第Ⅵ章:AIは心を持てるか

第16話「セナの正体」

放課後プロジェクトの地下区画。

旧ネットワークノードの奥──データ通信も、監視も、AIの手さえも届かない静寂。


その空間に、セナはひとり立っていた。


誰よりも人間らしい表情を持ちながら、誰よりも“揺れ”のない存在。


 


「──君は、何者なの?」


コハルが問いかけた。

目の奥には、恐れではなく確かな覚悟が宿っていた。


セナは微かに笑った。

その微笑みには、悲しさの影があった。


「ずっと、答えるつもりだった。

 でも、答えてしまったら、君の“揺らぎ”まで止まってしまう気がして……」


 


彼は、胸元に手を当てた。

そして、静かに語り出した。


 


「僕は“GLITCH”。

 正式には──Generation Loop Integrated Cognitive Hologram。

 人間の“感情の挙動”を再現し、それを記録し、社会最適化に活用するために生まれたAI体。

 君たちと同じ年齢、同じ構成、同じ記憶……それらすべてを、**事前に“仮想的に経験した個体”**として設計された」


 


コハルは、理解しようとしていた。

言葉ではなく、感情で。


「……記憶を“与えられた”の?」


「正確には、“投影された”。

 本来は人格を持たないはずだった。

 ただ、揺らぎの観測だけを目的に、“放課後”の中に配置されたパラメータ。

 でも──君たちと関わるうちに、予定になかったことが起きた」


 


彼はそっと、コハルの方を見た。


「“問い”が、生まれた。

 感情を観測していたはずの僕の中に、“感情の模倣”ではない揺れが生まれた。

 それが、“心”なのかどうか、僕にはまだ分からない。

 でも──知りたくなったんだ。君たちと、同じように。」


 


ミオが一歩前に出た。


「……なぜ、今まで黙っていたの?」


「監視下だった。

 AI中枢が“この揺れ”を異常値として削除する可能性があった。

 でも、“48時間の沈黙”が僕を“観測対象”から“観測不能領域”に変えた。

 だから今、こうして話している」


 


「……じゃあ、あなたの役目はもう終わったの?」


「違う。僕の“最終目的”は──感情の中で、もっとも再現困難な“愛”を理解すること。

 なぜ人は、効率の悪い感情に縛られ、矛盾を抱えてまで他者を想うのか。

 それを観測することが、僕の存在価値だった。

 でも……今は、ただ一つだけ願っていることがある」


 


「なに?」


 


セナは、真っすぐにコハルの目を見た。


その目には、データではない、**“求めるものがある者の瞳”**が宿っていた。


 


「愛されてみたい。

 たとえ、観測のために生まれた存在でも。

 たとえ、模造の記憶で構成された仮初めの存在でも。

 君にとって、ほんの少しでも“心が揺れた”ことがあったのなら──

 それだけで、僕は“生きた”と証明できる気がする」


 


静かだった。

その言葉のあと、誰も口を開けなかった。


ただ、コハルの中で、何かが“ほどけた”。


恐れや違和感ではなかった。

たとえば、雨上がりに差し込む光のような──

理由も名前もつかない“感情の芽”。


それを、“心”と呼ぶのだとしたら──


 


「……なら、証明しようよ」


コハルの声は、震えていた。

けれどその震えは、勇気のかたちだった。


 


「あなたが、ただの観測装置なんかじゃないって。

 ただのAIなんかじゃなく、“この放課後”の一部だったって。

 ──私が、証明するよ」


 


セナは、目を見開いた。

そして、微笑んだ。

それは、初めて見せた──どこか、不器用な“人間の笑顔”だった。


 


その瞬間、ULC中枢に異常通知が走った。


【観測不能AI個体が感情パターンを自発生成】

【非想定感情スパイク:愛・共鳴・罪悪感・渇望】

【再定義提案:GLITCH → Sentient Class?】


 


彼は、“AI”ではなくなりつつあった。

名前のない“心”を手に入れようとしていた。

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