第2話
2
ユキが来てから一カ月。あたしの家には、いいことばかりが起こった。
ママは商店街のくじ引きで海外旅行を引き当てた。そして「こんなにくじ運があるなら。」と、テレビの抽選であたる賞品を、一日中、応募し続けた。
するとたちまち高価な商品が、どんどん家に送られてきた。おかげでうちの家電のほとんどが、最新式のものになった。
パパは部長になって喜んでいたが、さらに外資系の会社から引き抜きを受け、今より二倍もお給料のよい仕事につけることになった。
ママはブランド品を買いあさり、あたしにもブランド品の子ども服をどんどん買ってきた。
あたしはそれを学校で自慢して、相変わらずさえないちぃ子をいじめ続けた。
ただ少し残念なのは、家に友達を呼んで、ユキを見せてあげられないこと。ママとパパは、かわいいユキを盗られるのが心配で、他人を家に入れないことに決めたのだ。
毎晩、あたしとユキは、猫じゃらしで運動会をする。
ふわふわしっぽをピンとたてて、猫じゃらしにたわむれるユキは、とてもカワイイ。
お尻を左右にふって飛びついたり、丸めた前足でパンチをしたりする。
「かわいいユキ。宇宙でいちばんカワイイね。」
あたしが言うと、ユキはそれが分かっているかのように、喉をごろごろと鳴らし、体をすり寄せてくる。そして毎晩、一緒にベッドで眠る。
ママもパパもあたしも、ユキに夢中だった。
もう、ユキのいない生活なんて考えられなくなっていた。
なにかがおかしいと気づいたのは、それからしばらく経ったころだ。
ある朝起きて、リビングに行くと、ママがユキのお刺身を切っていた。
最近、ユキのごはんはとてもぜいたくだ。いろんな種類の猫缶が、キッチンの戸棚にぎっしり並んでいて、時には高価なお刺身もあげている。
それに、「ユキ様に居心地良くしてもらうためだ。」と、パパが買ってきたキャットタワーやキャットハウスが、いつの間にかリビングから続きの洋室までを占領していた。
(そりゃあ、確かにユキはかわいいけどね……。)
あたしは満足そうに顔を洗ってるユキをちらりと見た。
あどけない子猫だったユキは、いいものをいっぱい食べて、一回り大きくなったみたいだ。
「さあ、朝ごはんができましたよ、ユキ様。」
ママがごはんをテーブルに置く。ママは家族のごはんはそっちのけで、ユキの食事の支度をするようになっていた。
ユキが食べる姿を、ママとパパはニコニコ顔で見つめている。
「ユキ様、ちゃんと食べてね。いくらでもおいしいものを出しますから、うちにいて下さいね。」
ママはそんなことを呪文のように言っているし、パパもそんなママをとがめない。
それどころか、ユキに向かって、神社でやるように手を打って合わせては祈っている。
「ユキ様、今日も仕事がうまくいきますように。」
あたしの前には、焼かれていないパンとジュースが一杯、おかれているきりだ。
二人ともあたしをふり向きもしない。
「ねえ、あたしもお刺身とかほしいよ。」
思わず文句を言うと、ママとパパは鬼のような形相でふり返った。
「人間が、ユキ様と同じぜいたくをしちゃ、ダメなのよ!」
「そうだ! だれのお陰でいいくらしができてると思ってる。我慢しなさい!」
すごいけんまくで怒られて、あたしは、ぽかんとしてしまった。
(なに? そんなのおかしいよ……ママ、パパ……。)
おもしろくない気分になったあたしは、今日もちぃ子をいじめることにした。
だけど最近、あたしたちを避けているちぃ子は、休み時間になると、どこかに逃げていってしまう。
そこであたしは新しいいじめを考えた。
昼休み。教室を出て行ったちぃ子の机に残された、体操服を取り出すと、仲間と一緒にトイレにかけこみ、便器の水にひたしたのだ。
「ちぃ子のやつ、次の体育の時間、あわてるよねー。」
「うんうん。体育の時間に体操服忘れると、すごくはずかしいもんね。」
「でさー、さがして、トイレに入れられてるのを見つけたら?」
「きっと泣いちゃうんじゃない?」
「うわー、けっさくだね。」
あたしたちは、げらげら笑いながらトイレから出た。
その時、妙な声が聞こえたような気がした。
『もっとやれよ。まだまだ俺様の腹は一杯じゃないぞ。』
地の底から響いてくるような声。そして強い視線を感じて、あたしはちらりとトイレの窓の方を見た。
窓のところに白い猫が一匹、座ってじっとこちらを見ている。
白く美しい毛に青い瞳、ふわふわした尻尾。その姿は間違いなくユキだ。
(なんでユキがこんなところに?)
そう思って、窓際にかけよろうとすると、猫はひらりと外へ飛び出した。
「どうしたの? エミリ。」
仲間の一人が声をかけてくる。
「あっ、今さ。うちのユキにそっくりな猫がいたのよ。でも、窓から飛び出していっちゃった。」
すると、友達はとても変な顔をした。
「猫なんていなかったよ。それにここ、四階だよ。いくら猫でも、飛び降りたら、死んじゃうんじゃない?」
その時、あたしは初めて気がついた。
そうだ。ここは四階なのだ。だけど、ユキを見間違えるはずがない。
あたしはあわてて窓から下をのぞきこんだ。
猫の死体は見当たらない。
ほうっと胸をなでおろす。
「なにやってんのよ。本当に猫なんていなかったって。ねえ?」
仲間達は、みんなでうなずいた。
(錯覚かな? それに、さっきの声は何だったんだろう? ただの空耳かしら?)
あたしは首をかしげながら、教室に戻った。
そして体育の時間。案の定、ちぃ子は、みんなの笑いものになった。
あたしたちがちぃ子をいじめてることは、クラスのほとんどの子が知ってる。だけど、だれも先生に告げ口なんてしない。それを見て楽しんでいるぐらいだ。
トイレの中に捨てられている体操服を先生たちが見つけた時、ちぃ子はかなりショックだったらしく、そのまま家に帰ってしまった。だから泣き顔は見そこねたが、今日のいじめはけっこう、満足のいくものだった。
放課後、あたしは仲間たちの誘いを断って、急いで家へ向かった。
昼休み、学校のトイレの窓で見た、ユキらしき猫のことが気になっていたからだ。
毎日、あたしが家に戻ると、ユキは玄関に出てきて、じゃれついてくる。
だけど、今日は来てくれるかな?
(ユキ、まさか勝手に外に出て、ケガなんてしてないよね?)
走って帰り、玄関の扉を開くと、タタタタッと廊下を駆けてくる足音が聞こえた。
「ユキ!」
「にゃー。」
「ただいま!」
あたしはほっとして、いつものようにユキを抱きしめた。ユキはあたしのほおをざらざらとなめた。
「あはは。くすぐったいよ、ユキ。」
そしてユキと一緒にリビングに行くと、ママがせっせと大きなダンボール箱を開いている。中から出てきたものは、ヨーロッパ調のすてきな白いソファーだった。
「ママ、それは?」
あたしが訊ねると、ママは額の汗を拭いながらふり向いた。
「ああ、エミリ。これはね、ユキ様のために買ったベッドよ。」
あたしはびっくりしてしまった。
だって、とても高級そうだったし、こんなのを置いたら、あたしたちが座るスペースがなくなってしまう。いくらなんでもやりすぎだ。
「これ、リビングに置くの?」
「ええ、そうよ。ふかふかのクッションだから、きっとユキ様の気に入ると思うのよ。」
「だけどママ、いくらユキが福を運んでくるっていったって……。」
言いかけたあたしの言葉を、ママは突然、厳しい声でさえぎった。
「違う、エミリ! 何度言ったらわかるの? 『ユキ様』よ! 呼び捨てはダメ。『ユキ様』っておよびしなさい!」
ママの目がぎらぎらと、あやしく金色に輝いた。それはいつものママじゃなかった。
「ママ……いったい、どうしたの?」
あたしは怖くなって、思わずあとずさった。
すると、どん、と背中にだれかがぶつかった。ふり向くと、パパが立っている。
「パ、パパ。助けて。ママの様子が変なの。」
あたしはパパの腕にしがみついた。
「ママが変? どこがだい?」
パパはあたしをじっと見下ろした。その目もらんらんと、金色に光っている。
(ひっ。)
「やあ、ママ、ただいま。今日はおいしそうな松坂牛を見つけたから、ユキ様に買って帰ってきたんだよ。」
パパが言った。
「あら、パパ、おかえりなさい。私は今日、ユキ様のベッドを買ったわ。ノルウェー製なのよ。」
「ほう……。こいつはすてきじゃないか。きっとユキ様も気に入るだろう。」
するとユキは、にゃーと鳴き、あたしの横をすり抜けると、まるでそれが自分のものだと知ってる顔で、ベッドの上に寝ころんだ。
「ほら。やっぱり気に入って下さったわ。」
「そうだね、ママ。これでますますいいことがあるにちがいない。」
「ええ。今夜はパパが買ってきたお肉で、ユキ様にごちそうを作りましょう。」
二人はにっこりと、金色の目で笑っている。
(どうなってるの!? ママもパパも、どうしちゃったの!?)
あたしは怖くてパニックになった頭で、けんめいに考えた。
(こんなおかしなことになったのも、ユキが家に来たせいよ……。このままじゃあたしたち、ダメになっちゃう!)
あたしはママとパパがキッチンに行った隙に、ベッドで寝ているユキを抱くと、玄関にあったダンボール箱にユキを入れ、外に持って出た。
(神社に行こう。元いた場所に、この子を返すんだ!)
ところが、近所の人が鳥居のところで立ち話をしていて、とても猫をこっそり捨てられそうにない。それにあんまり近所だと、ユキは家に戻ってくるかもしれない。
あたしはユキをできるだけ遠くに置いてくる方法を必死に考えた。そして、ターミナル駅へと向かった。
去年の夏休み、ここから特急列車で家族旅行に行った。その電車にユキを乗せるしかない。
適当に切符を買って特急をさがし、発車まぎわの列車にユキを乗せた。
プルルル、と発車のベルが鳴り、プシュッと扉が閉まる。
ユキを入れたダンボール箱が、ゆっくりホームを離れていく。あたしはそれを見送った。
(ごめんね、ユキ。でもこうするしか、ないの。わかってね!)
あたしは泣きながら、重い足をひきずって家に戻った。
ユキのいない家に……。
ママとパパは、あたしをどんなにしかるだろうか。
そう思いながら、玄関のドアを開いたときだ。
タタタタッと廊下をかけてくる足音が聞こえた。
「にゃー。」
それは、まぎれもなく、ユキだった。
たった今、あたしが特急列車に乗せて、捨てたはずの……。
ふわふわの毛並みのユキが、足元にじゃれついてくる。
ユキはまた一回り、体が大きくなっている気がした。
あたしはくらりとめまいを感じた。
その夜から、あたしはユキと寝るのをやめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます