第10話 仮面の裏に

「……ふぅ」


 夕暮れ時の図書室。校舎の片隅にあるその空間は、生徒の声も届かない静寂に包まれていた。


 その一角、窓際の席で静かにページをめくる天城悠真の姿があった。


 手にしているのは、小難しい専門書。内容は、プログラミングと人工知能の応用技術についての解説書だった。


(……やっぱり、ここにいた)


 気配を殺して近づいた白雪理央が、その背を見つめる。


 誰にも気づかれずに姿を消し、誰にも気づかれずに知識を吸収する。まるで影のように、存在を薄めて生きているかのようだった。


 彼のことを「ただの地味な生徒」と片付けていた自分を、理央は少し恥じた。


 そして、昨日の一件が、頭から離れない。


(あの判断力、動き……あれは偶然じゃない。間違いなく経験に裏打ちされたものだった)


 理央は意を決して声をかけた。


「あなた、何者なの?」


 悠真はゆっくりと本を閉じ、こちらに顔を向ける。驚きも困惑もない、ただ静かな瞳。


「何者……なんて、たいそうなものじゃありませんよ。ただの高校生です」


「嘘。私にはわかる。あの時の動き、目、判断力……」


 彼女の瞳が鋭く光る。白雪理央――この学園でも群を抜いて頭が切れる、孤高の才女。そう簡単に誤魔化せる相手ではない。


 悠真は一拍置いて、小さく笑った。


「……観察力も、推理力もある。さすが白雪さんですね」


「答えて。あなた、本当は何を隠しているの?」


「……じゃあ、逆に聞きます」


 悠真は立ち上がり、窓の外を見ながら言った。


「なぜ、僕にそこまで興味を?」


 その問いに、理央は言葉を詰まらせた。


 なぜ? 理由は明確ではない。ただ、気になって仕方がなかった。あのときの姿が、脳裏に焼きついて離れない。


「……あなたを知りたい。そう思ったからよ」


 言葉にしてみて、自分でも驚いた。


(私が……誰かを“知りたい”なんて)


 いつもは誰にも関心を持たず、必要最低限の関わりしか持たなかった理央。その彼女が、自ら一人の生徒に歩み寄っている。


 悠真はその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。


「……僕は、過去に人を信じて裏切られました。だから、今は誰にも期待しない。ただ、それだけです」


「それが理由で、仮面をかぶってるの?」


「そうでもしないと、また同じことを繰り返す気がして……怖かったんです」


 その言葉は、意外なほど素直だった。だからこそ、胸に響いた。


 理央は静かに言った。


「なら、今は“誰かに期待したい”って思ってる?」


 悠真は答えなかった。ただ、少しだけ目を伏せたまま、沈黙した。


 それが、彼の答えだった。


「……あなたが誰を信じるかは自由よ。でも、少なくとも私は、あなたに興味を持った」


 そう言って、理央は踵を返した。


「だからもう少し……あなたの“仮面の裏”を見せてほしい」


 夕焼けが、彼女の背中を金色に染める。


 その姿が消えていくのを、悠真はただ静かに見送っていた。


 彼の中で、微かに凍っていたものが、わずかに動き出す。


(……白雪さんは、本気で僕を見ている)


 それが、少しだけ――心地よかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る