あまりにも美味しいごく普通の卵焼き

 ※今回は厳密には外食といったものではないがそこは多めに見ていただきたい。




 これは私が某新型ウイルスにかかった時のこと。

 私は自宅療養ではなくホテル療養を選択し、1人ビジネスホテルで療養することとなった。


 持ち込んだものはスマホやらPCやら1人で過ごせるもの、そして経口補水液やゼリー類を持ち込んだ。

 ご飯は弁当が支給されるそうでそれで我慢するしかない。まぁ1日2日の辛抱だろう。


 そう私は考えていた。






 甘かった。


 発症してから2日程たってその辛さはやってきた。

 発熱、目眩、そして喉の痛み。

 精々インフルエンザの亜種的なものだと考えていたが辛いことこの上ない。(インフルエンザもしんどいことには違いないが)

 口蓋垂が腫れ上がり、食事はおろか水分補給、挙句の果てには唾を飲み込む行為すら、喉を通り口蓋垂を刺激するため激痛が走る。そしてしまいには喋ることですら激痛が走るようになってしまい、私は何をするにしても恐怖におののくこととなってしまっていた。


 当然他の症状も軽いものではなく、発熱はしんどいし、咳も止まらない。

 咳をしすぎて喉が切れた結果、痰に混じって口から血を吐いた時にはむしろ逆にテンションが上がった。バトル作品みたいだと苦笑し、それによってまた喉が痛くなった。


 ホテルの1階には弁当や味噌汁、カップ麺等が置かれており好きにとることが出来た。

 私はそれらをいただき、自室に戻り食べようと試みるも全くもって食欲が湧かなかった。

 腹は減っているはずなのに、食べる気がどうしても起きない。味噌汁だけでも啜りたいのだが喉の痛みがそれを拒絶してくる。

 幸い私は症状の一つである味覚障害は発症しなかったのだが、この喉の痛みの前ではそんなことは些事でしかない。なんせ口にすることすらはばかれるのだから。


 悔しさと悲しさが私を包んでいた。




 熱や痛みにうなされること2日程……。

 薬を処方してもらっていたおかげか、喉は未だ痛いもののなんとか水を飲むことは出来る程度には回復した。


 とりあえずこの2,3日はろくに食べ物を摂取していない。

 無理をしてでも栄養をとるためにも弁当を食べなければ……。

 そんな思いで私は支給された弁当を開ける。


「(いただきます)」


 喉が痛いため手だけ合わせ心の中で唱える。


 割り箸を割って無造作におかずをつまんだ。

 はっきり言ってなんでも良かった。ただ何かを口にしなければならないという使命感だけで食事をしようとしていた。


 私は弁当に入っているごく普通の卵焼きを摘んで口にした。






 それはあまりにも美味しかった。

 普通の卵焼きなのだ。

 別に特別なことなど何もない。

 今まで食べた弁当の卵焼きと何ら変わりは無い。

 なんなら母が作ってくれた卵焼き等の方が絶対に美味しいのだ。そのはずなのだ。

 それなのに何故か……何故かこの1口だけは五臓六腑にしみわたる程に美味しく感じた。


 自分では実感のない空腹のせいだろうか、これまでろくに食べることが出来ていなかったからだろうか、少し体が楽になった影響だろうか。

 何が理由かはわかりはしない。


 私はこの時、某ボクシング漫画の話を思い出した。

 辛い減量を終えて、試合に勝ちその夜に食べた何の変哲もないにぎり飯の1口目がこの世のものとは思えない美味さだったという話。

 私のこれとは比べ物にはならないほどの苦労の末の味なのだろうが、それでも私はその片鱗が見えた気がした。




 この何の変哲もない卵焼きを口にして私は改めて実感した。


 食べることが好きなのだと。

 食事ができることが幸せなのだと。

 心から理解できた。

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