第7話『ふたりだけの旋律』



 金曜の放課後、旧校舎の音楽室。


 今はもう使われなくなったその場所に、ふたりの姿があった。

 夕焼けに染まる窓、うっすらと埃をかぶった譜面台、時の止まったグランドピアノ。


 鍵盤のふたを開けると、微かに木の香りと、古い空気の音がした。


 


 「……ホコリ、ひでえな。掃除しといてよかった」


 


 悠真は照れくさそうに笑い、雑巾を脇に置く。

 そらはその姿を見つめながら、静かに頷いた。


 


 《ありがとう。ここ、わたしのお気に入りなの》


 


 そらがピアノの椅子に腰かける。

 指が鍵盤にそっと触れると、一音、空気を震わせた。


 


 ――ポロン。


 


 乾いた空間に、柔らかく、甘い響きが広がる。


 悠真は椅子を持ってきて、隣に腰かけた。


 


 「……一緒に弾こう」


 


 彼の声は、そらにしか届かないような、小さな音だった。


 そらは一瞬驚いたような目をして、すぐに笑みを返した。

 ふたりは視線を合わせる。そして、そっと手を重ねるように、鍵盤に置いた。


 


 最初はゆっくりと、探るように。

 ド、レ、ミ――。


 そらが主旋律を弾き、悠真がそれをなぞるように和音を重ねる。


 ふたりの音が少しずつ重なっていく。

 ぎこちなくても、たどたどしくても、そこには「音楽」が確かにあった。


 


 窓の外では、カラスが空を横切っていく。

 遠くでチャイムが鳴る。でも、この部屋の中では別の時間が流れていた。


 


 そらがふと、手を止める。


 ノートを開き、さらさらと書く。


 


 《悠真の音は、まっすぐ》


 《だけど、少し泣きたくなる》


 


 悠真はそれを見て、苦笑した。


 


 「……そっちが上手すぎるからだろ。なんか、自分の下手さがバレるっていうか」


 


 そらは少し首を振って、さらに書いた。


 


 《わたしの音、ひとりじゃ響かなかった》


 


 「……そら……」


 


 その瞬間、悠真は自分の胸の奥が熱くなるのを感じた。


 名前を呼びたくなる。手を伸ばしたくなる。

 でも――それは、まだ早い気がした。


 


 だから彼は、かわりにこう言った。


 


 「この曲……また、続き弾こう。来週も」


 


 そらは大きく頷く。


 ふたりの間に、言葉ではない約束が結ばれた。


 


 そして、ふたりはもう一度、鍵盤に手を乗せた。


 


 それは世界で一番やさしくて、誰にも届かない、

 ふたりだけの旋律だった。

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