第3話 村の朝はにぎやかだ。胸とか、スープとか、魔物とか

「きゃあああああああああああああああああああああああっっっっっっっっっ!?」


 地響きすら起こしかねない絶叫。


 目の前の少女——金髪に淡い紫の瞳、白い頬はトマトみたいに真っ赤になっていた。


……この子、思ってたより声デカいな。


「ま、待って!違う!これは事故だ!本当に事故なんだってば!わざとじゃないって!!」


 俺は頭の上で両手を振り回しながら、必死に弁明した。いや、もはや懇願に近い。ほんとに、マジで、ただのアクシデントだったんだって!


「な、なにが事故ですか!?あ、あんなふうに完全に埋もれてて……!」


「その言い方はおかしいだろ!?そういう意味じゃなくて!目が覚めたらこうなってたって話だってば!俺だって被害者なんだからな!?」


「ひ、被害者は私ですっ!!目を開けたら、いきなり誰かが、が、が、胸に……!こ、こんな失礼なこと、生まれて初めてですからっ!」


「ま、まあ……それは……申し訳ない。でも本当に、そういうつもりは一切なかったんだってば!」


「い、言っておきますけど、私が黙ってるからって、そういうのを許してるとか思われると困りますからっ!?そ、そういうつもりなんて、これっぽっちもなかったんですからねっ!!」


……なにを許したって?

 いや、ちょっと待って、俺そんな変態扱いされるようなことしてないからな!?


「本当に、意図もなかったし、記憶もなくて、ただただ……気がついたらちょっと触れてた...ような?」


「ちょっと!?!?」


「ご、ごめん!今のは言い方が悪かった!とにかく!本当にごめんって!どうか落ち着いて!!」


 しばらく続いた口論の末、ようやく俺たちは言葉を失って、息を整えることになった。


——そのとき、


カチャリ。


「……!?」


 静かに開いた扉の向こうから、落ち着いた中年男性の声が聞こえた。


「おお、目を覚ましたか。セレナ、客人も起きたようだな。騒ぐのはこのへんにしておけ。」


「お、と、父さん!?ち、ちがうんです、これは、そのっ……!」


 扉の隙間から見える男——年の頃は五十代だろうか。


 彼は無表情なまま、俺とユリアを順に見渡し、重々しく言った。


「もう随分と仲良くなったようだな。朝食の用意ができている。上で食事することはないから、下に来るように」


 それだけ言い残し、扉をそっと閉めた。


「ち、違いますからねぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!!!」


 彼女は顔を真っ赤にしながら、叫び声とともに後を追って部屋を出ていった。


「……朝からなんなんだよ、マジで……」



 軽やかな木製の階段を降りると、暖炉のある小さな食堂が現れた。


 古びた木のテーブルの上には、湯気を立てるスープと、粗く切られたパンの数切れ、そしてゆで卵が並んでいた。

質素ながらも、温もりを感じさせる食卓だ。


「さあ、遠慮せずに座ってくれ。大したものは出せんが……体の具合はどうじゃ?」


中低音の、落ち着いた声。

その声の主――こちらをまっすぐ見つめる老人は、どこか安心感を与える雰囲気を持っていた。


「はい……おかげさまで、ずいぶん楽になりました。本当にありがとうございます」


「それは良かった。自己紹介が遅れたな。わしはこのアルマナ村の村長、ガウスと申す」


ガウス村長――異世界らしい名前ではあるが、その表情には威厳と優しさが同居していた。

穏やかな口調とは裏腹に、背筋はピンと伸び、深く刻まれた皺には、長年の経験と責任の重みがにじんでいる。


その隣には、さっき出会った金髪の少女が、顔を真っ赤に染めたまま、視線を皿の上に落としていた。


「見ての通り、こやつはわしの娘、セレナじゃ。……二人とも、もう顔見知りのようじゃな?」


村長は咳払いしつつ、小さく笑う。

セレナはちらりとこちらを見て、すぐにそっぽを向いた。

頬の赤みは引かず、ぎゅっとスプーンを握りしめたまま、口をきつく閉じている。


村長は木の柄杓を使い、ゆっくりとスープをすくい、私の皿に注いでくれた。

そして、少し硬そうなパンを一切れ、その隣に添える。


「今あるのは、これくらいじゃ。おぬしが倒れておる間に、村の状況が少しばかり悪うなっての」


「……いえ、そんな……本当に、ありがとうございます」


私は深く頭を下げ、スプーンを手に取った。

そして――


「……おいしい……」


一口飲んだ瞬間、ぬるめのスープから優しい香りと旨味がじんわりと広がり、空腹だった胃が一気に反応する。

パンも、手に取ったとたん口の中へ。

スープが冷める間もなく、あっという間に半分以上が消えていた。


「……よほど腹が減っておったようじゃな」


村長は、どこか楽しげに笑った。

しかし――その笑顔は一瞬で消えた。


ふいに、その目が鋭くなる。


「……で、おぬしは一体、何者じゃ? どこから来た?」


「げほっ……!」


あまりにも唐突な質問に、思わずスープが喉に引っかかり、激しくむせた。

背後から不意打ちされたかのような衝撃。

たった一杯のスープで気が緩んでいた自分を、強く責めたくなる。


そうだ――俺の存在は、この村にとって明らかに“異物”だ。


村長の目は、まるで嘘を見抜くかのように鋭く、重い。

この雰囲気では、いい加減な嘘で誤魔化せそうもない。


「その……えっと……」


冷めかけたスープに浮かぶ野菜をじっと見つめながら、必死に言葉を探す。

“異世界から来ました”なんて正直に言えば、頭がおかしいと思われるのがオチだ。

かといって、記憶喪失や放浪者という設定では、あまりにも芸がない。


そこで、頭に浮かんだのは――


“最小限の真実”と“最大限の曖昧さ”を、うまく混ぜるという方法だった。


「……僕は、東の海を越えた遥か遠くの島国から来ました。

 とある商人に騙されて……気づいた時には、もうここにいたんです」


語るうちに、自然と声は小さくなっていった。

なぜなら、村長の表情があまりに無反応で、何を考えているのか全く読めなかったからだ。


「……ふむ」


村長は静かに息を吐き、椅子の背にもたれかかる。

腕を組み、しばしの沈黙。


――やっぱり、バレた……か?


そう思った、そのときだった。


「村長! 大変です!」


扉が勢いよく開き、一人の男が駆け込んできた。

息を切らし、顔を真っ赤にして叫ぶその姿からは、ただならぬ気配が漂っていた。


腰には短剣、身に着けているのは使い古された軽装の鎧。村の警備兵だろう。


「中央道の端に仮設していた防壁が崩れました! それと……その隙間から、魔物が現れてます!」


「……なんじゃと……?」


村長は目を見開き、即座に立ち上がる。


予想外の展開に、俺も思わずスプーンを置いた。


魔物……!?

どこかで聞いたことのある言葉。けれど、まさか現実でそれを耳にするとは――


防壁が崩れたってことは……まさか、戦争でも始まったのか?


――冗談抜きで、ヤバいんじゃないか……?


さっきまでスープに感動していた自分が、今や命の危機に晒されているなんて。


「分かった。すぐに向かう。まずは兵を集めるのじゃ!」


村長は武具を手にし、剣を腰に下げて出口へと向かう。


「あっ、僕も……!」


反射的に立ち上がり、声をかけかけた、そのとき――


「――ダメじゃ」


村長の低く、しかしはっきりとした声が、俺の言葉を遮った。


彼は振り返り、しばし俺を見つめると、静かに告げた。


「おぬしは、まだ本調子ではない。それに……この村のことを、何も知らんじゃろう」


そう言って、今度はセレナの方に視線を向ける。


「セレナ、この者と一緒にいてやれ。すぐ戻る、心配はいらん」


「……はい、お父さん」


セレナは唇をきゅっと結び、こくんとうなずいた。


村長は一切の迷いもなく扉を開け、外の世界――迫りくる不安と緊張の中へと飛び込んでいく。

扉がガタンと閉まる、その最後の瞬間まで――

その背中は、不思議と頼もしく映っていた。


まだスープの香りが残る部屋。

けれど、空気はすっかり変わってしまっていた。


俺は黙って席に戻り、腰を下ろす。

そして、隣に座るセレナが、表情を固く引き締めたまま、じっと俺を見つめていた――。


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