第13話『波紋』



 新しい週が始まり、秋の空気はどこか透明で、乾いた風が校舎を抜けていく。


 昼休みの音楽室。


 


「ねえ、このメロディどう思う?」

「……うん。最後の音が少しだけ落ち着きすぎてる気がするかも」


 


 ピアノを挟んだ悠真とそら。

 教室ではほとんど話さないのに、音楽室では不思議なくらい自然に会話ができる。

 それは、あの日の文化祭のステージ以来、ふたりの間に静かに流れ始めた空気だった。


 


「じゃあ、こういう感じは……?」

 そらが弾いたメロディは、夕暮れのように優しく、どこか切ない。


「……いい。今の、すごくいい」


 悠真の目が珍しくきらりと光った。


 


「じゃあ、この曲に名前つけようよ。ふたりで作ってるし」

「名前……?」


 そらは照れくさそうに笑った。「そんなの、つけたことないよ」

「じゃあ、俺が仮で考える。“明け方の約束”」


 


 ふたりの指が、偶然鍵盤の上で触れた。

 沈黙。

 どちらからも言葉は出なかったけれど、心だけは確かに動いていた。


 


 ――しかし、その空気を壊したのは、ドアの開く音だった。


 


「……おー、ここにいたんだ?」


 ふたりが振り返ると、音楽室に入ってきたのはクラスメイトの速水凛(はやみ・りん)だった。


 小柄で活発な女の子。中学のときから悠真のことをよく知っている“元・幼なじみ”だという。


 


「あ、ごめんねー、ちょっと探してたの。悠真、ちょっといい?」


「え……う、うん。どうかした?」


 


 そらは、ぽつんと取り残された。


 


 凛の視線が、さりげなくそらへと向く。

 ――その視線は、なぜかほんの少しだけ鋭かった。


 


「なんか、最近仲良いんだね?」

「えっ……」

「文化祭のやつ、見てたよ。すごく綺麗だった」


 


 言葉は笑っていた。でも、声は少しだけ冷えていた。


 


 凛は悠真の袖を引っ張って、音楽室の外へ連れ出してしまう。

 扉の隙間から、そらはふたりの背中を見つめるしかなかった。


 


(なんだろう、この感じ……)


 胸がざわざわと波打つ。

 さっきまで一緒に作っていた音が、遠くに消えてしまったようだった。


 


 放課後――。


 


 そらはひとりで音楽室に残っていた。

 先ほどのやりとりが、どうしても胸に引っかかっていたから。


 


(悠真くんは……私といると、迷惑? それとも、凛さんの方が……)


 


 そんな時。


「……帰らないの?」


 


 背後から声がして、振り返ると、そこにはまた――悠真の姿があった。


 


「ごめん、急に連れてかれて。凛、ちょっと昔のこと話したいって言ってて……」


「……ううん。気にしてないよ」


 


 でも、笑顔は上手く作れなかった。


 


「そら」


 


 悠真が、そっと言う。


 


「俺さ、凛とは昔のことがあったけど……今はもう、そういうのじゃない。

 今、一緒に音楽を作ってるのは、そらとだけだよ」


 


 その言葉に、そらの胸がぎゅっと音を立てて締めつけられる。


 


「……でも、私は怖い。こうして音楽を作ってることが、誰かを不安にさせたり、傷つけたりするのが」


「それでも、作りたい。俺は、そらと音を作りたい。誰かがどう言おうと、それだけは変えられない」


 


 悠真の目はまっすぐだった。


 そらはゆっくりとうなずいた。


 


「……ありがとう。私、もう少し……強くなる」


 


 ふたりの手が、再び鍵盤に伸びる。


 


 ふたりだけの音は、確かにそこにあった。


 でも、外の世界は――もう、静かにふたりを巻き込みはじめていた。

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