第3話意識の結晶、そして二人の途方
脳に現れる叫び 第三話:モジュールの影、意識の結晶、そして二人の途方
一条教授の研究室は、興奮と緊張の空気に包まれていた。嵐の目の前には、奇妙な装置が置かれている。脳波計、視線追跡装置、そして、対象物を置くための精密なセンサー付き台座。第二話の事故現場から大学へ直行した嵐は、教授に「再生」の奇跡を含む全ての出来事を語った。教授の「歓喜」は凄まじかったが、嵐は彼の目の奥に宿る歪んだ光に、言いようのない不安を感じていた。しかし、この制御不能な力を理解し、どうにかする必要がある。そのためには、教授の知識と設備が必要だった。
「よし、能見君。まずは基本的な検証からだ。」教授は眼鏡の奥で目を光らせた。「君の能力が、単なる念力やサイコキネシスとは異なる、『情報』を介した物質操作である可能性が高い。特に、あのネックレスや負傷者の再生。あれは単に物を動かしたのではなく、特定の『形』や『構造』の情報が、周囲の物質に作用して再構築された結果と推測される。」
「情報…結晶化…」嵐は、第一話で自身が得た予感を口にした。
「そうだ!情報結晶化、素晴らしい表現だ!」教授は嬉々として頷いた。「君の脳内で、対象物の構造情報、あるいはイメージ情報が、物理的なモジュールとなり、周囲のエネルギーや素粒子に働きかける。鍵となるのは、その『モジュール』だ!」
数日にわたる実験が始まった。様々な物体――ボールペン、クリップ、ガラス片、さらには細胞サンプル――を台座に置き、嵐は意識を集中させる。教授は脳波や視線、微細な身体反応を記録し、物質の変化を観察する。
最初のうちは、第一話の砂糖の結晶のように、微細な変形や、対象物の表面にごく僅かな変化が現れる程度だった。意図的に「生成」を試みても、エネルギーが散漫になり、何も起こらないか、あるいは対象物がわずかに歪むだけだった。
「集中が足りないのか…?モジュールが不明確なのか…?」嵐は焦燥を感じていた。消しゴムを爆散させた時のような、強烈なエネルギーの流れは全く感じられない。あの時は、意図的な「生成」ではなく、ただ力を向けようとした。
教授はデータを見つめながら言った。「あの消しゴムの破壊は、生成とは全く別のプロセスが働いた可能性が高い。あるいは、情報モジュールが負の方向に作用したか。あの時は、何を考えていた?」
「ただ…力を向けようと…」嵐は言葉を詰まらせた。あの時の衝動。それは、単なる集中ではなかった。どこか破壊的な、内側から湧き上がるような負のエネルギーが混じっていたかもしれない。
実験は行き詰まっていた。意図的に「モジュール」を形成し、能力を再現する方法が見つからない。偶然のキャップ生成、アクセサリー生成、そして再生。いずれも、特定の強いきっかけ――偶然の閃き、彼女への強い想い、人を助けたいという衝動――が伴っていた。
ある日、実験中に、嵐はふと、彼女――愛海(あやか)の顔を思い出した。カフェでネックレスを渡した時の、驚きと、そして優しさが混じった笑顔。彼女に能力を知られてしまったという不安。そして、それでも信じようとしてくれた彼女への感謝。その強い感情が、嵐の脳内に鮮明な光景として蘇った。
その瞬間、指先にごく微弱な熱を感じた。台座に置かれた小さなガラス片が、わずかに震え、その表面に、微細な花の紋様が浮かび上がった。それは、以前愛海に贈ろうと考えていた、手作りのアクセサリーのデザインの一つだった。
「教授!今、ガラスが…!」
教授はデータを読み取った。「脳波が…!感情の高まりと同期して、特定のパターンを示した!そして物質に変化が!これだ、能見君!これがモジュールだ!」教授は叫んだ。「君の能力は、単なる物理情報だけでなく、感情や記憶といった、不確かな『意識』そのものも、物質に作用するモジュールとして利用できるのではないか!?それが、あのネックレスや再生の鍵だ!」
教授の仮説に、嵐は目を見開いた。無機質な「形」の情報だけでなく、温かい「感情」や「記憶」が、能力の核となる。それは、彼の能力が、単なる物理法則を超えた、より人間的で複雑なものであることを示唆していた。
それから、嵐は自身の内面と向き合う実験を始めた。過去の記憶、鮮明なイメージ、強い感情…それらを意識的に呼び起こし、能力発動のトリガーとする練習。それは容易ではなかった。感情は揺らぎ、記憶は曖昧になる。
しかし、試行錯誤の末、嵐はごくわずかではあるが、自身の意識の中から特定の「モジュール」を抽出する感覚を掴み始めた。それは、脳内の書庫から特定のファイルを引き出すような、あるいは、水面に浮かぶ無数の泡の中から、特定の泡だけを選び取るような、繊細で不確かな作業だった。
例えば、初めて海外旅行に行った時の、鮮烈な夕日の記憶。それを強く意識すると、指先に微かな熱が集まり、台座の金属片が夕焼け色に染まる(ごく一部、一瞬だけ)。子供の頃、大切にしていたおもちゃの感触。それを思い出すと、粘土が少しだけ硬くなる。愛海の笑顔…それをモジュールにすると、ガラス片の紋様が少しだけ複雑になる。
だが、問題があった。抽出できる「モジュール」は、極めて限られていた。鮮明な記憶や強い感情は、人生の中でそう多くはない。しかも、それらも時間の経過と共に薄れる。特定の形状を完全に情報化することも難しい。意識は常に揺れ動く。意図的に意識を固定し、能力の核として利用することは、砂を手で掴むように、不可能に近い作業だった。
「ダメだ…抽出できるモジュールは、これだけしかない…」
実験は成功しつつも、得られた結果は絶望的だった。モジュールは無尽蔵ではない。人間の意識や記憶という、極めて個人的で、曖昧で、有限なものからしか得られない。しかも、その精度や安定性は極めて低い。この不確かなモジュールでは、意図的に何かを生成することも、ましてや再生のような複雑な作用を起こすことも、まるでサイコロを振るようなものだ。偶然に頼るしかない。そして、意図的な集中は、制御不能な破壊に繋がる危険性を常に孕んでいる。
教授はデータを見ながらも、どこか満足げだった。「確かにモジュールは有限で不安定だ。だが、その存在を特定できた!そして、意識から抽出できるという可能性だ!これさえ分かれば…」
教授は、この困難な事実にも臆することなく、むしろ新たな研究課題を見つけたかのように目を輝かせていた。彼の関心は、既に「モジュールの不安定さ」という問題そのものに移っているようだった。
研究室を出た嵐は、足取り重く道を歩いた。モジュールの存在は確認できた。抽出技術もごくわずかだが掴んだ。しかし、そのモジュールはあまりに脆弱で、有限だった。この力は、結局のところ、偶然にしか発動せず、意図的に使おうとすれば破壊を招く、危険なだけのものなのか。あの再生の奇跡も、ただの一度きりの偶然だったのかもしれない。
そんな時、ポケットのスマートフォンが震えた。愛海からのメッセージだ。「今日の研究、どうだった? 無理してない?」
嵐は立ち止まった。彼女には、アクセサリー生成の能力の片鱗を見せてしまった。そして、あの時、彼女は彼の「手品」という嘘を見破った。彼女になら…
翌日、嵐は愛海と二人きりで会った。落ち着いたカフェ。向かい合う彼女の、心配そうに見つめる瞳。嵐は、昨日の実験で分かったこと、モジュールの存在、それが意識や記憶から抽出されること、そして、そのモジュールがいかに不確かで有限であるかを、訥々と語った。破壊の危険性についても。
愛海は黙って聞いていた。医師として、研究者として、その話がどれほど非現実的で、どれほど深刻な意味を持つかを瞬時に理解したのだろう。やがて、彼女は深いため息をついた。
「…そう、なのね…あなたの、その力が…記憶や、意識が、モジュールになる…」彼女の視線が遠くなった。「それは…すごいこと、だけど…同時に、すごく…不安定で…」
彼女は嵐の手を取った。その冷たさが、嵐の胸を締め付ける。「だって、人の記憶なんて、曖昧だし…感情なんて、簡単に変わるじゃない。それを頼りに、何かを生み出すなんて…再生なんて、もっと複雑な情報が必要でしょう?それが有限で、不確かで…」
愛海の言葉が、嵐が直面している絶望的な現実を、より鮮明に突きつけた。そうだ。どれほど強力な力でも、その核となる情報が不安定なら、制御できるわけがない。まるで、設計図が風に舞う紙切れで、インクが滲んでいるようなものだ。
二人の間に、重い沈黙が流れた。外の喧騒が遠く聞こえる。カフェの温かい空気も、二人の間に漂う重苦しさには届かない。
嵐は、愛海の手を握り返した。「ごめん…君に、こんな話…」
「いいの」愛海は首を横に振った。「知ってしまったことだから…それに、あなた一人で抱えきれることじゃない。」彼女は再び深いため息をついた。「ただ…途方にくれるわね…すごい力なのに、掴みどころがなくて…この先、どうなるんだろう…」
彼女の言葉は、嵐自身の胸の内をそのまま表していた。「途方にくれる」。希望に見えた力が、その実、あまりにも頼りなく、あまりにも危険な代物だったという現実。教授の野心めいた態度への不信感。そして、愛海に秘密を打ち明け、彼女を巻き込んでしまったこと。
二人は、しばらくの間、ただ向かい合って座っていた。強力な異能に目覚めた青年と、その秘密を知ってしまった女性医師。彼らの目の前には、能力の制御という途方もない壁と、その能力がもたらすであろう、未知の困難が横たわっていた。モジュールの不確かさという新たな課題は、彼らの未来に、深い影を落としていた。どこへ向かえばいいのか、何から始めればいいのか、全く分からない。希望と絶望の狭間で、二人はただ、途方に暮れていた。物語は、嵐が能力の根幹に触れたことで、より複雑で困難な局面に突入したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます