第6話『ノートに咲く、秘密の言葉』



 放課後の図書室。

 窓際の席で、悠真はそらの隣にいた。


 斜めに差し込む夕陽が、書架の隙間をぬって二人の机に落ちていた。

 静寂が満ちていて、他に生徒の姿はほとんどない。


 


 そらはスケッチブックを開き、鉛筆を握っていた。


 ページの上には、いくつかのイラスト。

 それは音符のようでもあり、春の風のようでもある、不思議な柔らかい線たち。


 


 悠真はそれを、隣で見つめていた。


 


 「……これ、音楽なんだな」


 


 そらはふと顔を上げ、頷いた。


 


 《音を文字にすると、重たくなる。だから私は、線で描くの》


 


 そらは手話と筆談を組み合わせながら、そう伝える。

 その文字すらも、どこか絵のように優しく、美しい。


 


 「……こういうの、他の誰かにも見せてるのか?」


 


 《ううん。悠真が、はじめて》


 


 その一言に、悠真の鼓動が跳ねた。


 机の上で、手が触れそうになる。

 けれど、そらはふっと手を引き、スケッチブックの新しいページをめくった。


 


 彼女は鉛筆を握りしめ、さらさらと何かを描いていく。

 数秒して、ページを悠真の方に向けた。


 


 そこには――


 小さな四角いノートの絵と、その中に書かれた言葉。


 


 「また、一緒に弾こう」


 


 「……!」


 


 その言葉の、なんてまっすぐで、柔らかいことか。


 悠真は言葉に詰まる。

 うまく答えられない自分に、もどかしさを覚えながらも、何かを返そうとした。


 


 だが――


 その時。


 


 「うわ、ごめん、いるとは思わなかった〜」


 


 軽音部の瑞希が図書室に入ってきて、ふたりを見つけ、にやりと笑った。


 


 「おじゃま虫〜って感じ? あはは、悪い悪い」


 


 悠真が不機嫌そうに眉を寄せる。

 そらはいつものように穏やかな微笑を浮かべていたが、どこか肩がこわばっているのを悠真は見逃さなかった。


 


 「瑞希、図書室に用かよ?」


 


 「いや、ちょっと楽譜探しにさ。ついでに、そらちゃんが何描いてるか気になって」


 


 悠真が遮るように席を立つ。


 


 「じゃあ、探して帰れ。俺たちは今、大事な話してんだよ」


 


 瑞希は驚いた顔をし、それからニヤッと笑った。


 


 「へぇ、珍しいな、悠真が怒るなんて。わかったよ、じゃあお幸せに〜」


 


 軽口を残して、瑞希は本棚の方へと消えていく。


 その背中が見えなくなった瞬間、そらはノートの端に新しい文字を綴った。


 


 《ありがとう》


 


 「……俺、うまく言葉にできねえけどさ」


 


 悠真は少し俯き、けれど真剣な声で言った。


 


 「おまえの描いたその“音”とか、“気持ち”とか――俺、もっと知りたい」


 


 そらは小さく目を見開いた後、ふわりと笑った。

 春の光が彼女の横顔を柔らかく照らす。


 


 そして、新しいページをひらく。


 そこに、ゆっくり、丁寧に描かれた絵と文字。


 


 「わたしも、悠真の音がすき」


 


 その一文は、まるで小さな花のように、ページに咲いていた。


 


 その瞬間、悠真の中で何かが確かに変わった。


 友情とか、同情とか、そんなものじゃない。


 もっとずっと、まっすぐで――曖昧で、苦しくて、でもあたたかい。


 


 それが「恋」なのだと、まだ気づくには、少しだけ時間が必要だった。

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