第21話 不死身ノ科学者

 階段を下ると、そこには重たい金属製の扉があり。その扉を開くと同時に、思わずめぐみちゃんは小さく息をのんだ。

 そこに広がっていたのは――古城と打って変わった、現代的な研究室だった。


 微かな消毒液の匂いが鼻先をかすめた。白を基調とした室内は、整然としており、無機質な美しさがあった。

 壁沿いには光沢のあるステンレス製の作業台が並び、その上には最新式の顕微鏡、遠心分離機、自動ピペッターがきっちりと配置されていた。


 中央のテーブルにあるモニターには分子構造のシミュレーションが繊細な動きで踊り、AIによって解析された膨大なデータが瞬時に色を変えていった。

 すぐそばの3Dプリンターは、小さな臓器モデルを黙々と出力していた。素材は生体適合性樹脂――本物の臓器と見紛うほどの精巧さだった。


「……まるで、SF映画だね」

 めぐみちゃんは小さくつぶやいた。


「私たちにとっては、日常だけどね」


 私はそう答えながら、奥へと進んだ。


 部屋の一番奥、巨大なモニターの前に、ひとりの男が、椅子に座ったまま、顎に手を当てて、画面をじっと見つめていた。


 艶のない白衣に、無精髭。眼鏡の奥の鋭い目が、データの流れを追い続けていた。


 私は足を止めてめぐみちゃんに紹介した。


「彼が、私の仲間。佐野士郎よ。」


 士郎は振り向いたが、立ち上がる様子はなかった。椅子にふんぞり返ったまま、めぐみちゃんを上から下まで、じろじろと見つめた。


 無遠慮な視線に、めぐみちゃんはあからさまに顔をしかめた。


「……この人、なんだか変。」


 私は苦笑いしながら肩をすくめた。


「研究者って、だいたいちょっと変わってるものよ。」


 士郎は、淡々とした声で口を開いた。


「君、能力は?」


 めぐみちゃんは私の後ろにそっと隠れながら、小さな声で答えた。


「……未来予知。」


「ほう……」


 彼の興味を示す声に、私は少し身構えた。


「その能力、いつでも使える感じ?」


「……そうだけど?」


 士郎は机の脇に積まれた資料の束を手に取り、何かをめくりながらぶっきらぼうに言った。


「それなら、制限を設けることで、もっと先の未来が見える可能性がある。」


「制限……?」


「普通、能力ってのは“発現”のときに、何かしらの制限がついてるもんなんだよ。時間とか感情とか。

 でも俺の研究の成果があれば、後天的に制限を追加することだってできる。」


 私は思わず口を挟んだ。


「……ねぇ、私たちって、能力をなくすために動いてるんじゃなかった?なんで強くする方向の話をするのよ?」


 士郎は鼻で笑い、椅子をくるりと回転させて私を見た。


「君はわかってないな。“制限”ってのは、逆に言えば“能力を封じる鍵”にもなるんだよ。

たとえば、“この未来を見るには100人の命を救うことが条件”って制限にすれば、

その人間がそれを一生達成できなければ、能力は一生、使えない。

……な、面白いだろ?」


「……皮肉が過ぎるわよ。」


 私は軽くため息をついて、頭を掻いた。


 めぐみちゃんも、私の袖を引っ張りながら、小声で言った。


「この人、なんか……やっぱり苦手かも。」


 私も同じ気持ちだった。

 士郎の言うことは正しい。理に適っている。けれど、そこに人の感情が欠けている。

 どれだけ綺麗な理屈でも、それが誰かの傷をえぐるものなら――私は、納得できないと思っていた。


 とはいえ、彼は必要な人間だ。

 能力を消す方法を探るには、彼の知識と技術が不可欠。


 そう考えていると、めぐみちゃんは私の後ろから、ぽつりと私に訊ねた。


「……ほかに、仲間はここにはいないんですか?」


 私は振り返って、彼女の瞳をまっすぐ見た。


「そうね、今日はいないの。他の仲間はみんな、今は別の仕事をしているわ。社会の中に溶け込んで、

それぞれの役目を果たしてるの。私だって、普段は警察官をやってるのよ。」


「えっ、警察官?」

 めぐみちゃんの目が大きく開いた。


 私は軽く笑いながら、続けた。


「そうよ。犯罪捜査課で、普通にデスクワークもしてるし、事件現場にも行くわ。

――もちろん、能力はなるべく使わないけどね。」


 そのとき、士郎のくつくつと含み笑いが聞こえた。


「でも、僕だけは違うんだよなぁ……」


 私は肩をすくめて、彼の方に手を向けた。


「そうそう。この士郎くんだけは、すでに“亡くなったこと”になってるのよ。」


「……えっ?」


 めぐみちゃんが目をぱちくりさせた。


「なんで死んでることになってるんですか?」


 その疑問に、当の本人がにやにやとした顔で答えた。


「僕の能力はね、アンデッドなんだ。」


 士郎は椅子をぎし、と鳴らして身を乗り出した。

 彼の眼鏡の奥の瞳が、冗談とも真実ともつかぬ色を灯していた。


「昔さ、国連の特殊部隊に囲まれてね。逃げきれなかった。

銃で頭、撃ち抜かれて――ほら、脳みそぶちまけて、その場で即死扱い。」


 めぐみちゃんは思わず一歩下がった。


「……なのに、生きてるの?」


「生きてるとは、少し違うかな。僕の体は、死んでるけど活動を続けるんだ。

脳は破壊されたけど、細胞の再生能力を制御することで、破壊された記憶と人格を再構築した。」


「……そんなことが……」


 めぐみちゃんの声は、どこか震えていた。


 士郎は肩をすくめて、軽く笑った。


「正直、大変だったよ。記憶の断片を拾い集めて、過去の思考をトレースして、自分が“自分だったもの”に再びなろうとする作業。

だけど、それでもやり遂げた。国家に殺されて、そのまま終わるのは癪だったからね。」


 私は黙って、彼を見ていた。彼の言葉の裏にある執念と、執着の深さを知っていたからこそ、何も言えなかった。

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