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四時間目終業のチャイムが鳴ると、先生は話すのを止め、「では、また次回」と言って、さっさと教室を出ていった。日直の女子と男子がじゃれあいながら、黒板消しをしていた。二人は心なしか嬉しそうに見えた。青春である。
「なにニヤついてんの?」
弁当を持った南が、俺の顔を見て気味悪そうに言う。俺は「別に」と軽く返して、机の上を片付け、鞄の中から弁当を取り出す。その間、南は俺の前の席を陣取っていた。俺の前には、高梨という女子が座っているが、昼休みになると他クラスに行くので席は空いている。
「今日の西野さ、なんか様子おかしくない?」言いながら、南が俺の机の上に弁当を広げている。
「俺もそう思ってた」
朝から西野はなんだかソワソワしていて、落ち着かない様子だった。急いでいるというわけではなく、興奮冷めやらぬ、そんな雰囲気だ。面倒なのは俺たちが話しかけると、その理由を訊いて欲しそうな態度をとることだった。俺も、南も、いかにもな態度が面倒で、なにも訊かずにいた。
そんな俺たちの気持ちを知ってか知らずか、西野は購買から戻ってくると、俺の隣の席で抱えていたパンを広げて、「いやー困っちゃうよなぁ」と呟いた。独り言とも言えない独り言を呟く西野を無視して、南が話し始めた。
「そろそろ中間だけど、東田は勉強してる?」
「予習復習ぐらいだな。南は?」
「僕もそんなもん。でも、そろそろやり始めないとマズいよな」
「いや、本当に、ニヤニヤが止まんねぇよ」
西野はパンを食べながら、呟きが止まらない。俺と南は一瞬だけ、西野に視線を向けてから続ける。
「理系のテスト難しい?」
南が訊いてくる。南と西野は文系、俺は理系クラスである。
「今はまだ基礎だからそんなにかな。そもそも、テストの難しさに、理系も文系も関係あるのか」
「文系からしたら、理系のテストは難しそうなんだ」
「それはお互い様だな」
現代文は苦手ではないが、古文は俺にとって異次元の難しさだ。一度、南のテストを見せて貰ったが、さっぱりだった。南も同様だったようだが。
「購買のパンが高級ディナーに感じるよ」
西野の呟きに思わず、それを言うなら今はランチだろ、とツッコミが出そうになり、口を噤む。南も口が半開きだったので、多分同じことを言おうとしたのだろう。
「午後の体育、なにやるんだっけ?」
気を取り直してか、南が訊いてくる。
「バスケだろ。沢田が張り切ってた」
バスケ部の沢田は体育の授業で本気になるような、大人げないやつだ。
「おい」
そろそろ限界がきたのか、西野が俺たちを睨んでいる。
「俺に訊くことがあるんじゃないのか」
「ない」俺と南が同時に答えると、西野は悲しそうな顔をする。
「もう少し、俺に興味を持ってくれてもいいだろ」
「話したいなら、自分から話しなよ」
南が呆れながら言う。俺は本当に訊くつもりがなかったので、南は優しいなと思う。
「ふっふっふ。そんなに訊きたいなら、教えてやろう」
南の整った顔が崩れる。顔にはうざいと書かれている。西野は南の様子を気にせず言う。
「なんと、ミーナちゃんとお砂糖になりました!」
西野は自ら拍手をしている。南はうんざり顔で、それでもちゃんと拍手をしていて。俺は困惑していた。
お砂糖ってなんだ?
西野は半年ほど前に、アルバイト先の先輩に勧められたのをきっかけに、[VR Chat]を始めた。[VR Chat]は、VRゴーグルを被って仮想空間へ没入し、アバターの姿になってコミュニケーションを楽しむソーシャルVRというものらしい。
[VR Chat]を始めた西野は、バーチャル空間で出会った人達と交流を続け、その中の一人、ミーナと呼ばれるアバターと出会った。ミーナは猫耳メイドの美少女アバターらしく、西野と歳が近いことやお互いサッカーが好きなことをきっかけに、仲良くなっていた。西野はよく、[VR Chat]内に仲の良い女性ユーザーがいることは、話題に出していた。その子が、「ミーナ」という名前であることは、今日初めて聞いたのだ。どうやら、そのミーナと西野がお砂糖になった、とのことらしい。
「おめでとう」呆けていた俺は、南の棒読みの賛辞で意識が戻る。
「いやー、別にそんなつもりじゃなかったんだけどさ。いざ、こうなるとやっぱり嬉しくてね」
西野は嬉しそうにパンを頬張る。西野は普段、パンを三つ買ってくるのだが、今日は一つ多くて、四つだ。増えていたのは、砂糖のついた菓子パン。お祝いのつもりだろうか。大体、そんなつもりがない、というのは呆れるほど大胆な嘘である。
「お砂糖ってなんだ」
「なんだ東田、そんなことも知らないのか。お砂糖ってのはな、恋人みたいな関係になるってことだ」西野が馬鹿にするように言ってくる。
「みたいな、って随分不明確だな」
「多様性を認めるバーチャルの世界だぜ?恋人のようにいちゃつくでもいいし、少し特別なお友達として接するもよし、人によって意味合いは違う」
「じゃあ、西野はミーナと、どういう関係になったんだよ」
俺の指摘に西野は、「それは」と言ったきり、ぶつぶつ呟いている。
「・・・・・・確かに、明言しなかったな。・・・・・・いや、でも、ミーナのあの感じは多分、同じことを」
ひとしきり呟いた後、西野は胸を張って言う。
「と、とにかく、ミーナとは恋人のような関係になったってことだ」
「そうか、おめでとう」俺がそっけなく言うと、南はまた軽く拍手をしている。
「お砂糖になったら、なにか変わるのか」
「変わる。気兼ねなくいちゃいちゃできるし、恋人のようなこともいくらでも、あんなことや、こんなこと」
げへへ、と汚い笑いを西野はする。俺と南は、ドン引きである。
「悪いなお前ら、俺は一抜けだ」
「なにから抜けたんだよ」
「誰が一番早く彼女ができるのかレースだよ」
「そんなレースした覚えがない」
「健全な男子高校生はグループができると、勝手に参加することになるんだ」
俺は反論する気をなくし、南を見ると、困ったように笑っている。
「それをレースにするのはどうかと思うけど」
南の正論に不服そうな顔をしてから、西野が言う。
「俺はこれでも焦ってたんだ」
西野は俺たちを交互に見てくる。
「なにをそんなに焦るんだよ」
俺が言うと、西野は呆れた顔をした。これだからお前はわかってない、そういう顔だ。
「いいか、お前たちには女子の幼馴染とかいう、漫画の設定みたいな存在がいる。焦るわけないよな、いつでも彼女になりうる女子が身近にいるんだから」
「幼馴染だからといって仲が良いわけでもない」俺は首を振った。
「そうそう、それに付き合うとかは別に考えない」補足するように南が言う。
「ていうか、南も幼馴染がいるのか」
俺は初耳だった。西野がそんなことを知っているのも謎だ。
「近所に住んでる子で、同い年の子供がいるからか親同士が仲良くて、その延長で付き合いがあるんだ。子供同士はそんなに仲良くない」
「そうか?こないだ俺が見た時は、仲良さそうに話してたぞ」
西野が疑うように南を見ている。
「厄介な奴に見られたな」俺は南に同情するように言うと、
「本当にね。その後の質問攻めにはまいった」
南はそう言って、肩をすくめた。俺の知らないところで、西野に詰められたらしい。
「とにかく、どんなに仲良くないとはいえ、身近に女子がいるのは大変羨ましいことなんだ。だが、それも昨日でおしまい。俺は今日から堂々と彼女がいると言える」
そういえば、と俺は思い出す。
「西野、バイト先の先輩が好きなんじゃなかったか」
アルバイトを始めた当初、「超好みの女の先輩がいる」、と西野がうるさかったのを覚えている。
「南みたいな顔の彼氏がいた。そう考えたら、南にも腹立ってきた」
「はぁ?」南が西野を睨んでいる。
「冗談だよ。ゴメンって」
南は睨むのをやめた。顔が整っている南が怒ると迫力がある。
離れた席で女子が「南くん怒っててもカッコよくない?」「ね、わかる」なんて話しているのが聞こえた。
「で、先輩を諦めて、VR彼女をつくったのか」
「そういうこと」
西野はドヤ顔だ。皮肉のつもりであったが、伝わらなかったらしい。
「彼女じゃなくて、お砂糖でしょ?」
南は真面目な様子で訊く。そんな南の疑問に西野は口を尖らせる。
「いいんだよ。身近に女子がいるってのが、大事なんだから」
「ところで」南がそう言って、時計を見る。「そろそろご飯食べないと、着替えの時間ないよ」
南はすでにパンを平らげていた。話に夢中だった俺と西野は急いで弁当とパンを片付けにかかった。南は愉快そうにパックジュースを飲んでいた。
俺と西野と南は入学時に同じクラスで、苗字が方角という安易な共通点から話すようになり、気づけばよく三人で行動するようになった。本当は北がつく男子がいれば、収まりがよかったが、学年に北のつく男子はいないようだった。
出会った頃から、西野の口癖は「彼女が欲しい」だった。その割にクラスの女子に話し掛けるのは苦手で、行動に移そうとしない奴だった。それに、俺も南も「彼女」をつくろうとしないからか、俺たちは男三人でそれなりに楽しい学校生活を過ごしていた。
放課後、今日はアルバイトもないので、図書館か本屋にでも寄るか、と考えて校舎を出た。西野はカラオケのアルバイト、南は所属しているパソコン部に顔を出すといって教室で別れていた。校門を出ると、後ろから声を掛けられた。
「よっ、東田」
振り向くと、西野が片手を挙げて立っていた。
「バイト行ったんじゃなかったのか」
「バイトは行く。今日のシフトは六時からだから、時間はある」
「なら、なんで急いで教室出て行ったんだよ」
俺が訊くと、西野は急に周りを気にしだしたと思うと、小声で言う。
「東田に相談があってさ。南のことで」
「南?」別にやましいことはないが、釣られて俺も小声になる。
「ここじゃなんだからさ、町田まで行こうぜ」
俺は悩んだが、行くことにした。家が町田方面であるから、途中下車するだけだいいし、それに南についての相談も気になった。
「まぁ、いいけど」
そう答えると、西野は満足そうに頷いた。
駅前の広場を抜けて、瓜二つのビルの右側に入る。奥に進むと、スターバックスがあるので、西野はそこに行くつもりなのだろう。スターバックスの店内は満席ではないが、それなりに席が埋まっていた。制服姿の学生もちらほらいた。
窓際のカウンター席二つを確保し、飲み物を買おうと立ち上がると、西野が俺を手で制した。
「俺が誘ったから奢る。相談料だ。なにがいい?フラペチーノか?」
西野が奢ると言うなら、遠慮する必要はない。しかし、五月とはいえ、まだ少し冷えこんでいるのにフラペチーノを飲む気にはならない。
「ラテのホットで」
「オッケー」
西野はそう言い、財布を持ってレジに向かった。
西野を待つ間、窓から外を眺める。正面のドラッグストア付近には、居酒屋のキャッチと思われる人間が四、五人立っている。まだ、夕方だというのにも関わらず、彼らは積極的に通行人に声を掛けている。心なしか、女性にばかり声を掛けているように見えるのは、気のせいだろうか。
ぼんやりと人の流れを見ていると、西野が戻ってきた。
「ようお待たせ」西野はトレーに、ラテとフラペチーノを乗せている。
「ほれ、トールでよかったろ」
西野はそういって、ラテを手渡してくる。受け取るとほんのりとした温かい。
「ありがとう。それよりお前、フラペチーノって。寒くないのか」
西野は座ると、さっそくフラペチーノを啜っている。
「全然。今日暖かいしな」
西野が言うのなら、そうなんだろう。窓の外の人々は長袖を着ている人が多いのだが。俺はラテの蓋を開けて、恐る恐るカップを傾ける。舌に触れると、まだ少し熱かった。
「それで、相談ってなんだ。しかも、南のことって」
西野は頷く。そして、周囲を見回して、俺の方に顔を突き出して小声で言う。
「ここだけの話な。もしかしたらさ、ミーナって南なんじゃないかって思うんだよ」
「はぁ?」
俺は首を傾げた。西野とお砂糖関係になったミーナが南とは、随分突飛な発想だ。なにを言っているのかと思ったが、西野は案外真剣な顔をしている。
「なんでそう思うんだ」
西野は俺から顔を離して、普通に喋り始めた。
「根拠はいくつかあるんだけどさ。ミーナって喋り方が南に似てるんだよ、使う言葉のチョイスとかさ。反射でたまに南って呼びそうになる」
「南がミーナなら、出会った時にそう言うんじゃないか?」
「そうかもだけど、女の子のアバターを使ってたから、言いづらかったとか」
西野の意見に曖昧に頷く。
「そういえば、見たことないけど、ミーナってどんなアバターなんだ」
「動画あるぞ。一番可愛かったやつ見せてやる」
西野はそう言うとスマートフォンを操作して、動画を再生しようとしたので、止める。
「待て。声も聞きたい」俺はイヤホンを取り出して、西野のスマートフォンに挿す。
「なんだよ。東田もミーナのこと気になるのか」西野は嬉しそうだ。
「なに言ってんだ。本当に南なら声でわかるだろ」
「ああ、そういうことか」
イヤホンをつけて、動画の再生ボタンを押す。動画が始まると、猫耳のついた女の子のアバターが画面の中央に立っている。これがミーナだろう。こちらに向けてなにやら話している。
『あ、ちょっと、着替えるから、どっか見てて』
ミーナは少女のような可愛らしい声をしていた。これを南だと思うのは、無理がある。
『わかった!』
少しうるさいのは西野の声だ。無駄に元気がいい。西野はどっかと言われても視線を背けるでもなく、ミーナを映し続けている。ミーナはシャツのボタンを外すような仕草を始めた。アバターの着替えかと、思ったが、どうやら中の人間が着替えているようで、動きをそのままアバターが反映しているらしい。ボタンを外し終わったのか、シャツを脱ぐように腕を左、右と動かしてから、今度は履いているものを脱ぎ始めようかというところで、ミーナがこちらに気づいた。
『ねぇ、別のところ見ててって言ったでしょ!』
恥ずかしそうに言うミーナの声は、どう考えても女の子である。
『ごめん、ごめん』西野がそう言って、動画は終わった。
「どう?ミーナ可愛いだろ。しかもこの照れミーナは最高に可愛い」
西野は自慢げだ。俺は早速気になったことを訊く。
「着替え中の子を盗撮してる動画だろ、これ」
「いやいや、この後ちゃんと動画撮ってるって言ったよ」西野に悪びれる様子はない。
「事後報告ならアウトだろ」
「ミーナは許してくれたからセーフ」
西野が本当に気にしてなさそうなので、俺は追及を諦めた。
「VRChatって、こんなに身体の動きも再現できるのか」
「いや、デバイスによる。ミーナはフルトラッキングっていう、ちょっとお高いデバイスを使ってるから、全身の動きを再現できる。俺もいつか使ってみたいけど、まだ無理かな」
フルトラッキング、聞き慣れない単語が出てきたが、なんとなく意味はわかる。おそらく、身体にモーションセンサーをつけて、投影しているのだろう。
「声だけ訊いたら、南じゃないな」
「そうなんだよ。ミーナは声も可愛い」西野はまたも自慢げでいる。
「なら、南じゃないんだろ」
「でも、似てるんだよ」
西野はすっぱいものでも食べたかのような顔をする。なのに顔は梅干しみたいだ。西野は続ける。
「それに、声はさ、ボイチェンが使えるから」
「ボイチェンって、使えばもっと声が不自然になるんじゃないのか。ロボットっぼいというか、電子音というか」
テレビでよくある、加工されている声のイメージだ。
「そうでもない。ボイチェンは調整次第らしいから、女の子の声も簡単に出せる」
「なるほど」西野がなぜ、ミーナを南だと思うのかやっと理解した。「南がボイチェンを使って、ミーナになっているんじゃないかってことか」
「そういうこと」
「だとしてもなぁ」
本音を言えば、引っかかる部分はある。しかし、それを告げるかは悩みどころだ。
「他にもさ、俺、海外サッカー好きなんだけど、南もミーナも好きだって言うんだよ。海外サッカーに興味のある女子なんて、そういないと思わないか」
「それは知らない。でも、共通点はあるんだな」
西野がフラペチーノに口をつけて、頷いている。
「どう思う?」西野の言う根拠、というのは、終わりらしい。
「根拠が薄くないか」
「東田がそう思うのはわかる。でも、実際ミーナと話すと、ピンとくると思う。俺の代わりに話してみないか?」
「そこまでしようとは思わないな」
VR世界を体験してみたい気持ちはあるが、別に交流がしたいわけではない。普段見ない世界を覗いて、面白がりたいだけだ。
西野は困った様子で、俺に手を合わせる。
「それなら、東田からさ、それとなく南に聞いてみてくれよ」
「やだよ」俺は首を横に振る。
南がミーナなら、西野に正体を隠していることになる。それを暴こうとはしたくない。
「俺の気持ちもわかってくれよ。友達とお砂糖になったかもしれないんだぞ」
西野は悲痛な顔をしている。
「お前、昼はあんなに浮かれてたろ」
「南の反応を見てたんだよ」
「南は普段通りだったな」
話している感じでは、なにかを隠している様子はなかった。取り繕うのが上手い、というより本当に違うのではないかとは思う。
「だよなぁ」西野はため息を吐く。
「そんなに悩むなら、なんでミーナと恋人みたいになったんだ」
「その場のテンションってあるじゃんか。その時は、南がミーナかもなんて思わなかったし」
「思わなかったらいいってことじゃないか?」
俺としては、もう諦めろという気持ちだったが、西野はそうでもないらしい。
「いや、だってさ」西野は言葉を切って、躊躇いながら、言う。
「ミーナが南なら、南は俺のことを好きかもしれないじゃないか」
俺は黙り込む、なんと言えばいいかわからなかった。西野は冗談を言っているわけではない。
「ミーナと話している時、それはないなって、思ってたけどさ。今日、南の顔を見た時、ミーナの姿と重なって見えたような気がして」
お互い黙る。可能性は低いようにしか思えない。でも、俺の中で「もしそうなら」という想像がよぎる。西野もそうなのだろう。
「いや、でも飛躍しすぎな気がするな」俺は首を振る。
「南がもし西野のことを好きだとしても、それがミーナだって言うのは無理があるだろう」
「無理な方がいいんだけど」西野は脱力したように椅子にもたれかかる。
「南がミーナだったら嫌か?」
「流石にちょっとな。そういうのに偏見ないけどさ。俺は普通に女の子好きだし、男とキスしてたって考えるとキツイ」
俺は同意せず、「そうか」と返した。西野がどう思おうと、それは西野の自由だ。ただ、勝手に悲しくなっただけだ。
「一回、ミーナは南かもって思っちゃったらさ、頭にちらつく」
西野が言うことはわかる。だが、その悩みの解決は簡単ではない。
「そうは言ってもな。直接聞いたとしても、違うよ、って言われて、西野は信じられるのか?」西野は難しい顔をしている。
「俺、これからも疑い続けるの嫌だよ。せっかくお砂糖関係になったのに」
ふと、昼の会話で、思ったことがあったなと思い出した。それがなんだったかは、はっきりと出てこずに霧散して消えた。西野が引き下がらないので、多少真剣味のあるアドバイスをすることにした。
「仮にミーナが南だとして、西野がニッシーだと気づいていると思うか?」
西野が眉間に皺を寄せて、首を傾げている。
「声でわかると思う。俺はボイチェン使ってないし。それが?」
「南も同じ気持ちだったのかもしれない」
「どういう意味?」
西野はピンときていないようで、困り顔でフラペチーノを啜っている。
「世の中似た声の人間なんて、ごまんといる。声や喋り方が似てても、似てるな、と思うくらいで本人とは断定できない。西野だって、ミーナと南が似てると思っていても、こうして悩んでいる」
「でも、俺はボイチェン使ってないぞ」
西野は抗議をするように言う。
「それ、ミーナは知ってるのか?」
「あ、知らないわ」西野はなるほど、と手を叩いている。「ミーナも、俺がボイチェンを使っているかわからないのか」
「そういうこと」
考えられる可能性は三つある。
・南がミーナだとして、西野だとは気づかなかったが、お砂糖になった。
・南がミーナだとして、西野だと気づいたがお砂糖になった。
・ミーナは南ではないから、西野とお砂糖になった。
三つの可能性について、西野に告げると、何度も頷いた。
「でも、今日の昼に西野がミーナについて言及したことで、南はニッシーが西野だと気づける。つまり、これからのミーナの行動次第で、南かどうかはわかる」
「ごめん、よくわからない」西野は数学問題を見た時のような顔をしている。
「今日、南は西野がニッシーであること、自分とお砂糖になったことを知ったとする。南は悩んだはずだ。ミーナが自分であることを言うのかどうか。結果的に、南はなにもいわなかった。そこで、南の選択肢は二つだ。これからも自分の正体を黙ったまま、西野とお砂糖となるか。もしくは、ミーナとしてニッシーとのお砂糖を解消する」
「南がミーナじゃなかったら?」
「お砂糖が続く」
「それだと、南が黙っているのか、本当に知らない人なのか、わからなくないか」
西野にしては鋭い指摘だ。水を向けてやれば、案外頭が回るらしい。
「そうだな。全てを知った上で、ミーナとして接しているかもしれない」
西野は俺の顔を見てから、はぁと長いため息を吐いた。
「東田、俺はどうしたらいい?」
楽天家の西野にしては、弱気な声だった。
「そんなに悩むことでもないと思うけどな」
「お前、他人事だと思ってるだろ」
それはそうだ。
「よく考えてみろ。そもそも、南が美少女のアバターを使ってることが変だ。あいつにそういう趣味があるなんて聞いたことがない」
南はサッカー観戦好きの、イケメン一般高校生である。美少女アバターを使って、バーチャル空間にいるなんて想像がつかない。
「そりゃ、人には言えない趣味かもしれないし」
「それに、VRChatのユーザー数を俺はよく知らないけど、そう簡単に知り合いに出会うとも思えない。偶然にしては出来すぎだろう」
「それも、そうか」
西野の疑念が段々と薄れていくのがわかる。
「考えすぎなんだよ。なんとなく南に似てるだけで、本人とは限らない」
「考えすぎか」
西野はまだ疑っているらしい。俺は思いついて訊く。
「ミーナがボイチェンを使ってるかどうかって、画面上でわからないのか」
「わからない。ハードだろうとソフトだろうと、そんな表示は出ない」
「話してても、わからないのか」
俺が念押しのように訊くと、西野がしつこいなと言いたげな顔になる。
「機材やアプリによるらしい。人によっては、ボイチェン使ってるんだろうなってわかるけど、ミーナは違和感が全くない」
「違和感ないなら、素の声なんじゃないのか」
「だから、機材による。性能が低いのは、音声遅延が発生したりするけど、性能が良ければ、遅延は発生しない。機材を使っていても、性能が高かったり、扱いが上手ければわからない。ミーナはフルトラの機材を持ってるくらいだから、性能が良いデバイスを持ってても、おかしくはないと思うけど」
やたらと詳しいのは西野も自分なりに調べたのだろう。
「南みたいな普通の高校生がそんな高い機材持ってるか?あいつはバイトもしてないはず」
「親に買って貰ったのかも。あいつん家、結構金持ちぽいし」
俺は反論をやめて、椅子にもたれかかる。どうしても、西野の中から疑念は晴れないらしい。可能性は低い、俺はそう思っているが、西野は疑うことをやめられないようだ。
「南に直接訊けないなら、ミーナにボイチェンを使ってるかどうか、くらいは訊けるんじゃないか?」
「訊ける、と思うけど、使ってても『ない』って言われるだけのような気がする」
「それを確かめる為に訊くんだろ」
「わかった。ちょっと訊いてみる」西野は曖昧な頷き方をした。
「頑張れ」
西野は頷いて、まだ迷いのある表情のまま、フラペチーノを飲み切った。
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