ソクラテス裁判 —— 同性愛の無価値さを巡る論戦——
舞台
アテナイの民会を模した法廷。荘厳な円形の空間の中央にソクラテスが一人立ち、周囲には裁判員団が控えている。周りにはLGBTの活動家、リベラル人権派の弁士、カトリックの神父など、多くの傍聴人が詰めかけている。
※史実によれば、アルキビアデスはソクラテス裁判(前399年)以前に亡くなっています。この創作では時代設定は曖昧ですが、彼はこの裁判を天国から見守っていることでしょう。
第一幕:ソクラテスへの告発
裁判長
「ソクラテスよ、お前が同性愛には特有の価値がないなどと論じたため、多くの者から告訴が寄せられておる。これは政治的に正しくない発言であり、特定の人々を蔑視しているのではないかとの声が強い。まずは、お前自身の弁明を聞こう。」
ソクラテス
「裁判長、並びにアテナイの民よ。わたしの言葉は、同性愛の存在を否定するものではありません。ただ“同性愛が異性愛と比べて揺るぎない固有の価値を持ち得るか”を問うたのです。生殖という目的がなく、しかも生殖以外の面でも“異性愛でも十分達成可能ではないか”と思えるものばかりで……もしそれらが真ならば、“同性愛は本当に他に代えがたい価値を宿しているのか”疑問に思わざるを得なかったのです。」
第二幕:同性愛の擁護者たちの訴え①
ジェンダー研究の学者:同性愛の対等性を主張する。
学者
「では私から話そう。そもそも同性愛には“性別の固定観念から解放される”素晴らしさがある。男と女という古い役割分担から自由になり、真に対等なパートナーシップが築けるのだ。同性愛にはこれほど明白な固有の価値がある。おまえはそれを認めないというのか?」
ソクラテス
「学者殿、確かに、異性愛と違い“男女の役割分担”がそのまま入り込むことはありません。一方で、男性集団には明確な序列を作りたがる傾向があり、それは同性愛者にも当てはまるでしょう。これを言い換えれば、“男性だから・女性だから〜するべき”という古い規範はない代わりに、“男らしさ”を巡る力学が生じる、ということです。したがって、『ジェンダー観からの解放』と『男性文化における序列意識』のどちらが強く働くかは、当人たちの性格次第と言え、同性同士というだけで対等な関係を築ける保証はありません。」
学者
「な、なにを言うか!同性愛者は旧来の“男らしさ”などに縛られていない! 彼らは自然体のまま、有害な権力志向からも、性別の固定観念からも自由になっている! 同性同士では“スタート地点での対等性のポテンシャル”が段違いなのだ!」
ソクラテス
「仮にあなたの言う通りだったとしましょう。同性同士なら対等になりやすいと。
しかし、現実には男性同士の関係においても、たとえば“年齢差”や“体格差”を求めたり、“支配-服従”のロールを好んだりする人々が多くいます。これらの差異やロールは対等性を崩す原因になります。同性愛においても、政治的に正しい対等性よりも、むしろ、その崩れがエロスの源泉になっている場合が非常に多いのです。性愛の文脈では、対等性よりも性癖を満たすことの方が優先順位は高いでしょう。当事者自身が対等な関係を求めていない場合、どうして対等になれるでしょうか?」
学者
「そ、それは……一部の過激な性嗜好の例外ではないか? 本来、同性愛者は性別だけでなくあらゆる同質性をパートナーに求めているはずだ!」
ソクラテス
「“一部の例外”というには、大勢いるのでは? 現実を見てください。あなただってご存知の通り、タチとウケが決まったカップルの方がそうでないカップルよりも圧倒的に多いです。ロールの固定化が好まれている現状、対等性は同性愛の特性とは言えません。つまり、同性を愛することと対等を求めるかどうかは、そもそも別の問題なのです。」
学者
「詭弁だ! おまえの論じ方は、ものの一部を見て全体を判断するという誤謬に陥っている! 実際には、私の知人のように“対等性”を重視する当事者もいる。それが仮に少数派であっても、対等を模索する人たちの存在を無視して良いはずがない!」
ソクラテス
「その点に関しては、わたしも激しく同意します! 同じように、異性愛者の中にもジェンダー規範に囚われることなく対等な関係を築いている先進的なカップルが少なからずいます! それらの人たちを讃えようではありませんか! 異性愛・同性愛の区別なく、個々人が選び取った素晴らしいスタイルとして!」
場内には「むぅ……」という低い唸り声が響き、学者は歯がゆそうな表情で肩を落とす。
第三幕:同性愛の擁護者たちの訴え②
リベラル人権派の弁士:多様性の意義を説く。
弁士
「ソクラテスよ、君の言い分は古い偏見に基づいたものだ。同性愛者は自らのアイデンティティを隠さずに生きるだけでも、勇気と誇りを示している。多様性を推進する社会の中で、それは大いに意義があることではないか?」
ソクラテス
「勇気をもって生きることは、人間として賞賛される徳です。しかし、それが“同性愛に固有の価値”と言えるでしょうか。いかなるマイノリティであれ困難を乗り越えるのは尊い行為ですが、それは“同性愛”そのものの価値というより、“迫害を克服する過程”の立派さではないでしょうか。差別がなければ、その尊さも発揮されずに終わる。つまり“同性愛の本質的価値”ではなく、“ハンディキャップを背負う人々が示す勇気”にすぎないのです。」
弁士
「君の言いたいことはよくわかる。性的マイノリティだけを“多様性の象徴”として特権化するつもりはない。すべてのマイノリティの勇気を平等に称賛するべきだ。しかし、それでもLGBTコミュニティが特別に目立つ存在であることは、君にも否定できないのではあるまいか。彼らの華々しいパレードやショーは多様性の観点から大きな意義を持つだろう。同性愛者が可視化され、生きやすくなることで“社会全体の多様性”が認められ、より多くの人が救われる。これほど重要な価値があるだろうか。」
ソクラテス
「弁士殿は、個人主義を否定する、集団主義者なのですかな?」
弁士
「……何が言いたい?」
ソクラテス
「あなたの議論は、“社会を揺さぶる同性愛の存在が、全体から見て新しい価値を生む”という視点に終始しており、“当事者個人がそれによってどれほど恩恵を得るか”が一切考慮されていません。要するに、『社会的価値』と『個人的価値』は同義ではないのです。『ヘテロ規範が揺らぐこと』に社会変革の意義を見いだすのはあなたの勝手ですが、当事者の人生にプラスになるかは各人の環境や経験による、ということです。」
弁士
「そ、そんなことはない! 社会あっての個人なのだ! 社会が進歩することで、個人は幸福になれる! 多様性の推進こそが同性愛者が『幸せになれる唯一の道』なのだ!」
ソクラテス
「幸せには人それぞれの多様な形があります。『幸せになれる唯一の道』などと、あなたが勝手に決めつけてはいけない!」
場内が少しざわめきだす。弁士は口をパクパクさせ反論したい様子だが言葉がでてこない。傍聴人たちもソクラテスの冷静な答弁に圧倒されている。
第四幕:同性愛の擁護者たちの訴え③
腐女子:BLの魅力を説く
腐女子
「ソクラテス様! もちろんBLはファンタジーですから、現実のゲイの方々とは違う面があるのは承知しています。でも、共通する部分もあると思うんです。だから少しでも参考になるかもと思って、BLの魅力をお話しさせてください。
BLは性別や固定観念をリセットして、“人と人”のピュアな愛を描いているところが最高なんですよ! 男同士だからこそ、『男がリード』『女が受け身』みたいな図式から解放されて、決まった役割がない自由さが神ポイントなんです。そういう“性別を超えた純粋な愛”を見ていると、本当に心が洗われるようで、尊さが止まらなくなるんです!」
ソクラテス
「なるほど。BLは“性別を超えた純粋な愛”を扱うのだね。興味深い。では、BLでは『気持ちのすれ違いや絆の深まり』が丁寧に描かれるのだろう? そして『個人同士の相性や気持ちをどう育むか』が大切にされるわけだね?」
腐女子
「はい! その通りです、ソクラテス様!」
ソクラテス
「ところで、それは男女の恋愛物語でも重要視されていることだと考えたことはあるかね? つまり『個人同士の相性や気持ちをどう育むか』という考え方自体が、異性愛規範――『子どもの誕生と育児を前提とする長期的パートナーシップ』――に紐づいている可能性があるということだ。
子どもが親から自立するまでに二十年以上かかるため、その長い子育てを夫婦で協力していくには、恋愛段階でどれだけお互いを思いやれるか、相性がいいかを見極める必要がある。そうやって『個人の気持ちや相性を最優先にする』のは、“子育て前提の二人同盟”を目指す異性愛規範と非常に相性がいいのさ。
だから、BLは一見“性別を超えた愛”のように思えるけれど、実際は異性愛規範にしっかりと囚われている可能性があるわけだ。『個人同士の恋愛感情を優先する』というのが当たり前に思えるのは、多くの人が異性愛的家族制度の下で育ち、そこでの価値観が“自然”になっているからだろう。もちろんゲイ当事者の多くも、その考え方を疑うことなく受け入れているからこそ気づきにくい。しかし“本当の同性愛ならではの在り方”を築くには、そうした無自覚の前提――異性愛的な発想――を疑い、同性愛独自の規範を打ち立てる試みが必要なのかもしれないね。」
腐女子
「ええっ……そうなんですか? そう言われてみると、たしかにそんな気もします……。でも、もしBLが無意識のうちに異性愛的な価値観を踏襲しているとしたら、“同性愛ならではの在り方”ってどんなものなんでしょう? どうやったら見つけられるんでしょう……?」
腐女子の小さなつぶやきは、周囲のざわめきにかき消されてしまい、ソクラテスの耳には届かなかった。
第五幕:同性愛の擁護者たちの訴え④
LGBTの活動家:主張内容“抑圧ゆえの内省”
LGBTの活動家
「私は性的マイノリティの連帯やサポートを行うコミュニティを運営しています。そこで多くの当事者と出会う中で、あることに気づきました。それは、抑圧的な状況に置かれているからこそ“どう生きるか”を深く悩み、アイデンティティを掘り下げるきっかけになる、ということです。
実際に、『同性愛の苦悩が自分の人生観を根底から変えた』『自分は何者なのかを必死に考え抜いて、新しい価値観を打ち立てた』と語る人は少なくありません。いわば “抑圧ゆえの内省” が深い自己形成を可能にするのです。これは大きな価値だと思いませんか?」
ソクラテス
「確かに、抑圧や苦難が人間を鍛える場合があるのは否定できません。しかし、抑圧そのものを“価値の源”として肯定するのはどうでしょう。
もし “抑圧ゆえの内省” こそが “同性愛の固有価値” なのだと決めてしまうと、将来、抑圧が完全に解消されたときには、ゲイの人たちがもはや “深い内省” を得られなくなり、『抑圧があったほうが良かった』というおかしな結論に結びついてしまうかもしれません。
もちろん、苦難を乗り越えた結果、成長を得る人がいることは否定しません。しかし、それが本当に“同性愛の固有価値”と呼べるものかは、大いに疑問が残りますね。」
第六幕:同性愛の擁護者たちの訴え⑤
カトリックの神父:愛こそがすべてと説く。
神父
「まず初めに、皆様に私の罪を打ち明けねばなりません。私は長らく、同性愛は神に背く行為と教えてきました。生殖から切り離された同性愛は、神の作りし大いなる自然に背く行為だと思われたからです。私はことあるごとに同性愛を断罪してきました。それは、自身に対する戒めの意味もありました。そう、私自身、同性愛者だったからです。私にとって罪とは何よりもまずこの "愛"だったのです。“愛”が私を苦しめ、“愛”が私を誘惑しました。サタンの道へと。私は信徒の前では同性愛を否定しておきながら、密かに夜の街に繰り出し、若い男娼の体を貪りました。このような罪深い二重生活は、信徒への裏切りであり、神への裏切りであり、そして何よりも自分自身への裏切りでした。刹那的快楽をどれほど積み上げようと後に残るのは、“空虚さ”だけでした。ソクラテスの言う“同性愛の無意味さ”とは、この“空虚さ”のことではないでしょうか。私は“空虚さ”の中で溺れ、同性愛はおろか人生全体が無意味に感じられるようになっていったのです。
しかし、神は私を見捨てませんでした。私を助けてくれたのは彼との出会いでした。自暴自棄になり、道端で酔いつぶれていた私を、見ず知らずの彼が温かく介抱してくれたのです。そして、私は自身の罪を彼に打ち明けました。彼は私の話しに真摯に耳を傾け、ありのままの私を受け入れてくれました。私たちは共同生活を行うようになりました。日常の些細な出来事の一つ一つが彼との大切な思い出になり、私の“空虚さ”は徐々に埋め合わされていったのです。そして、私は自分が同性愛者であることを信徒たちに告白しました。教会を去る者もいましたが、ほとんどの人が私を温かく迎え入れてくれました。
“愛”が私を苦しめ、“愛”が私を救いました。
私が受け取った溢れんばかりの“愛”。それを少しでも他者に分け与えていくために、私たちは養子を取ることにしました。孤児だった彼女と彼の成長を見守ること、それが今では私たちにとって“生きがい”になっています。“愛”を与えるつもりが、またしても“愛”を受け取ってしまったのです。“愛”は汲めども汲めども尽きることがないのです。
私が神から教えられた真理はただ一つです。それは“愛”こそがすべてだという事実です。同性愛と異性愛には数多くの点で違いがあるかもしれません。しかし、“愛の尊さ”という点では違いはありません。そうであれば、同性愛に固有の価値などなくともかまわないではありませんか。一番大切な“愛”は私たちにも開かれているのですから。」
神父が話し終えると、場内は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。傍聴席からは、神父を讃える声が飛び交う。
「感動したぞ!」「神父、俺もあんたを愛してる!」「そうだ、愛こそが全てなんだ!」
それらの声に交じって、ソクラテスを揶揄する声も聞こえる。
「この感動の渦の中では、さすがのソクラテスも何も言えまい!」「いいや、かまわず反論するだろうさ。なにしろ奴は愛を知らない屁理屈屋だからな!」
場内が静まるのを待ってから、裁判長がソクラテスに発言を促した。
ソクラテス
「神父殿、あなたの体験には私も心を打たれました。私自身も“‘愛の尊さ” は痛いほど知っているからです。今は亡きアルキビアデスがその証人です。さて、カトリックでは “同性愛は神に背く行為” という伝統的見解を未だに保持していると思っていたのですが、神父殿のような方がいらっしゃるなら、カトリックに改宗してみるのも悪くないかもしれません。そこで、神父殿の個人的な愛の教えをより深く知りたく思い、幾つか質問をさせて頂きたいのですがよろしいですかな?」
神父
「改宗の可能性をほのめかされては仕方ありませんね。何を聞きたいのですか?」
ソクラテス
「神父殿にお聞きしたいのは、あなたがカトリックの教義と自身の同性愛をどのように折り合わせたのか、という点です。神父殿は『夜の街で刹那的快楽に溺れる同性愛ライフスタイル』を “空虚” と感じ、自分を救ってくれた相手と“家族”を作り、さらには養子まで迎えることで“愛”を充足させておられる。しかしこの関係性は、異性愛の家族モデルを 模倣 したものに近いと言えます。あなたは同性愛に社会の再生産・人口維持という役割を担わせることで、聖書的に正しい同性愛の形を実践しようとしたのではありませんか? 聖書が前提している異性愛規範の枠組みへと同性愛を取り込むことで、自分の同性愛を『罪ではなく、愛』と再定義しようとしているのでは?」
神父
「……もし、そうだとして、何か問題があるのかね? 伝統的に『男女の結び付き』は “神に祝福された子孫繁栄の秩序” として位置づけられてきたが、同性愛もその秩序の一翼を担うことになるなら、それは大変良いことなのではないかね?」
ソクラテス
「ええ、神父殿、もちろん素晴らしいことです。ただ、それが『同性愛カップルでも異性愛的な家族のカタチを担えば、神に反しないだろう』という “条件付き容認” になってしまえば、現状では多くの同性愛者が神の御手からこぼれ落ちてしまうでしょう。同性愛の擁護者だったはずの神父殿がまるで地獄の番人のように思えてしまいますな。」
神父
「わ、私は条件など付けるつもりはない! 同性愛に限らず、異性愛の夫婦にも子供を持たない選択をする人たちはいる! それは個人の自由だ! 私はただ同性愛には異性愛と同等の価値があると言っているのだ! 愛に優劣をつける必要などないのだ!」
ソクラテス
「しかし、本当に優劣はないのでしょうか? 異性愛者と同様の家族形態を作ることは、同性愛者にとって他人の土俵で相撲を取るようなもので、どうしても不利な状況に立たされてしまうのではないですかな? たとえば、血縁の子をもつハードルがとても高いことは神父殿もお認めになられるでしょう?」
神父
「ソクラテス! 君の思慮の浅さには嫌気がさす! 同性愛カップルは『血縁の子をもてない』ため、初めから“血縁”に頼れない状況で家族形成を考える! つまり、『養子も含めた多様な家族のかたち』を真っ正面から検討しなければならないのだ! そこに“主体的に家族をデザインせざるを得ない”切実さがあるからこそ、『意識的かつ制度的に新しいモデルを作りやすい』という面があるのだ! そのことは貴様も否定できまい! 外見的には異性愛的家族形態を“模倣”しているだけに見えたとしても、同性愛カップルの場合、より柔軟な分業や多様な親戚・友人関係の合流など、従来とは異なるライフスタイルを築く例が確かにあるのだ! “選択的家族”の先進モデルになりうることが、 同性愛に価値があることの証明だ!」
ソクラテス
「神父殿のように偉大な精神の持ち主にとっては、先進的家族の形成は、相当にやりがいのある仕事なのでしょう。ですが、私のような凡庸な者にとって、模範となる家族モデルがなく、暗中模索で新しいライフスタイルを築かなければならないことは大きな負担なのです。同性愛も異性愛も報酬は同じ“愛”なのに、なぜ同性愛者ばかりが大きな負担を課せられるのでしょう。養子を取るときも、血縁がないために手続きや制度が複雑化する苦労を負った結果、『同性愛という性指向そのものが自分たちの自由を制限しているのでは?』という自己否定的な感覚さえ抱く可能性があるのです。」
神父
「血のつながりが何だというんだ! わたしが、どれだけあの子たちを大切に思っているか、お前に分かるか! 大きな負担を背負う覚悟こそが、愛の証なのだ!」
神父は、自分の人生に泥を塗られたかのように嫌悪感を露わにし、席を立った。場内を落胆のため息が蔽った。ソクラテスもまた好敵手が議論の途中に席を立ってしまったことに深いため息をついた。
裁判長
「ここまでの議論を聞く限り、ソクラテスが “同性愛には固有の価値がない” と主張する根拠は揺らがぬように見える。よろしい、他に意見のある者はおるか?」
第七幕:裁判員たちの混乱と感情的非難
理性的に反駁され、反論の糸口を失った裁判員の一部や傍聴人は、ついに感情に訴え始める。
裁判員A
「ソクラテス、きみは人の心を踏みにじるのか! 同性愛者の感じる喜びや満足は何の価値もないとでもいうのか! それは我々の大切な心だ。誰にも否定させるものか!」
ソクラテス
「わたしは否定していません。当事者が“心から幸せだ”と感じているなら、それは尊重されるべき個人の感情でしょう。しかし、その幸福感を“固有の価値”と言い募るのは、また別の話です。そこを混同しては、議論が成立しません。」
裁判員B
「もういい! このような言説は人権を踏みにじる暴挙だ。ソクラテスを有罪にし、処罰すべきではないか!」
人々
「処刑だ! 恥を知れ、ソクラテス! お前の思想こそ亡びよ!」
第八幕:ソクラテスの最終弁明
ソクラテスは怒号を背に、弟子たちに向かって語りかける。
ソクラテス
「友なる者たちよ、先ほどわたしは『同性愛には固有の価値があるか?』という疑問を呈した。これは結局、長い議論の末に誰も明確な回答を示せず、いよいよ感情だけが先走る結果となった。それはまるで、かつてわたしが“自分は何も知らない”と自覚したときのアポリア(当惑)を思い起こさせる。
しかし、ここからが始まりなのだ。無意味を自覚することは終わりではない。むしろ『これまで信じられていた価値が瓦解した』地点から、新しい意味や関係性を創造する余地が生まれる。だからあなたがたは、どうか思考をやめないでほしい。
もし今のままで“空虚だ、何も積み上がらない”と感じるなら、そこから抜け出すための方法を探し求めるのだ。ほんとうに同性愛を称えたいなら、『同性愛の新たな形』を探究するしかない。わたしがたとえ処刑されようとも、問いを続けるあなたがたのところに、わたしの魂はいつも寄り添っているだろう。」
そう言うや、騒然とする法廷を背に、ソクラテスは静かに微笑みを浮かべる。弟子たちも、師の言葉を胸に深く刻むようにうなずき合う。
やがて、観衆のざわめきのなか、
幕はゆっくりと降りる。
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