ソクラテス × アルキビアデス(下)

 1.平穏な日々──それは束の間の幻


 アルキビアデスとソクラテスが互いの想いを確かめ合い、深い愛を誓ってから、しばらくの時が流れた。

 彼らは荒廃したアテネシティの外れにある小さな住処で穏やかな日々を送っている。

「まさか、こんなふうに落ち着いて暮らせる日が来るなんてな……」

 アルキビアデスは、焚き火のそばでソクラテスの肩にもたれかかり、しみじみとつぶやく。


 かつて特Aオッサンを奪いまくり、大勢の不良たちを震え上がらせた美青年――それが自分だったことさえ、今はもう遠い夢のように思える。

 ソクラテスも微笑みながら、「君が落ち着いてくれて私も助かるよ。いまの君は、あの頃よりずっと……甘美だ」と言葉を返した。


 だが、その穏やかな暮らしは、そう長くは続かなかった。




 2.亡霊のような過去


 その日、アルキビアデスは買い出しに出て、夕方まで帰らなかった。

 天候が荒れ、雨混じりの風が建物を叩くなか、ソクラテスは一人、蝋燭の灯りを頼りに巻物を読んでいた。

 そこへ突然、荒々しい足音。玄関が破られ、一群の青年たちがなだれ込んでくる。


「お前がソクラテスか……」「アルキビアデスの想い人か……!」


 彼らの目には憎しみが宿っていた。

 アルキビアデスによってオッサンを奪われ、グループを崩壊に追い込まれた者たち。あるいは抗争の中で仲間や家族を傷つけられた者たち。彼らは“不問にされているアルキビアデスの罪”をどうしても見過ごせず、ソクラテスを人質にとることを決めたのだ。


 ソクラテスは抵抗する暇もなく捕縛されてしまう。

 不良グループのボス格が忌々しげに唇を噛んで言う。

「ソクラテスが連れ去られたことを知って、あいつがどれだけ苦しむか、いまから楽しみだな」

 こうして、ソクラテスは連行されたのだった。




 3.拘束されしオッサン


 アルキビアデスが帰宅すると、そこには荒れた部屋の痕跡だけが残っていた。

「……嘘だろ……!」

 激しく胸が締めつけられる。


 しばらくして、不良グループから伝言が届く。「指定場所に一人で来い。さもなくば、ソクラテスの命はないと思え」。

 アルキビアデスは迷わず向かった。大切な人のために。もう二度と取り返しのつかない後悔をしたくなかった。


 アルキビアデスが指定された場所に向かうと、不良たちが待ち構えていた。かつてアルキビアデスに蹂躙され、仲間を傷つけられ、オッサンとの関係を壊された者たち……彼らは一様に怒りに満ちた目をしている。

 その中心で、ソクラテスは縛り上げられ、複数の青年たちの愛撫に耐えていた。彼の眉間は苦痛で寄せられ、唇は結ばれている。声を出さないように必死にこらえていたが、限界が近そうだった。


「その人に触るな!」

 咆哮のように叫ぶアルキビアデスを、不良グループのボスの男が冷笑で迎える。

「動くんじゃねぇ。首を掻っ切ってもいいんだぞ?」

 ソクラテスの短い首筋に刃物が当てられる。それを見たアルキビアデスは武器を捨て、無抵抗に身を差し出すしかなかった。


「頼む……ソクラテスだけは、勘弁してくれ……」

 アルキビアデスは何度殴られても立ち上がろうとするが、不良たちは容赦なく彼を痛めつけた。最後にはボスの男が頭を蹴り飛ばし、彼は気を失う。

 意識を失う直前、ボスの嘲笑が耳を刺した。

「そんなに大切なら、返してやるさ。精液を搾り尽した後でな」




 4.狂気が巣食うアジト


 アルキビアデスが目覚めたとき、そこにはもう誰もいなかった。

「くそ……っ! どこにいってしまったんだ、ソクラテス……っ!」

 彼は必死でソクラテスの行方を探したが、どこにも見当たらない。懸命の捜索は徒労に終わり、月日が流れてしまう。


 ようやく手がかりをつかんだのは数か月後。アルキビアデスは不良グループの本拠地が移されたという話を耳にし、単身アジトへと乗り込む。

 ところが、そこには奇妙な光景が広がっていた。

 見張り役が武器を持たずにただ突っ立っている。アジトの内部に踏み込んでも、道中で遭遇した不良たちは、みな虚ろな瞳をして壁に頭を打ちつけたり、奇声を発したり、ぶつぶつ呟いていたり……。


 まるで悪夢のような光景だった。

「一体……何があった……?」




 5.ソクラテスの問答


 時は、ソクラテスがアジトに連れ去られた日に遡る。

 不良たちは拘束されたソクラテスを囲みながら好色な目線を向ける。

「このオッサン、どんなモノ持ってっかなあ」

「そら、あの淫欲の化け物を一人で満足させてんだから、そうとうなモンだろう」

「んほう、高まる~~~」

 不良たちは下品な笑い声をあげ、誰が一番最初にしゃぶるかで言い争っている。


 ソクラテスは頭をフル回転させ、この絶体絶命の状況をどう切り抜けるかを考える。僕にできることは何か、この拘束された状況でできること。そこでソクラテスはハタと気づく。僕がこれまでにやってきたこと、そして、やるべきことは、どんな時でも一つのことだけだったじゃないか。

 そして、ソクラテスの口から飛び出したのは、いつもの落ち着いた問い掛け。

「君たちに答えてほしいことがある」

 不良たちは首をかしげる。

 ソクラテスは話を続ける。「もし僕の質問に満足のいく答えをくれるなら、僕はその人を情熱的に抱くことを約束するよ。僕は体力だけは自信があるんだ」

 ソクラテスの発言に不良たちはどよめいた。

「それはつまり、あれか? 自分から率先して動くってことか?」

「そうだ」

「騎乗位で寝っ転がってるだけじゃなく、正常位やバックもしてくれるってことか?」

「そうだ」


 不良たちは騒然となり、感極まって口々に喋り出した。

「信じらんねえ! オッサンのタチはマグロばかりじゃなかったのかよ!」

「俺だって、好き好んでケツで攻めてたんじゃねえ!ほんとうは攻められたかったんだ!」

「特Aオッサンですら、ちょっと動いたら、息切れして、腰を痛めたりするってのに!」

「うわあ、スゲェ、このオッサン! 特Aオッサンを超えてる!」

「あのアルキビアデスが惚れ込むわけだ! 前立腺がうずいちまうぜ!」

「俺、バックで激しく突かれるのが夢だったんだよ。今日、夢が叶っちゃうのか。母ちゃん、生んでくれてありがとう」


 ソクラテスは、興奮の渦が過ぎ去るのを待ってから、問答を始めた。

「では諸君、答えてくれたまえ。同性愛にはどのような固有の価値があるのか? それは異性愛の生殖に匹敵するような意義を含んでいるのだろうか?」

 不良グループの青年たちは意気込んで幾つもの答えを述べた。

「男同士だから対等な関係を築けるんだ」

「同性愛は多様性の象徴だ」

「生殖がないからこそ純粋な愛を実現できるんだ」と、彼らは得意げに語った。

 しかし、ソクラテスは一人ひとりの言葉を拾い上げ、反駁し、かすかな論理矛盾や根拠の薄弱さを容赦なく突き崩す。そして最終的には、「現状の同性愛には何の独自性もなく、空虚ではないか」という結論へ彼らを導いてしまったのだ。


「俺たちが何のためにオッサンを奪い合ってたのか、わからなくなっちまった……」

「こんな汚いオッサンに必死になるなんて、冷静に考えたら正気の沙汰じゃねぇ……」

 青年たちは、自分たちのアイデンティティを支えていた“オッサン♡”という存在意義を失い、混乱の中で思考を放棄している。リーダー格の青年も例外ではなく、呆然としたまま「もう更生するよ。真面目に畑を耕す。そんで、優しい旦那様を収穫してお嫁さんになるんだ…」と呟き、ふらりと廃墟を後にした。




 6.ソクラテスの破壊力


 アルキビアデスがその場に駆けつけたとき、ソクラテスは静かに椅子に腰かけ、ぼんやりと天井を見つめていた。

 不良たちの手によって拘束され、凌辱の瀬戸際だったはずが、彼らが精神的に崩壊した結果、ソクラテスは実質的に“解放”されている状態だった。

「ソクラテス……無事、なんだな?」

 アルキビアデスは抱きしめたい衝動を抑え、ソクラテスの肩にそっと触れる。数か月ぶりに会う師は、以前より一層「人とは違う」雰囲気を漂わせていた。


「アルキビアデスよ、よく来てくれたね」

 ソクラテスは振り向き、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。その顔にはかすかな疲労が見えるが、不気味なくらい落ち着いている。

「あれから、君を痛めつけた人たちや多くの青年と話をしたよ。おかげで私もいろいろ考えさせられた。結果的に彼らの心から“オッサンへの思慕”を失わせたようで、少し困っているんだが……」

 青年たちはソクラテスを弄ぶはずが、いつしかソクラテスの弁論に呑まれ、自分たちが信じていた“同性愛の特別な価値”が無根拠であることを知り、全てがあやふやになってしまったのだ。




 7.ふたたび突きつけられる問い


 アルキビアデスは師を救いに来たはずなのに、見渡せば、荒れ果てた部屋と精神的に折れた若者たちが散らばるだけ。

「どうしたら……こんなことになるんだ、ソクラテス!」

 やっとの再会に胸を焦がすアルキビアデスの声は、怒りとも戸惑いともつかない揺れを含んでいた。なぜソクラテスは出会った若者を次々に狂わすのか。いや、それこそがソクラテスの本性なのかもしれないが……。


「さて、君にも問いたいのだがね」

 ソクラテスはいつものように、アルキビアデスに話しかける。

「君は由緒正しい家柄の出でありながら、荒れた過去を持ち、いま私と愛を育んでいる。ただし、同性愛の価値が何ら確固とした根拠を持っていないとなれば……どうする? 私と君の関係にも意味がないかもしれない。それでも君は、同性愛を選ぶのか? 何のために?」

 アルキビアデスは身震いする。愛する師を前にして感じる、この根源的な恐怖──“自分が選んでいるはずの同性愛は、実は空虚なのかもしれない”という疑念を、ソクラテスは改めて突きつけてくるのだ。

「そんなこと……今、答えろっていうのかよ……」

 思わず震えた声が漏れる。




 8.迫りくるソクラテス裁判


 廃墟の街では、ソクラテスの“破壊的な問答”により、同性愛をめぐる価値観が大きく動いていた。

 同時に、ソクラテス自身が「オッサンコミュニティの既得権益」を揺るがしかねない存在として、上流階級のリベラルなオッサンたちをも敵に回しつつあるという噂が広がり始める。

「このままでは、近いうちに“ソクラテス裁判”とやらが開かれるかもしれない……」

 アルキビアデスはひどく胸騒ぎを覚える。一方で、ソクラテスはあくまでも沈着な面持ちで微笑むばかりだ。


「アルキビアデス、先ほどの問い……君がどういう答えを出すのか、私はとても興味深いよ」

 その言葉は、どこか人間離れした知的好奇心の響きを含んでいた。

 アルキビアデスは、ソクラテスと一緒にいる限り、その問いを免れることはできないことを理解していた。だが同時に、その問いに答えたが最後、自身の信じる同性愛の価値も、ソクラテスへの愛さえも破壊されかねないことを予感していた。

 何よりも大切な“オッサンへの愛”を守るために、最愛のオッサンから離れなければならないのか。アルキビアデスはソクラテスを愛するゆえに呪うのであった──。

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