第2話 「聖女の名はエマ」
「ねぇ、あなたのお名前は?」
娘は緊張感のない声で尋ねてきた。
ルークと娘は儀式の後、
数々の花が咲き誇る庭園の中央には、真っ白な柱のガゼボがある。屋根には弦模様が描かれていて、透き通ったカーテンが掛けられていた。
白で統一された空間に似つかわしくない、ピンクのロングソファーに彼女は寝そべっている。
あの部屋で行われた儀式は滞りなく成功した。
古代語が円形に刻まれ、天使の両翼が刻まれた模様はこの世界の神――ルティアスと結んだ契約印。
神聖シェリアル皇国では神に対して信仰が厚く『全ての事象や幸せは神がもたらしたもの』と信じられていた。
「――名前くらい教えてよ?」
「……」
『死神』だと恐れられている自分に、こんなにも平然と話しかけてくる娘にルークは違和感を感じていた。
恐れられることが当たり前だった。彼女は人間にも関わらず、ルークの姿にも動じる様子もない。
「……ルーク」
「ルークって言うんだ。その髪や瞳を表すような綺麗な名前ね。私のことはエマって呼んで!」
……どこから突っ込みを入れたらいいのか。
エルフってだけでも種族的に敬遠されがちにも関わらず、髪や瞳の色を褒めるとは。
少し青みを帯びたルークの灰色の瞳は、『死に対して何も感じていないように見える』と嫌われることが多い。
この娘がおかしいだけなのか。
何かの策略なのか。
出会ってすぐに心を許していない者を呼び捨てにするのも、全く理解が出来ない。
その後も直立したままのルークに質問責めが繰り返されていく。
エマは鳥が歌うようによく喋る娘だった。
「ねぇ、ルークは神官さまなんだよね?」
「……ああ」
「神官さまって、聖女の器が完成するまでの期間はずっとそばに居てくれるんでしょ?」
「……」
「ねぇ、これから一緒に何をしようか? ルークってどんなものが好き――」
「何を言ってるんだ?」
ルークの芯のある声に、ようやくエマは口をつぐんだ。
一緒に何かをする? 神官と聖女が……?
「聖女になるということが、どういうことなのか……君はちゃんと理解しているのか?」
湧き上がったのは怒りではない。
元々エルフは感情に乏しいが、いま感じているのは無知な娘に対する困惑と――微かな苛立ちかもしれない。
ソファーに寝そべっていたエマが起き上がる。一瞬真顔になったが、すぐに微笑みを取り戻していく。
そして、はっきりとした声で――
「……うん、分かってるよ。世界の淀みや痛みを、誰かが引き受けなきゃいけない。……それが私なんでしょ?」
エマの言葉に、ルークは心臓が掴まれた気分になった。
『私がこうなったのは、貴方のせいよッ!』
過去に聞いてきた人間の悲痛な叫びが、まだ昨日のことのように耳の奥で響いてる気がする。
『もう嫌ッ……死にたくないッ!』
今までの聖女は命を乞う者ばかりだった。
彼女の瞳がルークを見つめて離さない。
『彼女も昔の聖女のように責め立ててくるのではないか』という疑念が浮かぶ。一瞬目を逸らしかけて、ぐっと抑えた。
「でも、だからって――何もせずに過ごせって言うの? 楽しいことや好きなことをして過ごすのは……いけないことなのかな?」
「君は、何を言って……」
「――私は、私のままでいたいの」
静かな庭園の中に通り抜ける風はない。
しかし、ルークの胸の奥がざわめき出した。
彼女はちゃんと役割を分かっている。
全てを理解をした上で、自分らしさも捨てたくないんだ。
世界に溜まった不浄のものを生贄を媒体にし、浄化して循環させる。
平和を維持するために、自分の犠牲は必要なんだと――まだ成人を迎えていない若さで、静かに死を受け入れている。
聖女に選ばれるのは、だいたい16歳前後の娘。
ルークは彼女の明るさしか見えていなかった。
若さや振る舞いだけで判断するなんて……なんて浅はかなんだろうか。
「……決まりはない」
「え?」
言葉を落とすように呟いたルークに、エマはきょとんとした顔をしている。
いま目の前にいる
「
「やったぁ!」
無邪気にソファーに寝転び、喜んでいるエマの姿にルークは戸惑った。ぶつぶつと何か呟いているが、よく聞き取れない――
「――あ!」
思いついたようにエマが声を上げる。
「お菓子がいい!」
「……オカシ?」
確か人間が好んで食べている、甘い食べ物だったような。
「……それが欲しいのか?」
「うん。私、甘いものが大好きなんだ。ルークも一緒に食べようよ!」
「……別に食事する気分じゃない」
「じゃあ、お茶も一緒に頼もうよ! ね? 隣に座っててくれたら、それでいいから」
頷くまで何回でも頼み込んできそうだ。
好きに過ごしたらいいとは言ったが、自分も一緒にとなるとどうしたらいいか分からない。
今までの聖女は一人で閉じこもることが多かった。そもそもこの庭園で過ごす人すら居なかったのだから――
「……ああ、わかった」
「ありがとう!」
隣に座っているだけなら、僕にもできるかもしれない。
楽しそうに笑うエマから目線を外して、そっとルークは溜息をつく。
彼女はそんなルークを静かに見つめて――
「――これが最後になるかもしれないから」
言葉はあまりに小さくて届かない。
「……ん、何だ?」
エマの方へ向き直したが、彼女は明るく首を横に振った。
「早くお茶会を始めようよ! はーやーく!」
「……変な人間だな」
彼女の心の揺れに気付くことはなく、ルークは首を傾げながら呟いた。
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