パートナー診断
藤島
パートナー診断
わたしたちは円満だった。
婚活アプリの性能は上がり、お互いの性格、食の好み、趣味、休日の過ごし方、仕事へのスタンス、お金に対する考え方などなど、生活をする上での必要事項のすりあわせを、より高い精度でできるようになった。アプリの成婚率は八〇パーセント。同じ会社が手がけるパートナー度測定器も評判が良く、過去五年間のデータでは、アプリと測定器を利用したカップルの離婚率は二〇パーセント未満と謳われている。わたしはその会社のアプリを使い、できるだけ愛情を育みやすい相手として、今の夫を選んだ。
結婚をする前に同社のパートナー診断も受けた。それで相性九〇パーセントを超えたことが結婚の決め手にもなったのだ。それくらい、わたしにとってパートナー診断は的確な指針だった。
家にあるパートナー度測定器も、毎朝相性を測定してくれる。インテリアになじむ、かわいらしく丸いフォルムのそれが日々安定した数値を表示してくれるのだから、わたしたち夫婦はこのまま円満に、円滑に日々を構築していくものだと信じていた。
だから、わたしは測定器の数値が日々下がっていくことにショックを受け続けた。
『おかえり、今日もお疲れ様。ご飯あるけど食べる?』
『あー、いいや。ただいま。今日はこのままシャワー浴びて寝るよ』
『そう。おやすみ』
初めて相性度が下がった前日、夜の会話はこの程度のことだ。日記にも書いてあるからおそらく確かだろう。日記に書くくらい、その朝は衝撃だったのだ。
相性度が下がる理由は、他に思い当たることもなかった。会話の頻度と量は少ないかもしれないが、それは平日の夜なら結婚当初からあまり変わらない。事前データとしても入力しているし、平均的な数値も変わらない。ではなぜ、その日に相性度が一〇パーセントも下がったのか。
その日のわたしの日記は、動揺と自分の行動の洗い出しで埋め尽くされていた。なにせ原因が分からないのだ。相性度を結婚の指針としてきたわたしには、到底受け入れられない。
後から読み返すと何をそんなに恐れていたのかを思い出せないのだけど、このときの焦燥感は思い出せる。相性度が下がってしまうと、この結婚の根拠が崩れてしまうという恐怖があった。
だから、相性度が下がっているのは夫が浮気しているせいだと考えるようになった。
パートナー度測定器は、お互いのスマートフォン・パソコンと同期されている。スマートフォンはもはや第二の自分だ。スマートフォンに隠しごとはできないし、もしかしたら自分以上に自分のことを知っている。設定した相手以外と特定ワードを含む親密なやりとりをしていたら浮気と認識され、警告が出たり相性度が下がったりすることになっている。急激な下落だ。日々数パーセントの上下はあっても、一〇パーセントは見過ごせない。何か明確な理由があるはずだ。測定器に組み込まれたAIが、そう判断したのだから。
それでも、七〇パーセントまではそこまで強い危機感はなかった。
改善できるところはあると思っていたし、夫が浮気している素振りも証拠も見つけられなかったからだ。同じく測定器を使っている友人夫婦は、平均六五パーセントだと言っていた。わたしたち夫婦の相性が元々高すぎたのだ。いまは平均並みになっただけだ。
でも、そんなに急激に変わることってある?
その疑問は、常に頭の隅にあった。
相性度の月平均が六八パーセントになった時、わたしは夫に話し合いを提案した。
それまでも何度か下がる度に話題にはしていたのだけど、夫はわたしよりも楽観的だった。
曰く、相性度が下がっても自分たちの日常や気持ちに変化はない。相性度が下がるようなことにも心当たりがない(相性測定にはある程度公開されている判定基準があり、それに抵触するようなことはしてないということ)。結婚から三年以上経つと、平均して数値は六五~八〇パーセントの間になること。数値が下がっても自分の気持ちに変わりはないし、これからもわたしとの結婚生活を続けていきたいことにも変わりはない、と。
「そんなに不安になるなら、測定器を外したら?」
「だめ、だめだよそんなの」
「あるから気になるんであって、不安になるようなら無くなった方が安心すると思うよ」
「でも」
わたしは爪を噛んだ。夫の言うことはもっともだ。あるから不安になる。測定されているから数字ばかり気にしてしまう。悪くなっていくことに耐えられなくなる。
それでも、測定器をなくすことは考えられなかった。指針を失ってしまったら、どうなるんだろう。これ以上悪くなった時に分からなくなってしまう。損切りのタイミングを見失ってしまうのではないだろうか。
渋るわたしを見て、夫はふぅと息をつく。
「僕に思い当たることがないなら、君はどうなの?」
「わたしだってないよ。判定基準の項目はお互い確認したじゃない。なんで疑うの?」
夫のため息が怖かった。
これ以上なじられないよう少し攻撃的になったわたしに、夫はなだめるように笑いかける。
その日の話し合いはそこで終わった。
相性度が六〇パーセントを切ると、測定器と連動しているアプリから離婚をやんわりと推奨され始める。
改善ではなく離婚の推奨というところが、夫婦という関係に対する信頼感のなさを表しているようだ。そしてそれは、そのまま相手への不信感につながっていく。
穏やかな夫婦生活は測定器によってもたらされているもので、相性診断によってでしか保たれないと信じていたせいだ。毎日相性度を見て、少しの安心を得たり、不安になったりしていたわたしは、どう考えても情緒不安定だっただろう。
「このニュース見た?」
友人がそのニュースを教えてくれたのは、夫と別れた後だった。
友人が教えてくれたニュースは、パートナー度測定器を提供している企業のニュースで、測定器に使われているAIの拡大解釈による測定結果の誤謬についてだった。
「うそ……」
測定器に使われているAIはある程度自動化されており、NGリストに設定された単語が端末内にあった場合に相性度を下げていく判定をする。NGリストとは、相性診断を使用する際に設定した単語のことで、パートナーには見えないように設定もできる。わたしも設定していたから、なんとなく何が理由だったのか推測できた。
「じゃあ、じゃあもしかしたら、うちの相性度が下がってたのも、これが理由だったかもしれないってこと?」
「かもしれないよ。不具合は一年くらい前からあったみたいだし、ちょうど同じくらいじゃなかった? あなたが相性度が下がったって落ち込み始めたの」
「そうかもしれない……。それまでは本当に数値が下がらなかったのに、急に下がってびっくりしたし、日記にも書いてあるから日付も分かる」
「記事によると、過去二年以内に設定されたNGリストが原因になってるかもってあるけど、何か設定した?」
「どうだろう……。二年だと、結婚して一年後くらい。その頃は確か、子どものことを話し合ってた頃だったと思う。結局子どもは持たないって話をしてて。……NGリストを更新した記憶はないなぁ」
「じゃあ元旦那さんの方で何か設定したのかな」
「そうだったとしたら分からないよ」
「でも待って、NGワードをAIが勝手に更新して増やしてるパターンもあったって書いてある。利用者が設定してなくても、設定されたNGワードに関連する単語をスマホやパソコンの利用履歴から勝手に設定されて、お互い悪くなくても相性度が下がってたかもしれないってこと?」
「そんな……」
今更そんなことを言われても、もう確かめようがない。別れてからもう半年は経っている。お互いに連絡先は消してしまった。それに、測定器の誤謬だったとしてもよりを戻すことはできないだろう。
パートナー度測定器に振り回されたのはわたしで、相手は一度測定器を捨てようと言ってくれたのだ。それを断ったのは自分。測定器にこだわらなければ、わたしは今でも夫と一緒に暮らしていたかもしれない。なにせ、一度は最高の相性を測定した相手なのだから。
夫に未練を感じるのは、あの時信じるものがぶれたからだ。測定器へも夫へも、信じようとした気持ちがどっちつかずになってしまったから、測定器への信頼が無くなった今、元夫を信じていれば良かった、という後悔になっている。
それでも、失ってしまったものは失ったままだ。
信じたものが夫ではなく測定器だった時点で、この結果は決まっていた。
夫との穏やかな生活も、測定器の信頼性も、どちらも失ってしまったわたしは、じゃあこれから何を信じるべきだろうか。
離婚への後悔をにじませた日記をつけながら、わたしは次に信じるものを探している。
パートナー診断 藤島 @karayakkyou
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