第3話『雨の日の約束』



 朝から、空は濃い灰色に染まっていた。


 ポツポツと静かに降り始めた雨は、やがてリズムを刻みながら、校舎の窓を細かく叩くようになる。

 傘を忘れた生徒たちは、昇降口で立ち尽くし、足元を濡らしながら小走りで教室に向かっていた。


 


 悠真は、校門をくぐると同時に、ふと立ち止まった。


 正門の脇、屋根のない花壇の前で、傘も差さずに立っている人影――。


 (……そら?)


 


 制服の肩がしっとりと濡れている。白いレインシューズのつま先で、彼女は地面の水たまりをじっと見つめていた。


 悠真は無言で、自分の傘を彼女の上に差し出した。


 


 そらが顔を上げる。


 見つめ合った一瞬、雨音が遠くなった気がした。


 


 「……なんで、傘持ってこなかったの?」


 


 そらはペンとノートを取り出す前に、小さく口を開き――かすかに、首を横に振った。


 


 《天気、気づかなかった。音がないと、空の機嫌も見落とす》


 


 「そっか……でも、風が冷たいよ。行こう」


 悠真はそっとそらの手首を取った。


 一瞬、彼女の身体がぴくりと動いた。

 けれど拒絶することはなく、ほんの少しだけ、傘の中に寄り添ってくる。


 肩と肩がかすかに触れる距離。

 雨音と心音だけが、静かに重なっていた。


 


 ***


 


 教室につく頃には、そらの前髪がわずかに湿っていた。


 「……あ、拭く?」


 悠真は制服の袖でごしごしするような野暮なことはせず、自分のハンカチを差し出した。


 そらは目を瞬かせて、それを受け取る。


 


 《優しいね。一ノ瀬くん》


 


 「……いや、普通だよ」


 つい顔をそむける悠真に、そらはふっと笑う。

 まるでその笑い声が聞こえたかのように、悠真の心に柔らかな風が吹いた。


 


 「おーい、雨の日は眠いな~。……って、うおっ、二人で登校とか仲良すぎでしょ!?」


 蓮が教室の後ろから大声で突っ込んでくる。

 悠真は無言で手を上げて挨拶を返したが、そらは静かにノートを取り出した。


 


 《偶然会っただけ。でも、ちょっと嬉しかった》


 


 その文字に、悠真は少しだけ照れくさそうに笑った。

 「そっか」とつぶやいた声が、小さくそらの耳に届く。


 


 ***


 


 放課後。雨はまだ降っていた。


 廊下の窓から見えるグラウンドは、水たまりが広がり、サッカー部の声も今日は静かだった。


 そらは悠真の席の横に立ち、そっとメモを差し出す。


 


 《今日は帰り、一緒に帰ってもいい?》


 


 悠真は驚いた顔をして、それからすぐにうなずいた。


 「……もちろん」


 


 昇降口で靴を履き替えながら、そらがふいに笑った。


 《私、雨の日は嫌いだったけど、少し好きになれそう》


 


 「……なんで?」


 悠真がたずねると、そらはノートに書いたあと、少し照れくさそうにこちらを見た。


 


 《だって、雨の音、私には聞こえないけど――

 君の優しさで、感じられたから》


 


 心に染みるような言葉に、悠真は傘を差しながら、そっとそらの方を見た。


 「……そらって、強いね」


 


 彼女は首を横に振る。


 《強くないよ。けど、君といると……少しだけ、強くなれる気がする》


 


 傘の下、世界はふたりきりの静寂に包まれていた。


 雨は止む気配を見せずに降り続けていたけれど、その中で確かに――ふたりの距離は、少しずつ近づいていた。

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