第10話『ふたりで奏でる、はじまりの音色』



 水曜日の放課後、音楽室。


 窓の外には、少しずつ赤みを帯びてきた春の夕陽。

 まるでスポットライトのように差し込んだ光が、ピアノの鍵盤をやさしく照らしていた。


 


 「……ほんとに、やるの?」

 そらが、すこし恥ずかしそうに言った。


 


 悠真は笑う。


 「やるって言ったの、そらじゃん。ふたりで、もう一度……って」


 


 そらは頬を染め、視線を逸らす。


 「だって……昨日、悠真くんが、あんなふうに言うから……」


 


 言いかけて、はにかむように笑った。


 


 「……嬉しかったから」


 


 その笑顔が、胸の奥をぎゅっと締めつけた。


 


 「そらの音、聴かせてよ。俺、今ならちゃんとわかる気がする」


 


 そらは頷き、鍵盤の前に座った。


 悠真も隣に腰掛ける。


 


 「最初は……“あの曲”でいい?」

 「もちろん」


 


 ふたりの指が、鍵盤の上にそっと乗る。


 空気が、ぴたりと静まりかえる。

 風の音さえも止んだ気がするほどに。


 


 ――そして、始まった。


 


 そらが弾いた最初の旋律は、確かに聴こえた。

 優しく、でも確かに心を震わせる音だった。


 悠真の手が追いかけるように重なる。

 テンポを合わせ、音色を紡ぎながら、心を寄せていく。


 


 (そらの音って……こんなにも、あったかいんだ)


 


 それは、“耳”で聴く音ではなく、“心”で感じる音。


 視線を交わすことも、言葉を交わすこともない。

 でも、ちゃんと伝わっていた。


 


 たったひとつの旋律が、ふたりを繋いでいた。


 


 ――ラストの音が、静かに消える。


 


 沈黙が訪れる。けれど、それは苦しくなかった。

 心の奥に響く余韻が、静かに鼓動と重なっていた。


 


 「……どうだった?」

 そらが、そっと尋ねる。


 


 悠真は、言葉を探す。


 


 「……“音”じゃなくて、“そら”が聴こえた」


 


 そらの瞳が潤んだ。


 


 「伝わったんだね、ちゃんと……」


 「うん、ちゃんと」


 


 そのとき、扉の向こうから誰かの声がした。


 


 「ねえねえ、今の曲、誰が弾いてたの?」


 


 慌ててふたりが振り返ると、そこには吹奏楽部の後輩らしき子が数人、興味津々に立っていた。


 


 「すっごくきれいな音だった! 今の曲、何?」


 「文化祭で披露とか、しないんですか?」


 


 そらが戸惑いながらも、視線を悠真に送る。


 悠真は、軽く息を吸って、答えた。


 


 「やるよ、俺たち。文化祭で――ふたりで、演奏する」


 


 そらの目が、少し見開かれる。


 


 「……ほんとに?」


 


 「うん。俺たちの音、もっと多くの人に届けたい」


 


 そらの唇が、ゆっくりと微笑みに変わった。


 


 「じゃあ……約束、だね」


 


 夕陽がふたりを包み込む。


 その光の中で、ひとつの約束が静かに結ばれた。


 


 ――それは、ふたりの“はじまりの音色”。

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