第3話

 今宵の麻酔を嚥下するただ中に、それを吐き出させたあの音、外の路地から響いたアラームは、知っていなければならない筈の徴であったか。今は溺れつつあって、結局は何も聞こえなかった水中だから、やはりそんな音は無かったのである。しかし今一切の膜を引き裂いて、窓からそこへと着地するならば、何か有ったのだろうか。朝になれば結局、何も無いところへと出掛けていたのである。

 何らか免れ得ないものとしての絶縁体を見ぬままに、気の赴くままに赴いたここはといえば、今はまだ、何も入れ替わってなどいない。ここへ来るまでに有った様な歩行も、現実に果たされたそれであるなどと、明瞭な発音で以て、一息に、言い切ることの憚られ、今はただ、騙し騙しのモーラの内に住まう。

 実際の一歩というものが、有ったかどうかは分からずも、結局ここに居るとは本当だから、今更出掛けることも無く、出掛けたことも、無かったとして、それだからといって、一体何であるか。

 時計回りという程に、反時計回りという感を覚えるものも他に無く、扉を開けてそこに立つ一人、とは、今朝はまだ互いに了解していることだから、

「ほら、居ただろう。隣人。」

 そこには未だただ一つの目配せしか無かったのであるかも知れないから、気付かれたこの眼差しが、彼のものであったか、私のものであったか、或いは違う仕方で、両方か。

 問題ではない。目覚めにおける最初の見詰め合い、何事もそこから始まるものとしての、そして何れ必ず気付かれるエヌ人称という主観が、あちらの男かこちらの男か、或いは女か。先程、今。私はといえば、どちらから見た時のそれであるか。果たして決着させるべきであるか。

 何れにせよ両者は、扉を開けてそこに立つ者が、そうして現に居るということを疑わなかったのであるから、それ以上の何もが要求されなかった。どちらが扉を開けたのであっても、要するに結果通りのことであった。

 乳化した今朝としては、この微睡みは、違ったらしい。今当に、切り出されたこれ、あれではないという意味でのこの時間にあって、分断は無く、私は私として切り出さなければならない。

「私は隣室から来たが、今ではこの部屋でしかない。ともかく私はそこから来たが、あなたも私もそこというものを知らぬので、ここに居座る他無い。」

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