第4話奇跡のモジュール、そして危険な共鳴
脳に現れる叫び 第四話:愛海の涙、奇跡のモジュール、そして危険な共鳴
第三話で、能見嵐は自身の能力の根幹にある「情報結晶化」の核が「モジュール」と呼ばれ、それが人間の意識や記憶、感情から抽出されることを突き止めた。しかし、そのモジュールは極めて不安定で有限であり、意図的な能力制御は困難。教授との実験は行き詰まり、愛海に秘密を打ち明けた嵐は、共に途方に暮れていた。
第四話は、そのカフェでの重苦しい沈黙から始まる。嵐の言葉を聞いた愛海は、静かに、しかし深く傷ついた表情をしていた。物理法則を超えた能力、その核となるのが、曖昧で揺れ動く人の心――医師として、科学者として、彼女はそれがどれほど不安定で危険な均衡の上に成り立っているかを理解してしまった。そして、その能力を持つ嵐が、どれほどの孤独と危険を抱えているのかも。
「…途方にくれるわね…」愛海の言葉が、二人の間に漂う無力感を増幅させる。嵐は彼女の手を握り、何も言えなかった。自分の存在が、愛海にこれほどの不安を与えている。彼女を守りたい。しかし、そのために必要な「力」は、彼女自身の苦悩を源にするかもしれないと知ったばかりだ。
愛海の瞳に、ゆっくりと涙が溜まっていく。嵐の抱える重圧、未来への不安、そして彼に何もしてあげられない自身の無力感――様々な感情が混ざり合い、透明な雫となって頬を伝った。一粒、また一粒と、テーブルの上に落ちる。
その時だった。愛海の涙がテーブルの木材に触れた瞬間、嵐の脳内に、これまで感じたことのない、鮮明で、安定した「モジュール」の感覚が生まれたのだ。それは、これまでに意識から微弱に抽出できた、ぼやけた記憶の断片とは全く異なる、クリアで力強い情報の塊だった。まるで、濁流の中から、研磨された宝石を見つけ出したような感覚。
嵐は息を呑んだ。このモジュールは…何だ? これまで得られたものとは質が違う。
反射的に、嵐は愛海の涙が落ちたテーブルの表面に視線を集中させた。破壊衝動はない。ただ、強烈な「修復」あるいは「生成」への意志が湧き上がる。脳内で、先ほど感じた鮮明なモジュールが、物理的な作用へと変換されるプロセスが、かつてないほど明確にイメージできた。
次の瞬間――
愛海の涙が染み込んだテーブルの表面に、微細な光が宿った。木材の表面の古傷、長年の使用でできた小さな凹みや擦り傷が、まるでスローモーションの映像を見ているかのように、ゆっくりと、しかし確実に消えていく。木目が整い、表面が滑らかになっていく。数秒後には、まるで新品のように、傷一つない美しい木肌が現れた。
二人は言葉を失った。愛海は涙を止めたまま、自身の涙が落ちた場所と、嵐の顔を交互に見つめている。
「…これ…は…」嵐の声は震えていた。「今のは…」
それは、微細な結晶変容とも、制御不能な破壊とも違う。明確な意図に基づき、対象の「情報」(傷つく前の状態)をモジュールとし、それを物理的な現実に反映させた「奇跡」だった。そして、そのモジュールの源が、紛れもない愛海の「涙」、彼女の感情そのものであることを、嵐は全身で理解した。
「愛海…君の…涙が…」
嵐の視線に、愛海は自分の頬に触れた。まだ涙の跡が残っている。彼女は混乱していた。自身の感情が、嵐の、あの常識では考えられない能力の核になる?
「…どういうこと…?私の涙が…?」愛海の声は不安に揺れていた。医師として、脳科学の知識を持つ彼女にとって、これはあまりにも非現実的で、そして危険な可能性を示唆していた。自身の感情が、嵐の力のトリガーになるなら、自分の心の状態一つで、彼の能力が制御不能になるかもしれない。喜びは生成に、悲しみや怒りは破壊に繋がる可能性がある。そして、何より…
嵐は、愛海の恐怖を察した。彼女の感情がモジュールになるということは、彼女自身が能力の源、あるいは触媒となることを意味する。彼女が悲しみ、苦しみ、絶望すればするほど、嵐の力は強くなるのか? あるいは、歪んでしまうのか? そして、もしその事実を誰かが知れば、愛海は嵐の能力を操るための「道具」として狙われるかもしれない。
「このモジュールは…今まで感じたものより、ずっと鮮明だった…安定していた…」嵐は呟いた。それは、彼女の純粋な、彼を心配する気持ちが、高密度の「情報」となり、能力の核になったのではないか。
愛海は嵐の手を強く握りしめた。その手は冷たかった。「嵐…もし、本当に私の感情が…あなたの力の源になるなら…」彼女の瞳に、新たな畏れが宿る。「私、怖いわ…自分の気持ち一つで…何かが起こるなんて…」
嵐は、新たな可能性が見えた喜びと、愛海を危険に晒してしまうという絶望的な現実の間で引き裂かれた。能力の制御への道筋が見えたかもしれない。強力なモジュールを獲得する手段が見つかった。しかし、それは最も大切な人を、能力と物理的に、そして感情的にリンクさせてしまうことを意味した。彼女がモジュールである限り、彼女は常に狙われる危険に晒される。
「教授に…話さないと…」嵐は絞り出すように言った。この新たな発見は、能力解明にとって極めて重要だ。しかし、教授のあの歪んだ好奇心を思い出すと、背筋が凍る。彼は愛海をどう見るだろうか? 研究対象として? モジュール発生源として?
愛海は首を横に振った。「待って、嵐…あの教授に、すぐに話すのは…」彼女は医師として、研究者としての直感で、教授の知的好奇心が危険な領域に踏み込んでいることを感じ取っていたのかもしれない。あるいは、自身の安全を本能的に察知したか。
二人の間に再び沈黙が訪れる。テーブルの上の、奇跡的に修復された部分が、静かに存在感を放っている。愛海の涙が引き起こした、小さな奇跡。それは希望の光であると同時に、二人の未来に、これまで以上の深い闇を投げかけるものだった。愛海の感情が嵐の能力に共鳴する。この危険なリンクは、二人の関係をどう変えていくのか。そして、この事実を誰が知るのか。
強力な能力の片鱗に触れ、その制御への手がかりを得たかに見えた嵐。しかし、その代償は、最も大切な人間との間に結ばれた、奇跡であると同時に呪いともなりうる、危険な絆だった。愛海の涙が示した可能性は、彼らを新たな、そしてより深い混沌へと引きずり込んでいく。二人は、その場で、能力の可能性と、それに伴う危険な共鳴、そして深まっていく闇の中で、再び途方に暮れるしかなかった。物語は、愛海の涙をモジュールとして、さらに加速していく。
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