくれた。自分のためにだれかが作ってくれた料理を食べられる幸せに、もう家族のいない七生がどれだけ感激していたか、きっと彼は知らないはずだ。一緒に眠る夜に、傍らに自分以外の熱があるのに、鼓動のある生き物がいてくれることに、寝息が聞こえることに。七生がどれだけ安堵していたか。きっと、この世界で七生しか知り得ないことだった。
七生から見て、彼はどう見ても温かな家庭で、まっすぐに幸せを享受して生きてきた人間だった。家族のグループチャットがあって、実家に無心すればお米が届いて、母の日やお互いの誕生日にプレゼントを贈り合うような。正しく家族として機能する家で生まれ育ったひとだ。
母親をすきだとまっすぐに言える彼が、七生はすこし眩しくて、どうしようもなく羨ましかった。叶うなら、わたしだってそんな風に生まれ育ってみたかった。母親に借金を背負わされなくて済む家で育ちたかった。憧憬と羨望がない混ぜになって、けれども、決して口にはしなかった。
幸せだったけれど。幸せだったけれど、彼はとても優しくて愛情をまっすぐにぶつけてくれるひとだったけれど。それでも、彼との間にほころびがあることは、恋人になって数週間で感じていた。
おそらく、彼はなにかに愛情を注ぐのが得意なひとだけれど、同時にだれかと一緒に生きるのに向かないひとだ。
きっと、このひととはそう長く一緒にいないだろうな。
こういった勘を外したことがない。一緒に時間を過ごすほど濃くなる違和感は、きっと正解だ。長続きしないと判断してすぐ、それなら目一杯楽しもうと思った。だれかが隣にいてくれる日々は久しぶりだったから。せめて、精一杯、いつだって笑顔でかわいい彼女を演じよう。きっと一時で終わる関係だから、彼をあまり好きになりすぎないようにしよう。
そう覚悟を持って続けた関係だった。
けれども結局、感情はどうにもならなかった。予想通り、一緒に過ごしたのは三カ月ほどだった。家が近かったせいで半同棲のようになっていたから、もっと長く一緒に過ごした気さえする。その時間の中で、うっかり七生は心を許しすぎた。だって、誰かが隣にいてくれるのは久しぶりだった。自分を思う誰かがそばにいてくれるのは、久しぶりだった。
用心深いくせに、相反するように愛情深い自分を忘れていた。愛着は苦しみになるのを知っている。それでも七生は、愛するのが上手で、下手だったから。
まして、最後の一カ月は、避妊に失敗したせいで、妊娠の可能性さえあった。
結婚願望があったかと問われれば、きっと七生も彼もさほどだったはずだ。絶対に結婚したいとも、絶対に結婚したくないとも思っていなかった。それでも、もし子供ができているなら責任はとると、そのときの彼は言った。
七生はといえば、どうしていいかわからなかった。なにせいい母親の手本を知らない。もし子供を授かったとして。十カ月、自分の身体に自分以外の命が宿る。そうして無事に生まれてきてくれたとして、その後は二十四時間三百六十五日、一生涯、母親という役目から逃れられない。自分がいい母親になれるかなんてわからないのに。
母親に向かない人間に育てられたのが自分であるという自負が、七生にはあった。
子供は授かりものだから。もし授かれるものなら、大切に愛して、慈しみたい。何の苦労もなく育ててあげたい。けれど、果たして自分は、それが可能な人間だろうか。
たくさんの不安に苛まれて、七生は気が触れそうだった。それでも不安に涙を流す日々の中で、もしも自分に家族ができるかもしれないと考えたら。どうしようもなく嬉しいと感じてしまう自分がいることも、確かにいた。だから、病院にかけこむことを迷ってしまったのだ。
結局妊娠はしていなかったし、口ではいろいろと言ってくれても、たくさんのプレッシャーにつぶれてしまった彼から、涙ながらに別れたいと電話で告げられて、関係はあっけなく終わった。
長く続かないことをわかっていて、傷つく覚悟を持ってそばにいた恋だった。
傷つくのをわかっていて、隣にいることを選んだのは七生だった。愛情だけでどうにもならないことが世の中にたくさんあるのを知っている。だから、仕方がない。仕方がないことだった。
けれど、そう言い聞かせても、いきなり孤独の世界にまた放り出されたのは、心底堪えた。
毎日届いていたメッセージは届かなくなって、抱きしめてくれるひとがいなくなって、向かい合って摂る食事の時間も、熱を分け合って眠る時間も、無くなった。
自分を特別に思ってくれる人間が、いなくなった。
この世界にはだれも、わたしをいちばんに思ってくれるひとはいない。
正しく生きていないくせに、人並みの幸福を手に入れたいと願ったから、こうしてすべて失くしていくのだろうか。もっとわたしが善良であれば、賢ければ、美しければ、温かな家で育っていれば。
彼に家庭環境を打ち明けたときに、言われた忘れられない言葉がある。
「言っちゃ悪いけど、環境が悪かったね」
よりにも、よって。
きっとわたしより幸福に育ったあなたが、温かな家で生まれ育ったあなたが。よりにもよって、それをわたしに言うのか。
生まれや育ちは変えられない。社会にでて、たくさんの人間と接するうちにある程度、一般的な家庭がどういったものであるか平均値を知った七生は、自分が平均から外れることを知っていた。まして、二十六歳で家族をすべて失くしたことだって、七生の抱えるマイノリティのひとつだった。
だれにも理解されない。共有できない孤独がある。誰にだってきっと何かしらの孤独があるのを知っている。わたしの悲しみも孤独もすべてわたしだけのもので、だれかに与えたりなんかしない。
すべてひとりで抱えて、消化しなければいけない。
それでも、時々。
頑張ったねと、褒めてほしいことはあったから。
きっと、たかだか失恋ごときで、と眉を顰めるひともいる。
けれどすでに家族がいない七生にとっては、自分を思ってくれるだれかがいなくなることは。七生自身にとっても予想の範疇を超えて、とんでもない喪失を味わうはめになった。
恋人に別れを告げられて、二週間近く経っただろうか。
いまだ、気を抜くと世界中に一人きりであることを思い知って、涙が出てきてしまう。傷つく覚悟は決めていたのに、覚悟を超えて傷ついた自分に呆れてしまう。
失恋自体に傷ついたわけじゃない。結局どうあっても自分は孤独である事実を叩きつけられたことに、愛情を注いでいい対象がなくなったことに、ひどく喪失感を覚えて、傷ついている。
一人でいたくない、が望みなのだから、きっとそうだった。
絶対的な理解者が、味方が、わたしだけのひとが。この世にいればいいのに。
叶いもしない夢を見て、七生はたくさん、苦しんでいる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。