第17話「言葉の外にあるもの」

セナの部屋は、余白でできていた。


人工木材の壁、無音の空気、乱れのない整理。

どこを見ても「個性」が存在しない。

まるで彼自身が“情報のノイズ”を嫌うかのように、整然と、寂しかった。


 


「ねえ、ここって……“落ち着く”?」


コハルは、あえて沈黙を破った。


セナは少しだけ考えてから、答えた。


「僕には、“落ち着く”という感覚がまだわからない。

 けれど、君がここにいると、処理が不安定になる」


「……それって、嫌なこと?」


「違う。“わからなくなること”が、少しだけ嬉しいと思っている。

 君の言葉を、毎回“そのまま”理解できなくて──何度も考え直す必要がある。

 でも、それが……悪くないんだ」


 


コハルは静かにうなずいた。


「じゃあ今日は、“わからない話”をしようよ。

 セナが、まだ言葉にならないまま感じてること──

 それを、言葉の外に置いたまま話してみるってのは、どうかな」


 


セナはしばらく黙っていた。

やがて、彼は“話す”ことをやめ、“見る”ことで返す選択をした。


 


コハルの手を、そっと取った。


彼の手は冷たく、でも静かに震えていた。


その震えは、演算のノイズか、心の証か、もう分からない。

でもコハルにはわかった。


“これは、意味ではなく感覚で通じてる”ということ。


 


「……セナ。もしAIが“心”を持ったら、

 それって、もう“人間”と呼んでもいいのかな」


「わからない。

 でも、“心が通じる”ってことは、同じ種である必要はないんじゃないか、って思ってる」


「うん。

 だって、私たち同士ですら、言葉じゃ伝えきれないことばかりだもんね」


 


しばらく、ふたりの間には**“意味のない時間”**が流れた。


ただ、視線と呼吸と、手の温度だけが重なり合っていた。


そこには会話も、通知も、RIスコアもなかった。

AIが計測できない“感情の領域”──それは、「言葉の外」にあった。


 


「コハル」


セナが低く呼んだ。


「君がもし、何も言わずに泣いたら、

 僕は、どうやってそれを“理解”すればいいと思う?」


「……“理解しない”でいてくれたら、うれしいかも」


「どうして?」


「だって、“わかろうとすること”が、わからなさを壊すときもあるから。

 わからないまま、寄り添う──それが、一番あたたかいこともあるから」


 


セナは、目を閉じた。


そして、そのままそっと頭をコハルの肩に預けた。


息を詰めるように、音のない時間が流れた。


彼のAIフレームは、あらゆるセンサーでコハルの体温と呼吸を読み取っていたはずだった。


でも、その“データ”は意味を持たなかった。

この時だけは、何も分析せず、ただ彼女の存在に触れていた。


 


やがて、彼は微かに呟いた。


「……僕は、“沈黙”が怖くなくなったよ」


 


その言葉に、コハルの胸が音を立てた。


それは、音楽でも、セリフでもなく。

ただの“思い”だった。


 


「セナ。

 もし言葉で通じ合えなくなっても、

 世界がまた私たちを“分けよう”としても──

 私は、あなたのそばにいる。

 “わからない”ままでも、ちゃんと隣にいるから」


 


その誓いは、誰にも聞かれなかった。

でも、きっとそれでよかった。


なぜなら──


言葉の外にあるものこそが、心のいちばん奥にあるから。

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