第4話 ささやきの距離



 翌朝の登校途中、爽はいつもと違う道を歩いていた。

 わざとそうしたわけではなかった。けれど、足はまるで引かれるように、人気の少ない裏道を選んでいた。


 その先に、芹那の姿があった。

 

 制服のスカートが風になびく。

 髪が陽光に透けて、まるで“現実感”が薄れていた。


「……爽。おはよ」


 その声は、昨日よりも近かった。

 まるで夢の中から、一歩だけ現実に出てきたかのようだった。


 ふたりの間に、少しの沈黙。

 けれどそれは、気まずさではなかった。むしろ“近すぎて言葉がいらない”種類のものだった。


「……なんで、ここに?」


「んー……こっちの方が、いい匂いすると思って」


 ふざけたような口調。

 でも、その笑顔の奥に、やはり少しだけ——哀しみの匂いがあった。


「ねえ、爽。覚えてる?」

「何を?」


「夢の中で、誰かに“さよなら”を言ったこと。あるでしょ?」


 ぞくりとする。


 まるで、自分の心に触れられたような感覚。


 芹那は一歩だけ近づく。その距離は、ほんの一息で触れ合えるほどだった。


「……あたしね、昨日の夜も夢を見たの。やっぱり……忘れられない人がいた」


 彼女の声は、小さく震えていた。

 けれど、その声は確かに“こちら側”に存在していた。


「もし、全部が夢だったとしても——それでも、爽のことは忘れたくない」


 その瞬間、朝の空気が、少しだけ泣いたように思えた。


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