第15話 陰影キャッスル

 冷たい。

 底がない。

 まるで沼のように、その影はズブズブと俺の体を飲み込んでいった。


「く……ッ!」


 必死に体を動かそうとしても、抵抗感はまるで泥水の中。

 四肢を動かすたびに、逆に深く沈んでいった。


(このままじゃ……!)


 通信機から微かに西村さんの声が聞こえた。

 けれd、それは遠く、歪んでいて、まるで水中にいるかのようだった。


 全身が沈みきったその瞬間、

 俺の身体は下へ落ち始めた。


 そして、身体がすべて沈み込んだ瞬間、感覚が反転した。

 水の中を通っていたはずが、今度は空中を自由落下していた。

 風の感触もなければ、視界もぼやけていた。


(どこに落ちて――)


 ドンッ!


「いってぇ……」


 鈍い衝撃が背中を直撃した。

 体中に伝わる痛みに、俺は呻きながらゆっくりと身を起こした。


 手で地面を触ると、そこはコンクリート。

 そして、ようやく周囲を見回した俺の目に飛び込んできた光景は――


(ここ……さっきの……ビルの中?)


 確かに俺がさっきまで戦っていた建物の内部だった。

 階段も、壁も、非常口の扉も、全部そのままだ。


 だが――モノクロだった。


 色がない。

 グレー、白、黒――すべてが白黒テレビのように塗り替えられていた。


(どういうことだ……)


 俺は周りを見渡して、ふと気付いた。

 月明りが差し込んでいた場所だけが、真っ白に輝いていた。


 あの光だけが、色を持っているように見えた。


「……!」


 俺は本能的に、そこへと走り出していた。

 あの“光”だけが、ここにはない“現実”に繋がっているように思えた。


 だが――


 ガンッ!


「っ……!?」


 俺の身体は、光の縁で弾かれた。


 まるで透明な壁に体当たりしたかのような衝撃。

 何かが確かにそこにあって、俺の侵入を阻んだ。


「なんだよ……これ……」


 そのときだった。


 建物全体に響くような、機械的な女の声が空間を満たした。

 まるで校内放送のように。


「これは私の能力で作った“影の世界”。

光の照っている部分には入ることができない。

そして、私の許可なく、元の世界に出ることもできない。」


 声の主はどこにもいない。だが、この空間全体から聞こえてくるように感じた。


「誰だお前! 出てこい!!」


 俺は叫んだ。怒りと混乱と不安が渦巻く中で、声を張り上げた。


 しかし――返ってきたのは、くすくすと笑う声だった。


「誰が出ていくか。

この世界で、私以外が5分以上存在し続ければ、

その者は“影”となり、一生この世界で生きることとなる。」


「は……?」


 思考が追いつかない。


(ここに5分以上いれば……戻れなくなる?)


(出口もわからない……時間もわからない……)


 俺の額に冷や汗が滲んできた。

 全身が震え、焦燥感が、心臓を締め付けた。


 再び声が響いた。


「あと……

君の“雷”の能力は、使わない方がいいよ?」


「強烈な光が君の周囲に発生したとして――

この世界では、その光が照らす空間そのものが消滅する。

そこにいる“もの”も、ね。」


(……!!)


(使えない――雷を……)


 この空間で、雷を落とせば、

 自分自身すら、消えてしまうかもしれない。


 闇の中に閉じ込められ、光には弾かれ、

 そして、能力も奪われた。


(どうすれば……)


 俺は拳を握りしめながら、

 答えのない牢獄を、静かに見上げていた。


 息をするだけで、胸が押しつぶされるような圧迫感。

 俺は自分の両手を見つめていた。特に――右手を。


 その時、ふと、思い出した。


(……あれ?)


(あと……一分で……)


 俺は右手の掌をじっと見つめた。

 そこで、急に脳裏をよぎったのは、他でもない――


(禁欲、6日目……)


 そうだ。

 俺の能力は1分後には「雷」から「万有引力」へと変わる。


 雷は、この世界じゃ使えない。

 けれども、万有引力なら……?


 俺の中に、希望にも似た焦燥が灯った。

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