第15話『君の旋律、私の決意』



 午後の音楽室には、夕陽が斜めに差し込んでいた。


 カーテンの隙間から射す光が、譜面台をオレンジ色に染めている。


 そらは一人、グランドピアノの前に座っていた。


 楽譜には何も書かれていない。けれど、鍵盤の上に置いた指が、自然と動き出す。


 ――ぽろん、ぽろん。


 静かな旋律。けれど、その音の一粒一粒に、彼女の想いが宿っていた。


 


 (私は、もっと強くなりたい。誰かに揺さぶられても、自分の音を信じていたい)


 


 昨日の帰り道、凛に突きつけられた言葉。

 悠真の「ありがとう」という声。

 そのすべてが、今、音へと姿を変えていく。


 


 「……そら」


 不意に背後から声がした。


 驚いて振り向くと、そこには悠真が立っていた。


 制服のまま、ギターケースを背負っている。


「ごめん。ドア、開いてたから……」


「ううん、いいよ。悠真くん、どうして……?」


「そらの音が、聞こえた気がしてさ」


 


 そう言って、悠真は窓辺に腰かけた。


 光が彼の横顔を照らす。その表情は、どこか柔らかかった。


 


「さっきの曲、すごく良かった。そらが自分で作ったの?」


「うん……なんとなく、思ったことを音にしてみたの。まだ途中だけど」


 


 そらは視線を下げ、鍵盤にそっと触れる。


 指先が震えていた。


 


「悠真くん。私ね……昨日、ちょっと怖かったの」


「怖かった?」


「凛ちゃんと悠真くんが話してるのを見て、自分がすごく遠くに感じたの」


 


 素直な言葉だった。

 飾らず、隠さず、でも勇気を振り絞った言葉。


 


 悠真は目を細めて、少しだけ黙った。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


 


「俺、凛とはずっと音楽仲間だった。でも、今、俺が一緒に音楽したいのは――そらなんだ」


 


 そらの心臓が、ドクンと跳ねた。


 言葉が喉で止まる。

 でも、それは確かに、彼の“本音”だった。


 


「……ありがとう。でも、私、まだ弱いから。きっと、すぐ迷ったり、揺れたりするかもしれない」


 


「それでもいい。そらがどんな音を奏でても、俺は聴きたい」


 


 悠真の声はまっすぐで、少しだけ震えていた。


 その震えが、そらの心をそっと包んだ。


 


 「じゃあ……私、この曲を完成させる。悠真くんに届けたい。ちゃんと、私の“気持ち”として」


 


 その言葉に、悠真は静かに頷いた。


 


 音楽室に沈む夕陽が、二人の姿をゆっくりと包んでいく。


 その空気は、あの日とは違う。

 たしかに、二人の距離は少しずつ――でも確実に、近づいていた。


 


***


 その夜。


 そらは自室で、ペンを走らせていた。


 五線譜の上に、一つ一つの音を記していく。


 彼女の心の中には、もう迷いはなかった。


 


(これは、私の旋律。私の心)


 


 “誰かの過去”に怯えるのではなく、

 “自分の今”を、まっすぐ音にする。


 音楽は言葉じゃない。でも、伝えたい想いは、必ずそこに宿る。


 


 カーテン越しに風が揺れ、ページが一枚、そっとめくれた。


 それは、そらにとって新しい章の始まりを告げる音だった。

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