西野の相談から二日経過し週末になったが、西野から俺に連絡してくることはなかった。ここまでの二日間、三人でいる時は妙な緊張感を感じて(意識しすぎなだけかもしれないが)、無駄に精神が疲れた。

 疲れのせいか、起きれずに昼まで惰眠を貪っていた。しばらくして寝転んでいるだけでは勿体なく感じてきて、ようやく起き上がり、部屋を出た。

 台所から混ぜる音が聞こえる。洗面所で顔を洗ってから、台所に顔を出すと、義姉の唯香がエプロン姿で、なにかをボウルでかき混ぜていた。

「あれ、悠くんおはよ!台所借りてまーす」

 俺はあくびを噛み殺しながら、まだ起きてない眼でボウルを覗く。バターを混ぜているらしい。

「なにつくってるの?」

「クッキー」

 唯香は真剣な顔でボウルを混ぜている。クリッとした大きな目はボウルに注がれ、薄い唇は真一文字に結ばれている。丸顔の輪郭に沿うように肩まで伸びた髪が、俯いたせいで、やや前に垂れている。ゴムで短く留められた後ろ髪が可愛らしい。

 ボウルを支えている左手に輝く指輪を見て、気分が凹む。

 いつまでも見ているのが気になったのか、唯香がボウルから目を離して、俺を見て言う。

「もしかして、代わってくれる?」

「いや、いい。大変そうだし」

「大変そう、じゃなくて大変なんだよ。バターが全然溶けてくれない」

 怒ったように言いながら、バターにかける力を強めているようで、回している音が大きくなる。ウチにはミキサーがなかったと思うので、頑張って手で混ぜるしかない。

 唯香の趣味がお菓子作りであることは聞いたこともあるし、前に何度かおすそ分けしてもらったこともある。貰ったお菓子はどれも絶品で、母さんなんかは唯香が作るお菓子の熱心なリピーターになっている。

「なんでここで?」気になったことを訊きながら、冷蔵庫から取り出した牛乳をコップに注ぐ。

「光にプレゼントしようと思ったんだけど、今日は珍しく家に居るんだよね。最近土曜は、ツーリング行ったり、釣り行ったりで、いなかったから油断してた」

「それでウチですか」

 唯香はなにもなくてもプレゼントをする。人になにかをしてあげることが好きらしい。

「光も実家には帰ってこないだろうし、お義母さんもいいって言ってくれたし。出来たら、悠くんにもあげるから許して」

 唯香は俺にウインクしてくる。おっとり系の美人なのだが、やることが外見と合わない。こういうことを平気でしてくるから、ずるい。

「義姉さんの家でもあるんだから、ご自由に」

 そもそも母さんが許可を出しているなら、俺から言うことはない。母さんがお菓子目当てで許可したのもわかるし、俺だって唯香のお菓子を食べたい。

 俺はコップの牛乳を飲み干す。牛乳パックを軽く振ると、残り少なかったので、全てコップに入れて飲み切る。牛乳パックを流しに置くと、ボウルを混ぜていた義姉さんが牛乳パックを見て固まった。

「え、もしかして、牛乳全部飲んだ?」

「はい」

「そっか」唯香は悲しげにボウルの中をかき混ぜる。回転数はがっくりと落ちている。

「クッキーって牛乳使いましたっけ?」恐る恐る聞く。

「使わない」

 唯香の言葉にホッとする。いや、ではなぜそんなに落ち込むのか。

「飲んだらまずかった?」

「ううん。ただクッキーが出来たら、カフェオレを飲みながらゆっくりしようと思ってただけ。いいの、普通のコーヒーでも」

 唯香は泣きまねをし始める。無駄に名演技だ。

「わかりましたよ。買ってきますから」

「本当に!?ありがとう」

 唯香は泣きまねをやめて、嬉しそうな顔になっている。この切り替えの早さである。

「お昼食べてからですよ」

「全然オッケー」

 唯香はそう言うと、かき混ぜるスピードを上げた。


 昼食を終えて、身支度を整えて外に出る。出がけに唯香に「気をつけてねー」と間延びした声で言って送り出された。

 自宅からスーパーまでは徒歩で二十分、自転車だと五分の距離だ。陽気がよくて歩きたい気分だったので、徒歩でスーパーに向かう。空は快晴に近いほど雲がなかった。小学校の横を通ると、子供たちがユニフォーム姿で野球をやっている。足を止めて少年たちを眺める。声変わりをしていないと、声が高いな、と思う。ミーナはもしかしたら、声変わり前の少年だったりするのではないかという考えが浮かぶ。それなら、西野はショタコンかロリコンの称号を得ることになる。

「なにしてんの?」急に声を掛けられて、身体が小さく跳ねた。いつの間にか横に人がいた。顔を見ると、幼馴染の浅海翔子だった。

「なんだ翔子か。驚かすなよ」

「普通に声をかけただけで、そんなに驚く?なんかやましいこと考えてたんじゃないの?」翔子は意地悪そうに言う。

 Tシャツにスウェットという、ラフな服装だ。コンビニにでも行くつもりだろう。

「俺をなんだと思ってるんだ」

「シスコン」

「だれがシスコンだ」

「どこか行くの?」翔子は鼻で笑ってから、言う。

「牛乳買いにスーパーに」

「成長期はもう終わりじゃない?」

「俺はまだ諦めてない」

 俺が歩き出すと、翔子は横に並んでくる。

「私も行く」

「なんでだよ。コンビニ行くんじゃないのか」

「スーパーの方が安いし」

 そう言って、翔子は並んだまま歩き始めた。中学までは翔子と目線は変わらなかった。翔子は女子にしては高めの身長なので、俺が小さいというわけではない。高校に入り、俺が第二の成長期を迎えたおかげで、少しは翔子を見下ろせるようになった。 じろじろ見られていることに気づいたのか、翔子が両手で身体を抱くようにして、「なに見てんだ」と睨んでくる。

「なんでコンビニ行くって、わかったの」

「コンビニで会う時、大体そのジャージだからな。それに帰りなら、買ったものを持ってる」

「覚えてなくていいから、そんなこと。本当細かいわ」

 軽く肩を小突かれる。しばし、無言で並んで歩くが、沈黙を破ったのは翔子だった。

「幼馴染ってさ、中々珍しいよね」

「俺たちみたいな」

「そう。でさ、南くんと大和さんも幼馴染なんだって」

 翔子は高校の同級生でもあるので、南のことを知っている。

「最近、そんな話を訊いたな」西野もそんなことを言っていた。すっかり忘れていたが。

「大和って、どんな人?」俺は見かけたことがない。興味もさほどなかった。

「Ⅾ組の眼鏡でおさげの人。学年で十位内に入るくらい頭良かったはず」

「凄いな」

 俺たちの通う、椿原高校は都内ではそこそこの進学校ではある。それなりに勉強の出来る学生の中で、十位内を取るとは、かなり頭が良いのだろう。

「なんで、急に幼馴染の話?」

「あんたがなにも喋らないから、話題を出してあげてんの」

 翔子はやれやれと呆れた様子だ。無理に話す必要はないと思ったが、言わなかった。

「それはどうも。南から聞いたのか?」

「そうそう、美化委員の時にね。大和さんも美化委員なんだよね」

 委員会は各クラス二名選出される。ウチのクラスでは、南と西野が美化委員である。俺は無所属だ。

「じゃあ、西野もいたのか」

「それは勿論」

 西野はここで幼馴染の話を訊いたのだろうと納得した。

「なに?気になる?」

「いや、別に」俺が言うと、翔子が不満そうに口を尖らせている。

「あーあ、幼馴染が南くんみたいな人だったらなぁ」

「南だったら、どうなる?」

「毎日一緒に登校して、毎日一緒に下校する。四六時中一緒にいる」

「怖い」それじゃ、ストーカーと変わらないだろう。

「素敵な幼馴染が他の女に取られないようにね」

「まるで、俺が素敵じゃないみたいだな」

「ヘタレだからなぁ。お義姉さんに早く好きですっていいなよ」

 突然の一撃に、わずかに動揺が出る。気取られないように言葉を返す。

「お前な、義姉だぞ」

「義姉だからセーフ」

 翔子は手を水平に動かす。少年野球のコーチも同じことをしていた。

「絶対に負ける勝負をする男がいるかよ」

「既に負けてるよ」

「そんなこと」俺は反射で否定しそうになるが、思いとどまる。「あるな」

 じゃれあいのような会話を続けながら、公園の脇を歩いていると、翔子が急に立ち止まった。

「ねぇねぇ」翔子が俺の肩をつつく。

「なんだよ」

「公園の中、南くんと大和さんがいる」

 翔子が指をさした方向を見ると、確かに南がいた。ベンチに座っている女子が大和さん、なのだろう。南は大和さんの正面に立ち、話している。大和が首を振っているのがわかる。

 木の陰に隠れて、俺と翔子は様子を窺う。声を掛けなかったのは、なんだか只ならぬ雰囲気だったからだ。隠れながら、大和さんがどんな子なのか眺める。大和は髪を下ろしていて、イメージにあった委員長風のおさげをした見た目とは違った。ワンピースにシャツを羽織った姿は、いかにも女子という見た目だった。

「おさげじゃないな」

 ちらりと翔子を見ると、翔子は視線を向けたまま頷いた。

「うん。今の方が可愛いのに。あっ」

 翔子が驚いた様子で言うので、視線を戻すと、大和が立ち上がり南に声を荒げていた。距離があるので、声は聞こえないが、大和が怒っているのがわかる。そして、言い争った、というより一方的に大和が怒ってから、その場から立ち去っていた。南は少しだけ、その場で立ち尽くすと、大和が去った後を追っていった。

「喧嘩かな」

「どうだろうな。南が怒られてたように見えたけど」

「浮気症の彼氏に、嫉妬した彼女が怒ったとか」

 それだと、二人は付き合っていることになる。南からそんな話は聞いたことはない。

「ありがちだけど、南は違うだろうな」

「なんで?」

「あいつは誠実な男だと思う」

 南に恋人がいたら、きっと大切にするだろう。そういう男だ。

「そっか。悠が言うなら、信じよう。それなら、喧嘩の原因はなんだと思う?」

「宿題を写させて欲しいって言って怒られた」

「あの雰囲気で?」翔子は笑っている。

「あんたじゃないんだから」

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