第2話『Λの耳を持つ少女』
第2話『Λの耳を持つ少女』
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夜。研究所の照明は必要最低限だけが灯り、実験室には静かな機械音と、珈琲をすする音が響いていた。
「……にゃー」
とん太がカップを置き、意味もなくつぶやく。
「豚太郎。意味のない鳴き真似は禁止。ユイの語尾がうつるからやめて」
「す、すみません! でも僕も少しでもあの神童の近くにいたい一心で――」
「黙って作業に戻れ、崇拝者」
「はいッ!」
モニターには、Λの内部から送られてきた膨大なデータが高速で流れている。その傍らで、ユイはぬいぐるみを膝に乗せたまま、指先だけでタッチ操作を繰り返していた。
「Λの量子スケールで、重力ポテンシャルが局所的に変動しているにゃ。…つまりこれは、重力子の“ささやき”にゃ」
「“ささやき”? それって比喩じゃなく、実データとして出てるの?」
真理が椅子を寄せ、画面を覗き込む。
「局所的な時空のゆらぎ。観測限界のギリギリに、“耳”をすませば聞こえるにゃ……わたしの“Λ耳”なら、にゃ」
「“ラムみみ”とか新しい名詞を作らないでほしいにゃ……!」
「にゃー!」
「……いまのは豚太郎が悪い。無視して」
ユイは、構築したばかりの新しい観測アルゴリズムを実行しはじめた。その名も「Λ-Ear(ラム・イアー)」。これは彼女自身が考案した、重力子の痕跡波を“音”として再構成する解析技術だった。
しばらくして、スピーカーがごく微かに鳴った。
――ぷ、ぷぅぅぅ……
「……なにこれ」
「今のは……もしかしてΛからの重力子音声化第一号ですか!?」
「違うにゃ。とん太が椅子を軋ませた音がノイズフィルター通過して“再構成”されたにゃ」
「うっわ……僕、Λと混線してる……!? 僕の存在って何!? Λの一部!? え、宇宙!?」
「いいから出ていけ、豚太郎」
真理が冷静に一蹴する中、ユイは耳を澄ました。
その時だった。
――キィィィン……
かすかな共鳴音。だが確かに“人の耳”にも届くほどの、超高周波域のうねりが空間に走った。
「今のは……明らかに“何か”が返事したにゃ」
ユイの目が鋭く細まる。
「Λが……自発的に応答をはじめたにゃ。つまり、干渉実験ではなく、“対話”のフェーズに移行したにゃ」
とん太と真理が一瞬言葉を失った。
Λが、応答している。
まるで自我でもあるかのように。
そして次の瞬間――Λ内部から、意味不明の数式が返送された。
それは、未発表の理論とも、既知の物理法則とも一致しない、異質な“答え”だった。
「まさか……Λが、わたしたちの理論を修正してきた……?」
「それは……知性……なのか……?」
ユイは静かに微笑んだ。
「にゃ。これが“Λの耳”を持つ者だけが聞ける、第一声にゃ。――次は、“Λの声”を聞くにゃ」
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第3話『Λが囁いた常数』につづく。
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