第4話
月曜日、放課後。俺は今、美咲と一緒に図書館へ向かっている。週末に美咲に「大好き」と言われ、公園に連れて行かれ、そして月曜になって、今度は図書館だ。美咲の行動パターンが全く読めない。図書館で、一体何をされるんだろう? もしかしたら、あの「大好き」の意味を、大勢の前で読み上げさせられる、とか? いや、図書館だから静かに、か。静かに、俺の耳元で、あの「大好き」は嘘だったんだよ、とか囁かれるのかもしれない。想像しただけで恐ろしい。
図書館は、学校の中でも特に静かで、俺にとってはあまり足を踏み入れたくない場所の一つだ。ひっそりとしていて、まるで俺の心の中みたいだ。そんな場所に、太陽みたいな美咲と一緒に来るなんて、アンバランスにも程がある。
図書館のドアを開ける。ひんやりとした空気と、紙とインクの匂い。そして、シン、とした静けさ。他の生徒たちが、それぞれの席で静かに本を読んだり、勉強したりしている。そんな中で、美咲はスタスタと慣れた様子で中へ入っていく。
「ねえ、健一、こっちこっち!」
美咲は俺を手招きした。静かにしろ! ここは図書館だぞ! 美咲の声は、図書館の静けさの中で、やけに大きく響くように聞こえる。
「……静かにしろよ」
俺は小さな声で注意する。
「あ、ごめんごめん!」
美咲は悪びれずに笑った。
美咲が向かったのは、学校の図書館にしては珍しい、奥まった場所にある、少し広めの閲覧スペースだった。他の席からは見えにくい、半個室のような空間だ。
「ここで待ってて!」
美咲はそう言って、書架の方へ歩いていった。借りたい本があると言っていたから、本を探しに行ったんだろう。
(借りたい本? 図書館で、俺を誘ってまで借りたい本って、なんだ? もしかしたら、俺に関する何か重要な情報が載っている本なんじゃないか? 例えば、俺の過去の黒歴史とか、俺の弱点が書いてある本とか。それを借りて、俺を脅迫するつもりか?)
俺のネガティブな勘ぐりは止まらない。美咲の行動には、いつも何か裏があると考えてしまうんだ。特に、あの「大好き」発言の後では、全ての行動が、その発言に繋がっているような気がしてしまう。
美咲が書架の間を歩いているのが見える。真剣な顔で本の背表紙を目で追っている。一体どんな本を探しているんだ? 俺の知らない、美咲の秘密に関わる本かもしれない。
しばらくして、美咲が戻ってきた。手には、一冊の本を持っている。
「じゃーん! これ!」
美咲は、借りてきた本を俺に見せた。
その本のタイトルを見て、俺は固まった。
『初めての恋愛小説の書き方 ~あなたの「好き」を形にしよう~』
……は?
恋愛小説の書き方? しかも、「あなたの『好き』を形にしよう」だと?
「……これ、なんだよ」
俺は絞り出すような声で尋ねた。なんで美咲がこんな本を? そして、なんで俺にこれを見せるんだ?
美咲はニコニコしている。
「えへへ、面白そうでしょ?」
「……面白そう、なわけあるか」
俺は否定する。俺にとって、恋愛なんて縁のない世界だ。そんな本、全く面白そうじゃない。
「なんで健一と一緒に来たかって言うとね」
美咲は本を机の上に置いた。
「この本、一人で読むより、二人で読んだ方が面白いかなって思って!」
二人で? この本を? なぜ? そして、「一人で読むより二人で読んだ方が面白い」なんて、どんな本なんだ?
「……何を言ってるんだ、お前は」
俺は美咲の言葉の意味が分からない。美咲の行動原理は、いつも俺の理解の範疇を超えている。
「だってね」
美咲は身を乗り出す。
「私、恋愛小説、書いてみようかなって思ってるんだ!」
恋愛小説? 美咲が? なぜ急に?
「……なんでだよ。なんで急に、恋愛小説なんか」
「なんでって」
美咲は少し照れたように、下を向いた。美咲が照れるなんて珍しい。
「私の中に、書きたいこと、伝えたいこと、がいっぱいあるから!」
書きたいこと? 伝えたいこと? 美咲の中に? それが、恋愛小説に繋がるのか? そして、その「書きたいこと」「伝えたいこと」というのは、あの「大好き」発言と関係があるのか?
「……それで、俺をここに誘ったのか?」
俺は尋ねる。美咲が俺を図書館に誘った本当の理由。それが、この本と関係しているのか?
「うん!」
美咲は力強く頷いた。
「健一に、一番最初に読んでほしかったんだ!」
一番最初に? 恋愛小説を? 俺に? なぜ? そして、なぜこの本を借りる時に、俺と一緒に来る必要があったんだ?
「……何を、読んでほしいんだよ。まだ書いてないだろ」
「これから書くんだよ!」
美咲は笑う。これから書くものを、俺に一番最初に読んでほしい?
「それで、なんで、俺なんだよ」
なぜ俺に、美咲の書く恋愛小説を、一番最初に読んでほしいんだ? 俺は文学少年でもないし、恋愛経験も皆無だ。適任だとはとても思えない。
「なんでって」
美咲は、真っ直ぐ俺の目を見た。図書館の静けさの中で、美咲の声だけが、はっきりと響くように聞こえる。
「その恋愛小説、健一のこと、書こうと思ってるから!」
俺の思考回路は完全に停止した。
「……は?」
今、なんて言った? 恋愛小説? 俺のこと? 美咲が書く恋愛小説に、俺が登場する?
「……どういう、ことだよ」
俺は絞り出すような声で尋ねた。頭の中が真っ白だ。美咲の言葉の意味が全く理解できない。
美咲はニコニコしている。
「えへへ、タイトルはね、『私と健一の物語』、とかにしようかなって!」
「私と健一の物語」? それが、恋愛小説? まるで、俺と美咲が、恋愛の物語の主人公みたいじゃないか。
「……何を言ってるんだ、お前は! からかってるのか!」
俺は思わず声を荒げそうになるが、図書館なので慌てて声を抑える。これは、俺をからかうための、美咲の新しい手だ。そうだ。そうに違いない。恋愛小説を書くとか、俺のことを書くとか、全部嘘だ。俺の反応を見て楽しんでいるんだ。
「からかってないよ!」
美咲はむっとした顔をした。
「ホントだよ! だって、私、健一のこと、大好きだもん! だから、健一との物語を、恋愛小説として書きたいの!」
また言った! 大好きだなんて! しかも、恋愛小説を書く理由が、「健一が好きだから」? そして、書く内容は「健一との物語」? 美咲の言葉と行動が、全て「大好き」という言葉に繋がっている。それが、俺には理解できない。
「……どうせ、あの『大好き』も、全部嘘なんだろ。俺をからかうための」
俺は、美咲の言葉を信じられない。信じたら、裏切られるのが怖い。
「嘘じゃないもん!」
美咲は力強く否定する。そして、少し悲しそうな顔をした。俺が自分の「大好き」を信じてくれないのが、美咲にとって悲しいことらしい。
「だから、恋愛小説を書いて、健一に読んでもらいたいの! そしたら、私の気持ち、伝わるかなって!」
美咲は真剣な顔で言う。恋愛小説を書いて、気持ちを伝える? その気持ちというのは、あの「大好き」という気持ちのことか? そして、その気持ちは、恋愛的な気持ちのことなのか?
俺の頭の中は、完全に混乱している。美咲の言動は、俺のネガティブな予測を常に超えてくる。
「……俺のこと、恋愛小説に書く、のか?」
俺は恐る恐る尋ねた。
「うん! だって、一番よく知ってるんだもん、健一のこと!」
美咲は自信満々に言う。一番よく知ってる? そんなことはない。美咲は、俺のネガティブで卑屈な部分なんて、きっと知らないはずだ。俺の良いところなんて、ほとんどないんだから。
美咲は借りてきた本を手に取った。
「よし! 今日から書くぞー!」
美咲は気合いを入れる。俺の横で、俺に関する恋愛小説を書く気満々だ。
「……あの、俺、ここにいてもいいのか?」
俺は尋ねる。美咲が俺に関する恋愛小説を書く横で、俺がじっと座っている、という状況が、なんとも居心地が悪い。
「えー! もちろんいいよ! 健一のこと書きたいんだもん!」
美咲は当然のように言う。
俺は、美咲の横に座って、美咲がペンを走らせる音を聞いていた。時々、美咲がチラッと俺の方を見るのが分かった。その度に、俺は慌てて目を逸らす。
美咲は、本当に、俺のことを書いているのだろうか。あの「大好き」という気持ちを込めて、俺との物語を、恋愛小説として。
全く、美咲の考えていることは分からない。でも、一つだけ確かなことがあるとすれば……。
今日の放課後は、いつもより、少しだけ、ドキドキする、ということだけだった。
そして、これから美咲が書くという、俺に関する恋愛小説。それが、どんな物語になるのか。
ほんの、ほんの少しだけだけど……。
楽しみなような、怖いような、複雑な気持ちで、俺は美咲の横に座っていた。
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