五日目 魔王不在、勤務中

――ここは、魔王が不在の魔王城である。

 魔界の中心部にそびえ立つ漆黒の城、バロス・ゲヘナ。

 かつて数多の勇者が挑み、誰一人として帰還できなかったとされる魔王の本拠地。


 ――だが、いま。


「今日の朝礼を始めまーす! 魔王様は今日もお休みでーす!」


 大広間に響くのは、戦慄ではなく、若干の諦めを含んだ参謀副長ルシフェッタの声だった。


 彼女は小柄な体にフリル付きの軍服、眼鏡をくいっと上げながら、手には分厚いスケジュール帳。

 その目は「定時退勤死守」の光を宿していた。


「……ではまず、昨日の業務報告から」


 玉座には、当然ながら魔王はいない。


 代わりに並んでいるのは、魔王軍の幹部たち――だが、その様相はどこか緊張感に欠けていた。


「昨日はですね、スライム池のフィルター掃除をゼル様が寝過ごしまして……」


「むにゃ……寝過ごしたのではない……これは深層魔術瞑想……」


 頭にパジャマ帽を被った大魔導士ゼル=ミルファが、玉座横の絨毯に突っ伏したまま答える。


「ついでに、厨房のゼリーが3個減ってるッス!」


 情報担当のインキュバス、スパイ長クロウが叫ぶ。手には例の「冷蔵庫監視日報」。


「こ、これは事件だ……我らのゼリーが……」


「お前さ、もう仕事辞めてゼリー屋やれよ……」


 広報のベルクがため息混じりにツッコむ。


「それより大問題なのは、魔王様が帰ってこないことだろ……もう三週間音沙汰なしだぞ……」


 魔王が“週4勤務に疲れた”と言い残して異世界温泉研修ツアーに出かけてから、早くも三週間。


 最初はすぐ戻ってくると思われていたが、日々の業務報告が「いい湯加減」と「夕食バイキング」ばかりになり、最近はついに既読スルーである。


「ルシフェッタ様、正直申し上げますと――このまま魔王様が帰ってこなかった場合、我々の体制は……」


「問題ありません。私がすべてスケジュール通りに回します」


 ルシフェッタはにっこり微笑んだ。


「……マジで? 書類仕事しかできない人だと思ってた」


「魔王が不在で一番働いてるのは私ですよ!? 書類、報告、予算調整、業績評価、そして従業員満足度管理まで!」


「それ魔王より魔王やんけ」



 その日の午後。魔王城では“あるイベント”が予定されていた。


「魔界料理コンテスト、開幕ですッ!」


「なぜやる……!」


 苦悶の声をあげるベルク。


「だって去年はすごく盛り上がったじゃないですか。“血の池プリン”とか」


「生きてるプリンを審査するこっちの気持ちになってみろよ!」


 厨房では、各部署の魔族たちが火花を散らしながら包丁を握っている。

 その間を、審査員としてケルベロス(3つ頭の犬)が通っていく。


「ワン!(こっちは味薄い)」


「ガルル!(盛り付けが雑!)」


「クゥーン……(おなかいっぱい)」


 ケルベロス語で点数を記録するルシフェッタ、万能すぎる。


 一方、戦士隊長ゴルザックはというと――


「掃除だ! 廊下の床にゴミひとつあってはならん!」


 彼は大会には一切参加せず、今日も黙々とモップがけしていた。背中がでかい。


「こう見えて彼、魔王様に“清掃の鬼”ってあだ名つけられてたからな」


「そっち方面の鬼……?」



 コンテストが佳境に差し掛かったその時。


「報告ッス! ――勇者が来たッス!!」


 空気が凍りついた。


「……ついに来たか……!」


「魔王いないこのタイミングで!? やばくね!?」


「いや、魔王いないって知ってて来たらそれはそれで高度な心理戦……?」


「落ち着いてください、まずは対話を試みましょう」


 そして玄関。


「こんにちはー! 勇者ユウトです! 魔王と話しに来ましたー!」


 勇者は思いのほか明るく登場した。


「おい誰だよ、“魔王の威圧感にビビって帰るタイプ”って予想してたやつ!!」


「それ私ッス……」


 ルシフェッタが勇者に応対する。


「魔王様は現在、異世界温泉リゾート研修に出かけておりまして……」


「へえ、そりゃよかった! じゃあ今日は見学だけで!」


「見学!? え、戦いとかじゃなく?」


「うん、いや俺もう最近ずっと戦い飽きててさ……こっち来たの、社会見学?」


「社会見学で来るな勇者」


 しかし、勇者ユウトはノリノリで玉座に腰かけ、厨房をうろつき、スライム風呂に入って大はしゃぎ。


「うわぁ! スライム風呂あったけぇ!」


「それ、スライムが体液分泌してるからなんで、体ベタベタになりますよ」


「最高じゃん! このベタベタ感、青春って感じ!」


「そんな青春いらん!!」



 夜。全員がすっかり勇者と打ち解け、なぜか魔王の私室で酒盛りが始まっていた。


「明日帰るの? 勇者くん」


「えー、もう一泊してもいい?」


「じゃあ布団敷いときますね!」


 この日、ユウトは「人間界との平和協定はすでに紙切れ」であることを知ったが、

 面倒なのでそのまま黙っていた。


 そして数日後。


 温泉宿にて、魔王がスマホで魔王城の監視カメラを見てつぶやいた。


「……完全に俺の居場所なくなってる……?」


 こうして、魔王不在の魔王城は、今日も元気に運営されている。


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