いつもより、少しだけ―

江戸バイオ

第1話


珍しく定時で仕事を終えた俺は、いつもより重い足取りで会社を出る。別に疲れてるわけじゃない。


「なんで今日に限って……」


それでも、思わずそんなことを呟いてしまうくらいには、世の不条理を感じてしまうんだ。



外に出ればいつもと同じ街並み。いつもより少しだけ目につく、色んな店のポップやのぼり。


それは、きっと普段からあるんだろうけれど、気付かないもの。


見たくないと思えば思うほど逆に、気付いてしまうもの。



いつもと同じように駅の側のコンビニに入り、いつもと同じ飲み物とタバコを買う。


娘にはいい加減禁煙しろと言われて久しいが、今日はいつもよりひと箱多く、2箱買ってしまった。


(最近のコンビニは何でも売ってるな)


母の日のギフトまでコンビニで買える時代か。便利なようで、それでいいのかとも思う。親の気持ちが染みるほどに分かった今となっては、どこで何を買ったなんて問題じゃなく。


子供が何かをくれるだけでも嬉しいものだと、理解出来ているつもりだけど。



いつもと同じ道筋を、いつもより少しだけ陰鬱な気持ちで。いつもより少しだけ長く感じながら。


気付けば我が家の玄関が目の前にあった。


「ふぅ」と。いつもは吐かない溜息をつき。ドアノブに手を掛けて。


まるで午前様かのように自分の部屋へと向かっていく。そんなこと、もう何年も気にしていないのに――


「ちょっと、帰ったんなら声掛けてよね!私、待ってたんだから。はい、カーネーションあげる。いつもの感謝の気持ちだよっ!」


「なんで俺に?美咲、今日は母の日だぞ?俺は父親だし、花貰ってもどうしていいか分かんないくらいだぞ」


「お父さんはそういうの疎いかんね。大丈夫。花瓶も用意してあるし私がやっとくよ。今年からはバイトも始めたからさ。なんか買おうと思ってたんだよ?でももいざとなると思いつかなくさ。ド定番の花だけになっちゃったけど、ごめんね?あ、来月はちゃんと何かプレゼントしてあげるから楽しみにしといてね?」


……めちゃくちゃ嬉しい気持ちと、少しだけ複雑な気持ちが入り交じり、一瞬惚けてしまうが。


思いがけない娘からの贈り物に顔がほころぶ。ちゃんと、笑えているだろうか?


いつもより少しだけ豪華な食卓に目を向けて、娘が今日、色々と考えてくれていたんだな、と改めて思い。


目の奥が熱くなるのを感じながらも、そうだ。コレだけは言っておかないとと慌てて思う。


「美咲、ありがとうな。まさか今日、なんか貰えるなんて思ってなかったからさ。びっくりしたよ。でも、嬉しいな。本当に、ありがとう」


「もー。ありがとうはこっちのセリフなんだよ?いつも仕事で疲れてるだろうに家事だってやってくれるしさ。だから今日は私が料理作ったの。一緒に食べよ?私、お腹すいちゃってさー。いつもより早く帰ってきてくれて良かったよ」


娘に促されて俺は、いつもより楽しい気持ちで食卓につき、食事を終えて。


いつもより笑顔を意識して「美味しかったよ、ありがとう美咲。あ、俺風呂入って来るわ」逃げるように風呂へ向かう。


今日何度目か分からない。ありがとうの言葉でごまかして。



「ふーっ。苦労ばっかかけて来たと思ったけど。いい子に育ってくれたことには、感謝だな……」


風呂につかりながら、思わず言葉が漏れる。独り言が増えたのは、歳のせいだろうか?ウチは父子家庭だ。もう10年以上前、まだ美咲が小さかった頃から、男手一つで育てて来た。


家のことや、学校で。他にも、女子特有の悩みを上手く聞いてあげられなかったり。


美咲には沢山、可哀そうな思いをさせてしまったんだと思う。俺なりに、必死にやってきたんだが、それでも。


いつも父の日にはプレゼントをくれた。小さいころは、月並みだけど肩叩き券とか。美咲は、俺なんかが育てたのに望外にいい子に育ってくれていて。


それでも、今日。母の日まで感謝を伝えてくれるとは思ってなかったわけで。


娘の不意打ちに、感動させられ、苦労を掛けたことを思い出し、もう一つ。

昔のことも思い出して、複雑な気持ちになってた。


さっき逃げるように風呂に向かったのは。熱くなった目頭をごまかすためと、もしかしたらうまく笑えてないかもしれないことをごまかすため。


思い出したことは、俺が子供のころの、母の日の想い出。



俺も、母親がいなかった。だから、母の日が嫌いだった。だからこそ余計に、美咲に辛い思いをさせているかもと思ってしまって。今日は少しだけ陰鬱な気持ちになっていたのだけど。


そんな俺だったが、ある時から祖母の家で暮らすことになって、それでやっぱり美咲くらいの歳になった時。


祖母に母の日のプレゼントをしたんだった。それで言ったんだ。


「ばあちゃんは俺にとっては母さんだから。ばあちゃんには母の日と敬老の日の2回。2倍感謝しないとだからさ」


俺にとっては、祖母として。母代わりとして。俺に愛情を注いでくれていた祖母への純粋な感謝だった。


それでもその時の祖母は。今日の俺と同じように喜んでくれていたのだけれど、少しだけ寂しそうな顔をしていた。


なんで寂しそうな顔をしてたかずっと分からなかったが、今日、分かった。


母親のいない子供への憐憫と、そうした環境しか用意できなかった自分を責める気持ちと。色々と複雑な感情だったんだろうな、と。


でもばあちゃんさ。俺は心からばあちゃんのこと好きだったし、感謝してたし、それで、子供一人育てられるくらいには立派に育てて貰ったわけで。


寂しそうな気持ちになんて、なる必要なかったんだと、思うよ。だから、俺も。そう思わないと、美咲に悪いんだよな。



風呂から上がってリビングに戻ると、慣れない料理に疲れたのか美咲はソファーで寝息を立てていた。


起こそうかと思ったが、まぁいいかとそっと横たわる美咲にブランケットを掛けて、自分の部屋に向かう。


「改めて今日はありがとうな、美咲。大好きな、俺の自慢の娘だよ」


起こさないように小声で。そっと声を掛けてから。


部屋に向かう俺の足取りは、いつもより少しだけ軽く――


いつもより晴れやかな気持ちで――――





「母の日は、いつもよりちょっとだけ素直に気持ちを伝えられる素敵な日。だからお父さん、いつもありがとう。私の自慢の素敵なお父さん」


美咲の寝言か呟きか。


男の耳に入ることはなかったが。


二人の気持ちはきっと繋がっている――

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