第29話:控室の誓い

ステージを降りた直後の控室には、静けさが漂っていた。

だがそれは、“疲労”ではない。

“やりきった者だけが感じられる確信”の静けさだった。


舞依がマイクをそっとテーブルに置き、深く息を吐きながらつぶやく。

「……全部、出し切った。言葉も、想いも、魂も。……“あの曲”は、ちゃんと届いたよね」


その問いかけに、全員が静かに、しかし力強く頷いた。


穂奈美が拳を握りしめ、弾けるような声で言う。

「届いたよ! だって……あの空気、あの静寂、あれは絶対ウソじゃない。私たちの“音”が、観客の中で生きてた!」


香澄が笑いながらも、涙をこらえるように肩を震わせる。

「マジで……震えた。ステージの上でさ、空気が変わった瞬間があったよね。私たち、今、ホールを支配してるって……あれ、忘れられない」


ふと、誰からともなく、少しだけ遠くを見るような視線を向ける。

控室の窓から差し込む午後の光に包まれて、

五人の視線がふと、遠くを見つめるように揃った。

それは無意識のようでいて、確かな共有の空気。

彼女たちは、それぞれの胸の奥で、“ここまでの道のり”を静かにたどっていた。


穂奈美が、目を閉じて呟いた。

「ねえ……みんな、覚えてるかな? 初めて五人で音を合わせた日のこと」


あの狭くて空気が重たい、小さな練習室。

壁際に積まれたアンプと、ちょっと錆びたマイクスタンド。

湿気と緊張の匂いが漂っていた。


誰もが手探りで、テンポは合わず、コードはたどたどしかった。

でも、ほんの一瞬だけ――音がふっと重なった奇跡のような瞬間があった。


「コードひとつ合わせるだけで手が震えてさ。でも……そのとき思ったんだ。私のギターが、誰かの歌を“支える”って、こんなにもあたたかいんだって」


香澄が、となりに座る舞依に目を向け、微笑む。

「私もね、舞依と初めて音を重ねたときのこと、今でも忘れられない。

舞依の表情……あんなに優しいのに、歌は燃えるように情熱的だった」


母とのセッションでは得られなかった、“音楽で誰かと繋がる”という感覚。

それが舞依との出会いで、確かに芽生えた。


「演奏は……下手だったかもしれない。でも、この声とこの音なら、きっと“本物”になれるって思った。

あの瞬間、REJECT CODEはただのバンドじゃなくて、“帰る場所”になった気がしたんだ」


彩が、ゆっくりしゃべりだす。

普段はおっとりしている彼女の瞳が、うっすら潤んでいた。

「……私、最初は全然リズムが合わせられなかった。自分が崩したら、全部壊れる気がして……すごく怖くて」

「ドラムは支える側。

だからこそ、ミスは許されないと思い込んでいた。」

「でも、みんなが自然に合わせてくれて……“支える”って、ひとりでやることじゃないんだって気づいたの。

信じ合うこと、それがバンドなんだって、やっと分かった」


萌絵が、深く静かに頷きながら言葉を重ねる。

その声には、クラシックの規律を乗り越えた者だけが持つ、柔らかな強さがあった。

「クラシックでは、間違いは“傷”だった。でも、REJECT CODEでは……揺らぎも歪みも、“表現”だった」


不安や迷いを抱えながら、それでも鍵盤に向き合い続けた日々。

転びそうになったとき、仲間の音がそっと支えてくれた。


「間違えても、転んでも、それも“音になる”世界。そんな音楽、知らなかった。……私、このバンドに出会えて本当に良かったって、心から思ってる」


そして、舞依が静かに目を閉じた。

胸の奥から、言葉がゆっくりと立ち上がってくる。

そして、舞依が静かに目を閉じた。

言葉を探すように、一拍だけ時間を置いて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「私はね、叔母のアトリエで、初めて“誰かに歌を届けたい”って思ったの。

でも……本当は、ずっと怖かった。」

「“私の声、みんなに届くのかな”って、思ってたから。でもみんなに出会って、

初めてライブで歌った『Cry for Freedom』、みんなの演奏で歌って、あのとき確かに届いたって思った。」


そして、今日のあのステージ。

たった一音の鍵盤から、ひとつの物語が始まり、五人の“声”が重なった。


「今日、正直怖かった。『Cry for Freedom』を捨てて新しい挑戦をこのセミファイナルでするって決めたのに……でも、みんなと奏でた“月の夜曲”。あの時の気持ちは、間違ってなかった。私たちは今日、本当に“新たな物語を届けられた”んだって」


全員の視線が、舞依に集まる。

それは言葉ではない。“共鳴”だった。

過去と現在、迷いと確信が重なり合い、そこにREJECT CODEという“音”が生まれていた。


その空気を切るように、冷静な萌絵が口を開いた。

表情は落ち着いているが、瞳は鋭く輝いている。


「でも……まだ終わってない。相手はVELVET CROWNよ。あの完成度と“ステージ構築力”、半端じゃない。彼らの“演じる音”は、観客の意識ごと引き込んでくる」


彩が静かに頷きながら言葉を重ねた。


「たしかに……でも、私たちが今日届けたのは、“派手さ”じゃない。“本音”だった。私は信じたい。“静けさ”の中にこそ、私たちの勝機があるって」


そして、舞依が力強く微笑む。


「うん。VELVET CROWNが“演じる音”を極めたなら、

私たちが奏でたのは、“生きた物語”。

音じゃなくて、魂で語った。

“あのステージ”は、私たちの人生そのものだったんだよ」


控室の空気が、再び引き締まる。

それは満足の吐息ではない。

“過去を肯定できた者だけが持てる覚悟”と、

“これから”を信じる静かな情熱だった。


──残り30分。

VELVET CROWNの幕が、今まさに上がろうとしていた。

舞依が、穏やかながら確かな瞳で仲間を見回す。

そして、ほんの一呼吸を置いて――静かに、でも凛とした声で言った。


「私たちは“物語”を届けた。次は――VELVET CROWNの番ね。さあ、見せてもらいましょう!――VELVET CROWNの“誇りの音”、彼らの“舞台”、

どんな物語を描くのか!」


REJECT CODEのメンバーは静かに頷き、観客席へと向かった。


一方、そのころ――VELVET CROWN控室:演奏直前の“開演の儀”

その控室に満ちていたのは、ただの緊張でも高揚でもなかった。

それは――**音と言葉と静寂で交わす“誓いの儀式”**だった。


蛍光灯ではなく、薄暗い間接照明だけが灯された部屋。


秋人は、自分のギターのストラップを肩にかけると、いつものように目を閉じた。

それは“音の風景”を描くための準備。

彼にとってこの数秒が、物語の最初の一筆になる。

「……今日の幕は、星の奥に落とす。闇から始めよ」


凛は黙って足元のエフェクトボードを確認し、スイッチに足を乗せたまま、何も言わない。

ただ、ギターのネックを握る左手にほんのわずか力がこもっていた。

その仕草は、まるで“感情を音に変える弓を引く”ような緊張感を帯びていた。


ケイは低く沈んだ位置でベースを抱え、椅子に腰かけながらアンプのつまみを丁寧に調整していた。

「この低音が、物語の底を流れる血や」

一言だけそう呟くと、指で弦を軽く弾き、空気の震えを確かめた。

ベースの音は、彼にとって“物語の時間軸”だった。


翼はスティックではなく、コンガの淵を指で叩いていた。

リムショットではなく、「無音よりも静かな音」を確かめるように。

「真白、あの照明、星が落ちるあたり……5秒、あとにずらせる?」

「光を遅らせて、音が“闇に沈む”のを強調したい」


真白は頷き、タブレットを操作して秒単位のタイムラインを編集した。

その真白は、控室の壁に投影された簡易シミュレーションを見ながら、タクトのように空をなぞる。

光と音の交錯点を探る指先は、まるで指揮者。

「最初のブレイク、秋人のボーカルと同時に青の斜光。観客の目に“星の記憶”を焼きつける」

静かに、しかし揺るぎない声だった。


誰も騒がない。誰も高め合わない。

静けさの中で、それぞれが“音と感情を結び直す”時間。

それがVELVET CROWNの“開演の儀式”だった。


秋人が最後に小さく息を吸い、そっと言った。

「さあ……魅せよ、墜ちた星の夜想曲――**『Nocturne of the Fallen Star』**の幕を開けるんや」


その掛け声と共にVELVET CROWNのメンバーがステージへと向かう。

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