第12話 来訪と拒絶

家の外に人の気配がしたのは、昼を少し過ぎたころだった。

いつものように帳は書斎の椅子に座り、リサの母は洗濯物を干していた。

そして──その「気配」に最初に反応したのは、父だった。


「……来てしまったか」


玄関越しに、男の声が聞こえた。


 


糸だった。


 


あの夜、リサが姿を消したまま、

家にも連絡にも何一つ反応を示さなかった糸。


けれど彼は今、

リサの記憶と痕跡だけを頼りに──

この家を見つけてしまった。


 


「……リサ、いるんでしょう? 出てきてよ……!」


 


声は震えていた。

怒っているわけではない。

ただ、悲鳴のような愛だけが滲んでいた。


 


帳が玄関に立つ。

何も言わず、扉を開け放つ。


そこには、

痩せた顔と赤く乾いた目をした糸が、

必死に何かを訴えるように立っていた。


 


「……あなたに、ここに来る資格はありません」


帳の声は静かだった。


 


「リサを探してる。話がしたいだけなんだ」


「それは、あなたが“彼女を話せる人間”だったなら可能だったはずです」


 


言葉が壁のようにぶつかる。


糸は、拳を握りしめる。

足元が、何度も地面を踏み鳴らしていた。


 


「彼女は……彼女は、俺の妻だろう……!

 なんで、あんたなんかが、彼女の側にいるんだ……」


 


その言葉に、帳が一歩前に出る。


 


「あなたが“夫”だったのは、

 彼女が何も言わず、黙って笑ってくれていた時間だけです」


 


扉の奥、

リサの部屋の窓から、

外の声がかすかに届いた。


 


「糸……」


 


小さく名前を呟いた瞬間、

心臓が強く跳ねた。

指先が震え、喉がひりつく。


 


窓の外、

あの人が、泣きそうな顔で立っていた。


まるで、

昔見た夢のように。


 


「……リサ、いるんだよね?

 君が、ここにいるって……わかってるんだ……!」


 


「……っやめて、来ないで……!」


リサの母が扉を閉めようとする。

だが、身体が先に動いた。


帳の腕が伸びるより早く、

リサの身体は、走り出していた。


 


「リサっ!!」


 


「やめなさい!!」


 


「リサ!!行っちゃダメだ!!」


 


いくつもの声が重なった。

けれど彼女の耳には、

ただひとつの呼び声しか届いていなかった。


 


──糸の声。


 


全身が駆ける。

足は地に触れているはずなのに、

すべてが夢の中のように霞んでいた。


 


そして──

糸の腕に、飛び込んだ。


 


「リサ……!リサ……っ!本当に……」


糸の体温が、

凍った心に一気に流れ込んだ。


 


「行こう、リサ」


 


「どこへ……?」


 


糸の唇が震えた。

けれどその目はまっすぐだった。


 


「──“約束した場所”だよ。

 ……俺たちが、子供の頃、未来を誓ったあの場所に」


 


帳が追いかけようとした。

だが、その手を両親が制する。


「……少しだけ、彼女の意志に任せてやってくれませんか」


 


静かな言葉だった。


 


リサの母の頬には、涙があった。


 


ふたりは走った。

過去に繋がる道を、

もう一度、思い出すために。


 


──“あの公園”へ。

ふたりだけの、原点へ。

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