第3話

   3


 その日、あたしは夢を見た。

 ユキがどんどん大きくなって、怖い男の声でしゃべるという悪夢だ。

 あたしは冷や汗をたっぷりかいて飛び起きた。

(ユキはやっぱり「特別な猫」なの? 神社の猫神様の子孫っていわれたけど、どんな神様だったんだろう?)

 あたしは真剣に、猫神様のことを調べてみようと思った。

 土曜日の朝。あたしは一人で神社に出かけた。

 いつもは前を通るだけで、中に入ったことのない神社の赤い鳥居をくぐる。

 その先には上り坂の細い参道があり、周囲には木が茂っていた。

 薄暗い参道の先には、古ぼけた祠があって、祠の横に立て看板があった。

 そこに神社の由来が書いてある。


「むかしむかし、この辺りにあった大きな商家の娘が、猫をかわいがっていた。娘は猫を好きすぎて、いくら結婚話があっても、うんといわなかった。猫もふしぎなぐらいに、娘のそばからはなれない。

 近所のひとたちは、いつしか、『あの猫は娘にとり憑いている』と、よからぬうわさをするようになった。

 ところがある夜、おそろしい大蛇があらわれ、娘におそいかかった。

 この大蛇こそ、娘にとり憑いていた妖怪だった。猫は娘を大蛇から守るため、いつもそばをはなれなかったのだ。

 猫は娘を守って大蛇と戦って勝ち、その後、姿を消したという。

 この神社は、娘を守った猫、北斗丸の活躍をたたえ、北斗丸を猫神様として祀るために建てられた。」


 読み終わったあたしは複雑な気分になった。ユキの先祖は、悪い猫神様じゃなさそうだ。

(うーん……。そういわれてみれば、ユキもあたしたち家族に、悪いことをしてるわけじゃないんだよね……。ママとパパがおかしくなってるだけでさ……。だけど、あたしはどうしたらいいの?)

 あたしはなんとなく納得がいかない気分で、帰りの参道を歩いていた。

 そのとき、暗い木陰の草むらの中に、白いユキの姿がハッキリ見えた。

(ユキったら、やっぱり出歩いてるんだわ。)

 声をかけようとして、あたしはハッと息をのんだ。

 ユキが、ユキの正面にいる、小さな蛇をにらみ付けていたからだ。

(うわっ。なんでこんなところに蛇がいるの?)

 初めて見た本物の蛇に、あたしは恐くて身がすくんだ。

 ユキは鎌首をもたげている蛇を恐れず、勢いよくおどりかかると、その頭からかぶりついた。

 バリバリバリ。

 いやな音をたてて、ユキが蛇を食べている。

 そうしてすっかり食べ終わったと思った途端、ユキの体が、むくっと一回り大きくなったように見えた。

(何? 今の……。目の錯覚?)

 いや、違う。確かにユキは一回り大きくなっている。

 そう確信した途端、あたしは、ぞっとした。

(やっぱりユキはただの猫じゃない。いい猫神の子孫だか何だか知らないけど、まともな猫じゃないのよ!)

 ユキは蛇を食べ終わると、さっとどこかへ走っていった。

 あたしは覚悟を決めた。

 やっぱり、ユキを捨てるしかない。今度は絶対に、もどってこられない方法で。


 その夜のママとパパはやはりおかしかった。ユキが急に大きくなったというのに、少しも気づかないのだ。

 あたしは家族が寝静まるのを待って、リビングに忍びこんだ。

 ユキは、あのふかふかのベッドの上で、気持ち良さそうに眠っている。

 その体をそっと抱き上げ、ダンボール箱に入れる。そのふたをしめ、ガムテープを貼って、今度は決してユキが箱から出られないようにした。

 あたしはそのダンボールを持って、家を抜け出した。

 夜の道を、川原へと走る。

 真っ暗な土手を降りていくと、お月様の光をうけて、ちらちら光っている川の水面が見えた。

 あたしはユキが入ったダンボールを持って、川に近づいた。

 ユキもただならぬ雰囲気に気づいたのだろう。ダンボールの中で目をさまし、にゃーと鳴いた。

 あたしは覚悟をきめて、ダンボールを川に投げ込んだ。

 ダンボールはしばらくすると、ぶくぶくと沈みながら流れていく。

 それを見届けると、あたしは走って家に戻った。

(これでいい。これでいいんだ! ユキは死んだ! これで、また私が家で一番かわいがられるんだ!)

 どきどきする胸を押さえ、震える手で玄関を開けると、家は暗く、静まり返っていた。ママやパパは何にも気づいていないようだ。

 あたしは足音を忍ばせて自分の部屋に入ると、小さな豆電球の明かりをつけて、ベッドにもぐりこんだ。

 固く目をとじて、そのままどのくらい寝ていただろうか。

 どこからか、猫の鳴き声が聞こえた。

 目をさますと、薄暗い部屋の天井に、ぼんやりとした白いものが浮かんでいる。

 だんだん視界がハッキリしてくると、それが空中に浮かぶ白い猫だと、あたしは気がついた。

 ユキだ。

 ユキはその口に、大きな包丁をくわえている。

 あたしは逃げようとしたが、手足が動かない。声すら出せない。金縛りだ。

(ユキ! 川に沈めたはずなのにどうして?!)

 あたしは出ない声で悲鳴をあげた。

 いつもは青く穏やかなユキの瞳が、憎悪に燃え、金色にぎらぎらと光っている。

 ユキは頭を上へふりかぶって勢いをつけると、くわえていた包丁を真下に向かって放り投げた。

(刺さる!)

 あたしは思わず目を閉じた。

 耳の横で、ドスッと鈍い音がした。

 そっと目を開いてみると、自分の耳のすぐ脇に、包丁が突きささっている。

 その横に、すとんとユキが降りてきた。

 ユキはあたしをふり返ると、目を細め、牙をむきだして、笑った。


  『あまり俺様をなめた真似をするなよ。人間。』


 前にも聞いた、地の底から響いてくるような声で、ユキはそう言うと、すたすたと部屋から出て行った。

 その途端、金縛りがとけた。

 あたしは恐怖で一晩中、ベッドの中で震えていた。

 一体、あの猫は……ううん、あの化け物はなんなんだろう、と。

 そして夜が明けると、ママとパパの部屋に行き、泣きながら、ユキが怖いと訴えた。

 しかし、二人はあたしをまったく相手にしなかった。包丁がベッドにささっているところまで見せたのに、あたしが嘘をついたと決めつけるのだ。

「あんなに可愛いユキ様が、そんなことをするはずないじゃない。」

 じっと、二人があたしを責めるように見つめる。

 その瞳は昨夜見たユキの目のように、ぎらぎらと金色に光っていた。

 あたしの言葉なんて、二人にはもう通用しないのだ。

 あたしはそう悟った。


 ユキは相変わらず、普通の猫のふりをしていたが、あたしはもうユキに触ることはなかった。それどころか、姿を見るだけで怖かった。

 なのに、ユキはあいかわらず、あたしのあとをずっとついてまわる。

(まるであたしを監視してるみたい……。)

 あたしはますますイライラして、学校で、ちぃ子にあたりちらした。

 いろいろ無理な用事を言いつけて、奴隷のように扱ったりもした。

 仲間からは、「ちょっとやりすぎなんじゃない?」と言われたけれど、あたしの不幸に比べたら、ちぃ子はマシなんだとすら思った。

 そんな日々が三カ月も続いたろうか。

 いつの間にか、ユキは人間ほどに巨大になった。

 いや、もしかしたら人間より大きいかも知れない。

 今ではユキは、天蓋つきの豪華なダブルベッドで暮らしている。

 そんな生活を異常だとか、怖いとか、ひとことでも言えば、たちまちママとパパからにらまれてしまう。

「ただいま……。」

 あたしが帰っても、出迎えてくれるママも、あの可愛かった子猫ももういない。

「ぐずぐずしないで、エミリ。ユキ様がお待ちよ!」

「そうだ。遅いぞ!」

 パパとママの険しい声が響いてくる。

 うんざりしながら、あたしは台所でユキの食事の用意をする。

 今日のユキのごはんは、おかしら付きの鯛だ。その骨をとって食べやすくほぐすのは、あたしの仕事だ。

 キッチンの棚や冷蔵庫はユキのための食べ物でいっぱいで、今やあたしたち人間は、出前で食事をすませている。

 ユキの部屋に行くと、ベッドに横たわったユキの体を、ママがブラッシングしている。

 パパはその肉球をもんでいる。

 あたしは、食事をのせたトレーをテーブルの上に置いて、ユキに頭を下げた。

「召し上がって下さい。ユキ様。」

 するとユキは、にやーりと笑う。

 こんな顔をして笑う猫なんているはずがないのに、やっぱりママもパパも何も言わない。

 それからユキは、食事をする前に、必ずあたしの顔や手を、唾液でべたべたになるぐらいになめ回すのだ。

 その度に、ユキの体が少しづつ大きくなっていく。

 気のせいなんかじゃない。

 最近、あたしは思うのだ。

 本当は自分が少しずつ食べられているんじゃないか、って……。

 だから、ユキはこんなに巨大になっているんだ、って……。

 ユキは一体、どこまで大きくなるのだろう?

 そして、あたし達はどうなるのだろう?

 ユキの世話ができないからと、旅行どころか、外出も滅多にしなくなった親。

 このまま、いつまでユキに、奴隷のようにつかえなければならないのだろう?

 終わらない悪夢のようなこの日々が、あたしはつらくてしかたがなかった。

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