嫌いなら、どうでもいいじゃないか。

ZuRien

嫌いなら、どうでもいいじゃないか

私は、呪われている。その証拠に、深い緑の色の粘着質な「ベトベト」が、これでもかと体のあちこちにこびりついている。その「ベトベト」は、水で洗っても、家のありとあらゆる扇風機を集めて自分に向けても、落ちることはなかった。これほどまでに洗濯機に入って、自分の五日分の制服と一緒に洗いたいと思ったことはない。この「ベトベト」が見え始めたのはおとといの夕方ごろだった。学校からの帰り道、カバンに隠していたスマホを取り出そうとしたとき、自分の左腕の辺りが緑色になっているのに気づいたのが最初だった。そのとき、その緑色の何かと「目」が合ったような感覚になって、とても気持ち悪かったのを覚えている。その緑色の何かは、そんな私の気持ちも知らず、やけに嬉しそうに私の体を覆いつくした。やけに「ベトベト」したそれは、まず私の顔に向かって飛びついてきた。しかし、それが顔面を覆うことはなかった。まるで、自分の首をすっと傾けるように、両頬をその「ベトベト」が包んだ。それは、だんだん肩から胸、そこから腰、太もも、足といった具合に、進行していった。下げていたカバンもすぐにおろして、必死にその「ベトベト」が進むのを邪魔しようとするが、それが進行を食い止めることはなかった。抵抗も虚しく、私の体はその「ベトベト」でいっぱいになった。私の見る限りでは、今の自分の状態はとても人様に晒せるものではなかったが、そのあと家に帰って母にその姿を見られても、普段と同じように「お帰り」と告げるだけだった。それから少したって父が帰って来た時に、自分の体について何か異常がないかと尋ねてみても、母と同じようにキョトンとした顔で、「いや?別に何もないけど……あ!髪切ったとか?」と、言った具合にこの「ベトベト」に対することは何も言われなかった。もしやと思い、その次の日の朝、特に何もせず部活に行った。すると、いつもつるんでいる友達でさえ、特に何か言いたげな様子もなくいつも通り接してきた。

私の予想通り、この「ベトベト」は自分にしか見えないものだった。正直、不快感しかないが、幸い今の「本当の自分」は誰にも分からない様子だったので、特段何か処置をすることなくもう三日経とうとしている。そもそも、この出所の分からない「ベトベト」は自分がどうこうできるものではないし、他の人に話したところで、何も分からないで終わるがオチだと考えたのだ。人生史上過去最悪の週末だったのはぬぐい切れない事実だったが。


月曜日の朝。私はいつもより5分ほど早起きしていた。その原因は、昨日残り3%で充電したスマホの通知音にあった。普段この時間に誰かから連絡が来ることなんてなかったのだ。寝起きのおぼつかない腕が、だるそうに自分の顔の上にスマホを掲げる。それは、彼からの連絡だった。その「彼」から送られた内容は私の心をこれでもかとかき乱した。

「おはよう!今日はお誕生日おめでとう!」


なんだこれ……きもちわるい。


そう思ったときだろうか、体のあちこちがブクブクと暴れ始めた。ブランケットをはぐると、あの「ベトベト」がまるで、芋虫のようにうごめいていた。こんなに目覚めの悪い誕生日は今までの18回のうち初めてだ。昨日と同じように、「ベトベト」まみれのまま朝食をとり、玄関を出る。するとそこには、「彼」がいた。


「おはよう!今日はお誕生日おめでとう!」

「今日は一緒に学校行こう!」

私は、扉を半開きにしたまま固まっていた。

なんでこいつが――今までそんなこと一度もなかったのに。

「この間の告白は断られちゃったからね、友達から始めようかなと思って!」

「ほら、早くいかないと!」

まるで人が変わったような彼は、私に手を伸ばしてきた。

「ご、ごめん、ちょっと今、体調悪くて……行けそうにないんだ。」

「そうなの?じゃあ、休まないと。すみませーん。」

キョトンとした様子で彼は、この家にいるほかのだれかにそう呼びかけた。

「あら、たっちゃん。どうしたの?こんな朝にうちに来るなんて。」

「小学校4年生以来ですかね、あ、えっとそんなことより、まーちゃんがなんだか体調悪いって」

「え?そうなの、どこが悪いの?」

私の母はそう言って、駆け寄ってくる。

私の「ベトベト」が今にもこの玄関を覆いそうなことも知らずに。

私から溢れ出す「ベトベト」がついに「たっちゃん」と母の足元にまで進行している。

「うーん、熱はないものねぇ、お腹が痛い?」

母は相変わらずキョトンとした顔で、私からしてみれば少しデリカシーのない発言をした。

自分の嘘で、ここまで自分の首を絞めることになるとは思いもしなかった。

「じゃあ、学校は少し遅れてからにしようか?」

「う、うん。」

「じゃあ、僕は行きますね。」

「彼」はまるで、何もなかったかのように去って行った。

私と彼は、小学校、中学校、高校とずっと同じところに行っている。

しかし、私たちの親はもっと前から親交があった。

私の妹と彼の弟が、同じ保育園だったのだ。

私と妹は2才ほど歳が離れているが、彼と彼の弟も同じ歳の差だったので、その親同士は必然的につながりができるだろう。

案の定いわゆる「ママ友」という関係まで発展し、今に至るのだ。

親同士は、仲がいいのでお互いの子供のあだ名を呼ぶのに、それほど高いハードルはない。

一方私たちは、そんなことにはならず高校生になってしまった。

私も最初は何とも思っていなかったが、小学4年の時からだっただろうか、チラチラとこちらを見るようになったのだ。

それに、それまでいなかったのに、彼が図書室へ入り浸るようになった。

私は本がその頃から好きだったので、当時もよく図書室に来ていたが、図書室でも同じようなことをされるようになってしまい心底うんざりしていた。

それから私は、彼のいる図書室には行かず、自分の買ってもらった本を学校に持って来て読むようになった。

彼は私がそうなってからもずっと図書室にいたので、学校で一人の時間を作ることができた。

それからもずっと、彼は事あるごとに私の前に現れた。

同じ年度の三学期から入った吹奏楽部にもいたし、私が体験で一ヶ月入れさせられていた塾にも彼はいた。

修学旅行の時もなぜか、彼と同じ班に入れられ、一緒に回らされた。

自分は靴ひもを結んでいるだけだったのに、ちょっとニヤニヤしながらがにまたで近づいてきたと思ったら、聞こえるか聞こえないかくらいの声で「だ、だいじょぉぶぅ?」と言ってきたときは、気持ち悪すぎてすぐその場から逃げてしまった。

彼は粘着質に、執拗に、ヘドロのように、私の前に居座り続けた。

今私の体を抱くこの深緑の「ベトベト」のように。


「そういえば……」

この「ベトベト」が体につき始める前のことを思い出す。

私は三日前の放課後、彼に呼び出されていた。

まぁ、大方予想はついていたが、その予想を裏切ることなく私に愛の告白をしてきた。

その時の彼は終始おどおどしていて、呂律も回っておらず、何だかごちゃごちゃ言った後に「好きです!!!!」と、大声で叫んだところだけがちゃんと聞こえた。

そうすると彼は、急に私の左手を握ってきて、今度は「こんな僕ですが、良ければ付き合ってください!!!!」と、できもしないお願いを突き付けてきた。

何よりも自分に触れられたことがこの上なく気持ち悪くて、その言葉を言い終わるころには、彼の手を払いのけていたが。

自分の体が今のような状態になったのはその後からだったのだ。

彼の握ってきた手は左手、そして私が最初にこの「ベトベト」を見つけたのも左腕。

この事実から考えられるのは、もはや一つしかない。

彼こそが、私をこんな風にした張本人だということだ。

そう考えると、とても許せなくなってきた。

どれだけ私に「嫌い」と言われたことが憎かったのかは私の知るところではないというのに。

あの人がどれだけ最悪なのか、周りに知ってもらわなくてはならない。

私は、それから周りのありとあらゆる人たちに彼がどれだけ気持ち悪いのかを語って回った。

するとどうだろう、その次の週の月曜日に登校すると、誰一人私と顔を合わせない。

なんでだろう、なんで私の周りから、人が去っていくのだろう。

気持ち悪いのは「彼」のほうなのに。


私の体にいる気持ち悪い「ベトベト」は最近ずっと動いていて、その気持ち悪さに拍車をかけている。

そのせいで、会話する相手の顔の表情がよく見えなくなっていた。

しかし、相手は私の話をちゃんと聞いていたので、彼の気持ち悪さは伝わっていたと思っていたのに。

みんな、私を無視している。


なんだか、すごく、気持ち悪い。


気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。


家に帰って、夕食を食べた後、お風呂に入ろうと脱衣所へ入った。

そこには洗面台があり、いつもそこの鏡の中の自分と目が合うのだが、その鏡さえも例の気持ち悪い「ベトベト」で見えなくなっていた。

それに最近、左腕の感覚がとても気持ち悪いのだ。

まるで、この「ベトベト」と同じように。

私は、それからお風呂につかり、就寝時間を迎えた。

夢を見た。

と言っても、とても気持ち悪い夢だった。


自分が今のような状態になったきっかけである、彼の右手を私の左手が握っていて、並んで歩いていた。

なんとも、気持ちの悪い光景なんだろう。


すると、例の気持ち悪い「ベトベト」が、だんだんと私の周りからはがれていく。

やがて私は、完全に元の私に戻った。

さっきまで隣にいた彼も、もういない。


気になって後ろを振り返ると、彼は元々私だったものと、まだ手をつないでいる。

彼の右手は、気持ち悪い「左手」を深く握っている。


その彼が、そこから私に声をかける。


「ごめんね。でも君は僕のこと、嫌いなんだよね?」


彼としゃべるほど気持ちの悪いことはないので、その返事には首を一回だけ大きく縦に振るだけに済ませた。


「そっか。まぁ、嫌いならどうでもいいよね。」


私は彼が嫌い。

でも、なんでどうでもいい彼なんかを「気持ち悪い」って思ったんだろう?

あれ、どうして?

嫌いなら、どうでもいいじゃないか。


「そうだね、どうでもいいことだ。」


「でも君の『ベトベト』は、最後まで気持ち悪かったよ。」


「だからみんな、そこにしか目がいかないんだ。」


「『ベトベト』に飲み込まれちゃったら、もう戻れない。」


「じゃあね。少なくとも僕は君のこと、好きだったよ。」


そう言って、彼と「ベトベト」は消えた。


しばらくして、私の目も覚める。


見渡すと、警察の服を着た人たちが、私をカメラで撮っている。

寝起きの自分に浴びせられたフラッシュが、私を刺すように照らす。


すると今度は、スーツを着たおじさんが2人やってきて、先ほどの人たちと何か話している。


「どうだ、何かわかったか?」

「いえ、何も進展はないです。…しかし、たった一日でこんな風になりますかね?」

「こんな形のない『ベトベト』に。」


その部屋は一面、気持ち悪い「ベトベト」が覆い尽くしていた。

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嫌いなら、どうでもいいじゃないか。 ZuRien @Zu_Rien

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